静止した世界で③
「死ね」は俺の口癖だった。思えば、ことあるごとに呟いている気がする。別に特定の人物に対する言葉ではないし、仮にそうであっても死んでほしいと願ってるわけじゃない。
ただ、語感が良いから。吐くたびに少しだけ、モヤが晴れるような気がするから。
って、そんな御託を並べて何の意味があるんだ死ね。別の何の意味もねーわ死ね。死ね死ね死ね。こうやって適度に口にするだけで、俺の心は整うんだ。煙草と一緒だな、ハハ。
「お目覚めですかあ?」
「死ね」
「死にません」
切れ長の目、目尻には赤いアイシャドウ。血を吸った後の吸血鬼のような唇は不気味なほどに水々しく、黒い瞳にはハイライトがほとんどない。口元には笑み、しかし目が笑っていない。
女は寝ている俺を見下ろしながら、「さっきは激しかったですね」と呟き、頬を赤らめる。
「あー……そういえば俺、死んだんだ」
「死んでないですよ」
「足が飛んで、それで──って」
五体満足。視界は良好。身体のどこにも異常はない。あるとしても、ほんの少しの倦怠感。起き上がるのがだるい。もう一度瞼を閉じて、夢の世界に戻りたい。脳が覚醒するまでの数分間に味わう、いつものアレ。
そうか、アレは夢だったのか。夢の中で俺は死んだ。痛みや怒り、耐え難い苦痛を味わった。しかしそれが、今ではちょっと心地良かったとさえ思ってる。
悪夢を見た後は冷や汗の一つくらいかくものだが、今の俺が感じているのは生きていることへの「安堵」ではなく、「落胆」。
あのまま、安らかに眠らせてほしかった──夢の中の俺は安らかじゃあ、なかったが。
「夢、か」
「夢じゃないですよ」
「そうだ。お前がいるってことは現実か」
「そうです。現実です」
「どっちでもいいや」
「あのー、怒ってます?」
「怒ってた気がする。分からん。お前、俺になんかしたんだっけ?」
「四肢を吹き飛ばして、頭を潰しました!」
「そうか」
「あなた、面白い魔法を使いますね! 私、あなたに興味があるんですよ!」
「そうか」
魔法なんて使えねーよ。
「んー……。まだ意識がはっきりしない感じですか?」
「しないし、別にしたくもねー」
「そうですか」
女はビニール袋からドブネズミ──目も口もない小汚いぬいぐるみのようなそいつ──を取り出し、俺の腹の上に乗せる。
小さく「きゅいん……」と鳴っているが、どうやら弱っているようだ。
あぁ、こいつも夢じゃなかったのか。
「仕方ないですね。それじゃあ、今からこの魔物をあなたの肛門に突っ込みます」
女は意気揚々と俺の作業服を脱がそうとする。
「待て、分かったから、起きる起きる」
「合体しましょうよ〜」
「はァ?」
「合体したんですよ、さっき。あなたと、この魔物が」
「合体……」
「それはもう! すごかったんですよ! 殺しても死なない! 何度も蘇る! 最終的に私が根負けしてしまいました!」
女は虚ろな瞳を輝かせ、鼻息を荒くしてまくしたてる。笑顔に目を細め、ちゃんと表情筋があることを俺に証明してくれる。
さっきまでのこいつはなんか怖かったからな。微笑んでいるが、笑ってはいなかった。
「アレがあなたのユニーク・マジックですか? あんなインパクトのある魔法は初めて見ました! そうだ! 私、魔王を倒すために冒険してるんですけど、良かったらパーティに加わりません? 加わるって言っても、あなたが一人目ですが!」
ユニーク・マジック。聞いたことはあるが、俺には無縁の存在だった。
俺は魔道整備士の仕事をしているが、自分じゃ魔法は使えない。いや、使えないからこそ整備士として、魔道具に頼った仕事をしているんだが。
そもそも、ただの人間風情が魔法なんか使えない。良いとこの貴族か、魔族と人間のハーフあたりなら使えると聞くが──目の前の女は恐らく後者だろう。魔族にしては人間らしく、人間にしては禍々しい。
「俺、魔法なんて使えねーけど」
「いやいやいやいや使ったじゃないですかあれは魔法ですよそれも汎用的な魔法じゃない絶対ユニーク・マジックです」
「顔が近い」
「能力的に“合体”ですかね。いや“吸収”もありそう。魔物を体内に取り込んであんなことになるなんて」
「記憶にない」
「すごかったんですよ! それはもう、この世の終わりみたいなビジュアルでした!」
「きゅいーん」
腹の上でドブネズミが鳴く。
「懐いてますね。……あっ、そうだ」
「何?」
「肝心なことを忘れてました。改めて訊きますが、あなたとその魔物はどうして動けるんですか?」
俺は今、ベッドの上に横たわっているらしい。確認するまで気が付かなかった。だって、本来ベッドとはふかふかなものだろう。なのに、まるでコンクリートのように固い。
「世界は今、静止してるんですよ。“敵”の魔法によって」
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