第2話

「え?」


 気が付くと、僕は放課後の教室で砂原さんと見つめ合っていた。


 どういう事だろうか。


 確かに僕は砂原さんに捕まって、再び可能性の塵へと消えたはずなのに。


 ……もしかして、そういう事なのだろうか。


 この世界をやり直すにあたり、僕は神様からチート能力を授かったのかもしれない。


 不健全な事象によって世界が崩壊した瞬間、可能性の塵となった世界を再構築し、問題となったターニングポイントからやり直す能力。


 言うなれば、死に戻りならぬイキ戻りの能力だ。


 ……いや、待って欲しい。


 流石にそれはダサすぎる。


 もうちょっとマシな呼び名はないだろうか。


 僕だって年頃の健全な高校生だ。


 チート能力には憧れるけれど、それはみんなが夢見るような格好いい能力に限る。


 イキ戻りなんてそんなダサい名前の能力は絶対に嫌だ。


 せめて名前だけでももっとお洒落な奴にしたい。


 そもそも能力の発動条件がイク事なのかという疑問もある。


 だとしたら、かなり困る。物凄く困る。


 それじゃあ僕はこの先イク度に世界が再構築され、時間が巻き戻る事になる。


 これでは文字通りのイキ地獄だ。


 ……ゴホン。


 まぁ、それはともかくとして、可及的速やかに良い感じのネーミングを考えなければ。


 なんて事を思っている間に、僕は近づいてきた砂原さんに押し倒され、馬乗りになられて世界が崩壊した。


 †

 

いつか世界を救うまでラストマン・スタンディング


 というのはどうだろうか。


 何度も世界を犠牲にしただけあり、悪くないネーミングに仕上がったと思う。


 気がかりがなくなったので、僕は本腰を入れて目の前の問題と向き合う事にした。


 何度も馬乗りになられたおかげで、砂原さんに対する恐怖心も幾分和らいでいた。


 僕だって、無駄に世界を滅ぼしていたわけではない。


 まぁ、この状況を回避する方法は全く浮かんでいないのだけど。


 やる事はハッキリしている。


 砂原さんの馬乗りを回避して何事もなく帰宅する。


 ただそれだけの事だ。


 簡単な事のように思えるのに、実際にやってみると難しい。


 砂原さんは完全に頭に血が昇っていて、冷静に話が出来る状態じゃない。


 だから、説得は不可能だろう。


 身体能力でも勝てないから、逃げたり抵抗するのも無理だと思う。


 そうなると、他に何が出来るだろうか。


 全然思いつかないので、僕は考え方を変えてみる事にした。


 どうしたら砂原さんは僕に馬乗りになりたくなくなるだろうか。


 あるいは、馬乗りになられるのは仕方ないとしても、その後の不健全な身体の擦りつけ合いを思いとどまらせるにはどうしたらいいだろうか。 


「……天野が悪いんだ」


 罪悪感の滲んだ目を向けると、砂原さんが乱暴に僕を押し倒した。


「天野があんな物持ってるから……」


 これまでに何度も聞いたセリフだった。


 あんな物とは僕が友人から借りた不健全な漫画で、どういうわけか砂原さんは勝手にそれを僕の机から持ち出して、ショタ系の主人公がクール系の女子に馬乗りで〇されているページをオカズにしていたのだ。


 ここで僕が適切な行動を取れなければ、砂原さんは僕の相棒の上でズボン越しに不健全な行為を行って世界が滅ぶ。


 それで僕は必死に考えて、ある事に気付いた。


 別に砂原さんは、好きでこんな事をしているわけじゃない。


 恥ずかしい場面を見られたから、口封じの為に仕方なくやっているのだ。


 この後砂原さんは不健全な行為を行い、恥ずかしい状態になった僕のズボンと泣き顔の画像を撮影し、ポケットティッシュを残して去って行く。


 いつもそういう結末だった。


 僕の上で不健全な前後運動をしている間、いつも砂原さんは凄く辛そうな顔をしていた。


 そして悲しそうだった。やけっぱちな感じで、自暴自棄と言うか、自傷的な雰囲気があった。


 まるで僕の方が加害者で、砂原さんをイジメて苦しめているような顔だ。


 罪悪感があったのだろう。


 女性優位のこの学校において、男子は女子のオモチャも同然の扱いだ。


 その中でも僕は冴えないチビ助のせいか、一年の時も二年になった今も、クラスの女子達の悪戯やからかいの標的になっていた。


 砂原さんもそんな女子の一人で、筆頭とさえ言えた。


 でも、そこまでひどい事をされた記憶はない。


 僕の消しゴムを奪って、代わりに自分の消しゴムを押し付けてくるとか、お弁当のおかずを横取りして、代わりにお菓子をくれるとか、他愛もない事ばかりだったし、それなりにフォローもあった。


 まぁ、わざとぶつかったり僕の上に座ってきて、チビだから気付かなかったみたいな事も多かったけど。


 僕の運動着や筆箱がなくなった時は、いつも砂原さんどこかから見つけ出して返してくれた。多分、他の女子が盗ったの取り返してくれてたんだと思う。


 なんとなく、行き過ぎた悪戯から僕を守ってくれているような気配はあった。


 だから砂原さんは、基本的には良い人なんだと思う。


 それがどうしてこんな事になってしまったのかはわらかないけど、そこに付け入る隙があると思った。


「酷いよ、砂原さん……」


 今にも泣き出しそうな顔を作り、悲しそうな声で僕は言った。


 砂原さんの罪悪感を刺激して、良心に訴えかけ、馬乗りシュッシュを思いとどまらせる作戦だ。


「――ッ!?」


 予想以上に効果があった。


 砂原さんはショックを受け、大切にしているペットのハムスターを間違って踏みつぶしてしまったような顔になった。


 ようやく見えた光明を逃がすまいと、僕はさらなる追撃を加えた。


「う、うぇ、えぐ、ひっぐ、うゎああああああん! びぇええええええ!」


 ギャン泣きだ。


 高校二年生にもなって、しかも男子なのに、赤ちゃんみたいに泣きまくった。


「ち、ちが、違うの天野! そんなつもりじゃ!?」


 取り乱した砂原さんが泣きそうな顔で言い訳をする。


 こうなったらもうこっちのものだ。


「なにが違うの!? 僕の机を勝手に漁って、友達から借りた漫画を勝手に読んで、その上僕に酷い事しようとしてる! 砂原さんがそんな人だなんて思わなかったよ!?」


 ごめんね砂原さん。


 本当は全然気にしてないよ。


 何か理由があったんだよね?


 それで偶然あの本を見つけて、つい不健全な気持ちになっちゃったんだよね。


 わかるわかる。僕もそういう時あるもん。


 そう思いながら僕は砂原さんを糾弾した。


 酷いとは思うけど、これも世界を滅びから救う為だ。


 今は辛いかもしれないけど、世界の滅びを間逃れたら、なんでもないよって態度を見せて安心させてあげようと思う。


「あ、ぅ、ぅぁ……ごめん……」


 ハンドミキサーでかき回したみたいにぐちゃぐちゃになった表情を浮かべると、砂原さんは逃げるようにして教室を出ていった。


「……ふぅ。なんとかなった……」


 多分これで世界の破滅は避けれたはずだ。


 馬乗りにはなられたけど、ギリギリ不健全ではなかったと思う。


「……あとはこれをどうするかだよね」


 パンパンに膨らんだ相棒をひと撫でして僕は苦笑した。


 こんな状態で表を歩くわけにはいかない。


 そりゃ、暫くすれば収まるだろうけど、僕の気持ちはそうもいかない。


 イキ戻り(面倒だからこっちでいいや)の条件を確認する意味でも、僕は男子トイレに直行した。


 そして、どうやら僕の個人的な営みについては適応範囲外という事が分かり、ホッと相棒を撫でおろした。


 やり遂げた気分で家に帰り、これまでの思い出をオカズにしてスッキリした。


 翌朝のニュースで、砂原さんが自殺した事を知った。

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