静止した世界で②
とりあえず帰るか。不測の事態により作業は中断。メーターだけでなく、現場の指揮をとる上司までもがフリーズしちまうんだから仕方ないよな。
明日にはこの魔力発電所における全ての電力供給がストップし、住民からの苦情が殺到するだろうけど俺のせいじゃないよな。そして会社が潰れても俺のせいじゃないよな。むしろこんなブラック企業、潰れるのが自然の摂理だよな。
現場の近くに停めてあるトラックまで歩き、ドアに手をかけたところで俺は深くため息をつく。
「そんな気はしてたけど」
開かない。エンジンが動かない以前にドアすら開かない。鍵がかかってるわけでもない。物質そのものに強力な結界が張られているような感覚。
魔法かコレ。こんな魔法聞いたことねえけど。
「きゅいーん」
「いたのかよお前」
「きゅいんきゅいんきゅいんきゅいんきゅいーん」
ドブネズミはいつのまにか俺の作業着に張り付いていたらしい。
目も口もないその身体のどこから音を出しているのか。金属音にも似た不快な鳴き声をやかましいと思いつつ、どこか安堵を覚えていた。
静止した世界で、こいつは動いている。
「きゅいんきゅいんきゅいんきゅいんきゅいんきゅいんきゅいんきゅいんきゅいんきゅいん」
だが、いい加減うるさくなってきた。服から引き剥がし、地面に置いて、俺はその場を後にする。
だんだん遠くなる鳴き声。この鳴き声が届く範囲で、適当に散策でもしよう。
なに、すぐ元に戻るだろう。一時的なバグってやつだ。元からこの世界はメンヘラ女のメンタル並に不安定。騒がしいと思ったら、大人しくなる。止まったと思ったら、またすぐに動き出すさ。
****
しばらく歩くと、俺は一人の女に会った。
黒いスーツに身を包んだ、この土地に相応しくない小綺麗な女。ツーサイドアップが風になびいて、イカついピアスが顔を見せる。彼女と、その周りの空間が動いていることが分かった。
動く人間と出会った安心感。それと、ほんのちょっとの緊張感。
「あはっ。目が合いましたね」
「お、おう……」
「こういう時って、戦うんでしたっけ?」
「そんな文化、聞いたことない」
「どうして、あなたは動けるんですか?」
女は笑顔だが、目が笑っていない。まるで、そこだけが静止しているようだ。
「知らん。逆に何でお前は動けるんだ?」
「勇者だから」
「は?」
「私が、魔王を倒す勇者だからです」
パンッ!
足下で、何かが爆ぜた。
一瞬の痺れの後に襲い来る痛み。
俺はバランスを崩し、前方に倒れ込む。
「が……あ……」
広がる血潮、混乱する頭。強烈な苦痛、嫌な汗。
熱い。右の太ももが熱い。正確には、太ももがあったはずの場所が熱い。
「こういう時は、戦うんですよね」
「うあああ……」
「次はあなたのターンです。さて、どんな技を繰り出すのでしょう」
「あああぁ……」
一体何があった。分からない。とりあえず全身が熱い。足の次は腕が吹っ飛んだ。小さく音を立てて、弾け飛んだ。
熱い、そして、痛い。勢いよく血が流れる。このまま全ての血を出し切ったら、死んでしまうのか?
痛い。死ぬ。何で俺が死ぬんだ? お前が死ねよ。俺以外の全てが死ねよ。
「死……ね……」
「あら、怖い」
女は憐れむような顔で俺を見下ろしている。何があって、こうなったのか、全く状況が理解できない。しかし、俺が本当に理解できないのはこの状況でもなければ、手足が吹っ飛んだ理由、目の前の女の意図でもない。そんなことは正直、どうでもいい。こんな世の中だ、急に全てが静止したり、四肢が爆発したり、メンヘラ女がわけのわからないことをほざくことだってあるだろう。世界がメンヘラなんだから、むしろそれは不条理という名の条理だ。俺が理解できないのはな、俺が今、何のために生まれて、何のために苦しんで、何のために死んでいくのか皆目検討もつかねえことだ。ただの生、ただの死? メチャクチャな世界なのにどうしてそこはシンプルなんだ? 本当は生にも意味があって、何かを成し遂げるために与えられたのか? じゃあ俺は何をすれば良かったんだ? 分からないまま終わるのか? 本当に、何一つ、理解できないまま、幕を閉じることにな────
パンッ!
「うわっ」
「……」
「こっちの方まで飛んできた。火力の調整間違えちゃったかな」
「……」
「びちゃびちゃして気持ち悪──」
「死ね……」
「え?」
「死ね……死ね……」
「頭吹き飛ばしたのに、生きてるんですか?」
「死ね……死ね……死ね……」
「ちょっと待ってください。どこから声が……って、なんですかそれ!」
「死ね……死ね……死ね……」
「そんな面白い魔法使えるなら最初から使ってくださいよ!」
「死ね……死ね……死ね……」
「ひゃー! 気持ち悪い! でも面白い!」
「死ね……死ね……死ね……」
「あはっ! あははははっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます