第37話 決定的な亀裂
コロナウイルスが完治して二週間ぶりに出社すると、周りのスタッフは温かく迎え入れてくれた。
私が休んでいる間は、シズカさんが業務の穴を埋めてくれていたらしい。
「ハナコさんの有給の残りがコロナで休んだ日数ギリギリで良かったですね」
セッカチさんから意外な言葉をかけられる。
あらっ? 有給にしてくれるの?
どうやら私が休んでいる間に、コロナで休んだ人の有給問題が勃発していて、スタッフ間でひと悶着あったらしい。
私は何の努力もせずに有給がもらえることに喜んだ。
「有給もらえるのが当たり前だよ」
家に帰ってからこの話をすると、呆れたように主人が笑った。
パートに戻った事で身体の調子が回復して来た頃、私は院長室に呼ばれた。
新たな契約書を交わさなくてはならなかったからだ。
しかし院長から出た最初の言葉は信じられないものだった。
「社員の最後はコロナで休んでしまって残念です」
演技でも労いの言葉をかけて欲しいもの。
しかしここまでは想定内の言葉だ。
「気持ちがたるんでいるからコロナに感染する。とても残念です」
……はい?
”病は気から”という事?
気持ちの問題ですか?
「コロナに感染しても無症状の人も多い。僕も既に感染しているかもしれないが出勤している。仕事をするということはハナコさんが考えているほど甘くないんです」
コロナになっても出社しろと?
本気で言っていますか?
医師とは思えない言葉に血の気が引いていく。
因みに、コロナの騒ぎが始まって以来、旅行や外食は控え、外ではマスクを欠かさずして過ごし、手洗い・消毒も豆にしている。
社員になってからというもの、買い物さえも宅配や家族にお願いしていて、ほとんど職場と家の往復という生活をしていた。
病院勤務ということで、そこまで気を使って過ごしていたのに、そんな言い方はあんまりじゃないか?
どう贔屓目に見ても職場で感染したとしか考えられないというのに!
なんなら労災にしてもらいたいくらだわ……。
これまで休まず働いてきた私の忠誠心が、一気に崩れる感じた。
「疲れていたから免疫力も落ちてしまったのかもしれません、齢ですし」
院長は私より10歳若い。
「齢を言い訳にしたらいけない。やる気があれば齢なんて関係なくなんでもできる。僕は20代にも負けないつもりでいつも生活している」
それはご立派なこと。
でも私は20代と張り合うつもりはありません。
「ハナコさんの悪いところは齢のせいにするところだ」
自分の考えを押し付けないで。
その後時給の話になる。
私の時給は二年前のパート時と同じにするが、日曜日の割り増し料金はなくなると説明された。
「他のスタッフは日曜日の時給は平日の時給より100円高いのに、私だけは日曜日の割増料金が出ないという事ですか?しかも土日は固定で出勤しろと?」
これは嫌がらせだな。
「ハナコさんの時給は皆より高いんだ」
確かに私は他の人より時給が高い。
それは、シズカさんが辞めた後、私とヤンキーさんの仕事量の多さや貢献度を評価して、院長自ら他のスタッフより時給を高くしてくれたのだ。
それを今更上げすぎたと言うなんて……。
「キニシヤさんでさえ時給が低いんだ」
キニシヤさんの時給が低いから、私の時給を調整するなんておかしい。
せこい話になるが、ヤンキーさんより私の時給は少し低いのだ。
コロナになって10日間休んだ途端、私の価値・扱いはグーンと下がったわけね?
ふと、メガミさんの顔が目に浮かぶ。
遂に私は辞めても惜しくない存在になった様だ。
これまでいろんなスタッフが退職しているのをみていただけに、自分の潮時は分かっているつもりだ。
ここまで聞いて、私の心は決まった。
その決心を固めるためにあの事を聞いてみよう。
「院長前回の面談の時、私のボーナスを減額したのは、他部署の意見を参考にしたとおっしゃっていましたが、私の何がいけないと言われているのでしょうか?」
不意打ちだったのか焦る院長。
「そんな事は聞くもんじゃない。自分で何がいけないか考えて直すもんだ」
それは答えになっていない。
「ですが、私はいくら考えても思いつかないんです。他部署には協力しているつもりだったので、どこが問題なのか知りたいです。今後のためにも至らない点は改善していきますので、どこの部署の何を協力すればいいですか?」
是非理由を聞きたい。
「通所リハビリの人たちだ」
「…………?」
「通所リハビリの人とは直接関わる様な仕事はないですが、何の協力でしょうか」
更に突っ込んでみる。
「ハナコさんは、そんな事考えないで、セッカチさんに協力して彼女の負担を減らす事だけ考えていればいいんだよ」
「……?」
それが答えですか?
「と言うことは、私はセッカチさんの言うことだけを聞いて彼女の負担をなくす。それが他部署に協力するということですか?」
疑問が確信に変わる。
「そうだ」
終わった。
もう付き合いきれない。
ギリギリのところで零れず止まっていたコップの水が、一気に流れ出す音がした。
私には一滴の余力も残っていなかった。
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