第32話 搾取の意味を知る

 パートスタッフが、コロナワクチンの予約が出来ないことを快く思っていないと知った院長とセッカチさんは、アコガレクリニックでもワクチンを打てるように保健所に掛け合った。

 その結果これ以降のワクチンはスタッフ全員がアコガレクリニックで打てるようになる。


 自院でワクチンが打てるようになったのは喜ばしいことではあるが、患者さんに対してもワクチン接種を始める事となり、それは想像を絶する大変な業務とになった。


 アコガレクリニックは、通常業務だけでも待合室があふれる程の来院数なのに、それと同時に大量のワクチン患者を引き受けるというのだ。


 その理由は、ワクチンを打った患者さんが多いほど、クリニックにたくさんの補助金が入る仕組みになっていたからだ。


 経営者としては当たり前の考えなのかもしれないが、雇われ側としては、ワクチン患者を沢山受け入れても、特別手当が出るわけでは無く、自分たちの身体が大変になるばかりなので、スタッフ一同、嫌々ながらのスタートとなった。


 また、ワクチン接種は夜の時間帯に行うため、残業時間が多く発生してしまう。


 看護師さんや小さな子供がいるパートさんたちは、早く帰宅したいので、ワクチンのために遅くまで残ることに抵抗があった。


 正直、私も身体が持つか不安だった。


 社員になってからというもの、土日はずっと勤務し、平日も一日しか休めない体制に少々疲れが出ていた。


 しかし社員なので「やりたくありません」とは言えない。


 最初は、一か月だけワクチン接種をするので協力してもらいたいと言われていたのだが、一か月が過ぎようとした頃、あと3か月はこのままのペースでやるつもりとセッカチさんから聞いた時は、がっかりして気持ちもなえた。


 ワクチンを打ちに来る患者さんは気短な人が多く、予約時間が過ぎると怒り出す。

 そうかと言えば当日キャンセルもかなりある。

 キャンセルの連絡がなく来院しない患者さんもいる。

 そういう患者さんのためにずっと待っていたり、キャンセルした分を他の患者さんに連絡してワクチンを打ちにきてもらうよう頼まなければならない。


 当初は、ワクチンを捨てるのは勿体ないと言って、セッカチさんの指示で、キャンセル分の患者さんが見つかるまで探し続けた。


 どうしても代わりの患者さんが見つからない場合は、スタッフの親族や友達に連絡して、ワクチンを打ってもらう事もあった。


 通常業務と合間って、ワクチンの問い合わせの電話がひっきりなしに鳴り、その対応にも追われ、それは・それは毎日が戦争のような忙しさであった。


 当然、スタッフの疲れは蓄積していき、とうとうセッカチさんの言動がおかしくなる。


 患者さんからも、セッカチさんがおかしい・心配だと私は頻繁に聞かされるようになった。


 ワクチンの手続きや請求など全て引き受けていたセッカチさんの仕事量は限界を超えるほどの量になっていた。


 そのためセッカチさんは、溜まった事務仕事をするために、午後から別室で作業をするようになり、私とノンビリさんと二人で窓口業務を担っていた。


 ノンビリさんの仕事ぶりは相変わらずで、動作が遅い上に仕事が覚えられない。

いちいち分からないことを聞いて来る。

 その度に私は自分の仕事を中断しなければならない。<ノンビリさん受つけへ>参照


 ノンビリさんの仕事ぶりを熟知しているセッカチさんは、忙しい時間帯に彼女とペアーを組む私を気遣い、少しの間は「受付で何かあったらすぐ連絡して、駆けつけるから」と言ってくれていた。


 しかし、段々と自分の仕事が忙しくなると、私からのヘルプの連絡が面倒になってきた様に見えた。


 「院長がハナコさんを怒っています」

 「他部署の人たちがハナコさんは私に依存していると言っています」

 このような言葉を頻繁に使うようになった。


 言動もどんどんきつくなり、威圧的で、私に「社員になって」と懸命に口説いてくれたあの頃の彼女はもういなかった。


 “釣った魚に餌はやらない”というわけか……。


 セッカチさんからしたら、私を社員にすれば自分は楽になると思っていた節があるのだが、思うほど私の働きは良くなかったからだろう。


 コロナが流行り、これほどの事態に遭遇するとは誰も予想していなかったのだが、セッカチさんのあまりの変わりように私は段々苦しくなってゆく。


 何とかしなくては。


 私は彼女と話し合うことにした。


 そして受付を今の二人体制から 三人体制にしたらどうか? と提案した。


 三人態勢にすれば、受付はセッカチさんがいなくても仕事がスムーズに進む。

 セッカチさんも事務仕事に専念できる。

 私も少し余裕が生まれるのでセッカチさんの事務仕事を手伝ってあげられると考えての提案だった。


 ところが、セッカチさんからは予想外の言葉が返ってきた。


 「私は二人で問題なくやれていると思っています。それに院長は受付に人を増やすつもりはないと言っています」

 問題大ありだよ。あなたはおかしくなっているもの。


 「今の病的な状態は問題なくやれているとは私には思えないよ。病気になってからでは遅いんじゃない?」


 このところセッカチさんは「毎日眠れない」「夜中冷や汗かいて気絶した」「トイレで倒れたこともある」「体調悪い」等々、物騒な言葉を私や周りに頻りに言っている。


 その上、私だけに言っていたのかもしれないが「院長から、うつ病の薬を処方されたけど怖くて飲めなかった」と言うではないか。オーノー


 そんなこと言われても、私だって肋間神経痛のような症状が出ているし、これ以上仕事を増やしたら倒れちゃう。

 もう二人とも限界なのでは? と思い、その解決策として、受付に人を補充する事を希望したのだ。


 そんな状態にもかかわらず、セッカチさんは「私は大丈夫。ハナコさんが大変なら院長にそう言ってみますか?」と語尾を強くして言った。


 売り言葉に買い言葉。 その言葉を聞いた私は流石に腹が立った。


 「このままなら私はやっていけない、今すぐとは言わないけれどパートに戻してもらいたい」

 心なくもそう答えてしまった。


 「社員にしてあげたのに!! 今更パートに戻りたいなんてハナコさんは無責任です!!」

 私の言葉に怒ったセッカチさんは興奮して叫んだ。


 この時初めて気づいたのだ。


 私は搾取されていることに……。


 「私がハナコさんを支える」 

 「そばにいてくれるだけでいい」


セッカチさんの言葉が、頭をぐるぐる駆け巡っては消え、それが遥か遠い昔のことのように思え、私の心は絶望のどん底に落とされていく。


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