6

 アカウント名『しずく』は中目黒のタワーマンションの十五階に住んでいた。

 彼女もすぐに電話に応じ、友人が同席してもいいならという条件付きで聴取に応じてくれた。部屋の呼び鈴を鳴らすと、出てきたのは思わぬ人物だった。

 くせっ毛なのか、鳥の巣のように手入れがされていないぼさぼさの髪。お世辞にも美人とは言えない顔立ちに加え、男性の平均身長くらいはある体を色気のない服装で包んでいる。ぎょろっとした瞳でこちらを交互に見比べると、彼女は警戒心を隠しもせずに尋ねてきた。

「警察の人?」

「はい。『しずく』さんのお宅で合ってますでしょうか?」

「入って」

 ぶっきらぼうに言い捨てると、彼女は足早に部屋の奥へ引っ込んでしまう。その背中を追って速水たちも部屋に入った。

 部屋は一人暮らしするには十分以上に広く、リビングはガラス張りになっていて、ベランダ越しに街の風景が一望できるようになっている。こんな部屋に住めるということは、『しずく』はそれなりに金回りがいいのだろう。

 リビングのテーブルには、すでに一人の女性が椅子に座って待っていた。セミロングの髪に清楚系の整った顔立ち、長袖のワンピースを着ていたが、その上からでも艶めかしいボディラインがうかがえる。くせっ毛の女性が彼女の隣に座ると、速水と槇原も対面の席についた。

「本日はお時間を取っていただいてありがとうございます。警視庁捜査一課の速水です。こちらは同僚の槇原。失礼ですが、『しずく』さんは……?」

「私が『しずく』です」

 手を上げたのは、予想通り清楚系美人のほうだった。

「秋森しずくといいます。同じ名前でグラビアアイドルとして活動していて、蓑田さんとは何度か彼の番組で一緒になったことがあります。この子は幼馴染で親友の峰村良子です」

「どうも」

 くせっ毛の女性――峰村はぎょろっとした目でこちらを睨んだまま、申し訳程度に頭を下げた。

 どうやら、彼女は秋森のボディーガード的な立ち位置なのだろう。本当は秋森ひとりに聴取を受けてもらうのが一番なのだが、任意なので強くは言えない。速水は割り切って聴取を始めることにした。

「早速ですが、秋森さんと蓑田さんのご関係をうかがってもよいでしょうか?」

「はい。私は五年前にミス青学のグラビアアイドルとしてデビューして、その頃から蓑田さんの番組にも呼んでもらえるようになりました。蓑田さんとは彼の番組のオーディションで会ってから、何度かキャスティングを餌に肉体関係を求められるようになって、三年ほどずるずるとそんな関係を続けていました。ここ二年は彼のコネに頼らなくても仕事がもらえるようになってきて、ちょうど縁を切ろうと思っていたところでした」

 秋森は芯の強そうな瞳でこちらを見ると、いきなり核心に触れてくる。

「私のところに聴取に来たということは、蓑田さんのスマホの中身を見たんですよね? 私と彼のやりとりも、あれに入ってるはずの映像も」

「……はい」

「正直に言うと、私はあの映像をリークされてもいいと思ってました。あの人にはもちろん恩はありますけど、彼の都合で振り回されるのにも限界を感じていたんです。最悪スキャンダルになったとしても、ある程度やっていける自信もついてきたところでしたし、丁度いいかなと」

 ここから先は嫌な質問が中心になる。速水は視線をかわすこともなく、槇原に聴取のハンドルを渡す。

「肝が据わってますね。仕事が順調だったのなら、せっかく掴んだ成功をスキャンダルで台無しにされるなんて、尚更避けたかったんじゃないですか?」

「ちょっとあんたっ!」

「やめて、良子」

 峰村が椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がるのを、すかさず秋森が制した。親友が渋々座るのを見届けてから、秋森は答える。

「確かに、スキャンダルなんてないにこしたことはありません。でも、秘密を抱えながら生きるのって、それなりにエネルギーが必要なんです。こんな風にもやもやしたまま日々を過ごさないといけないんなら、いっそ全部ぶちまけられて楽になりたいなって気持ちがあったのも本当ですよ。それに……私のスキャンダルが暴露されたら、蓑田さんの行状も世間に知れ渡ることになるでしょうし。そうなれば、彼の毒牙にかかる子もいなくなるでしょうからね」

「立派な志ですね。ですが、スキャンダルを出さずに彼との縁を断ち切る方法がないかは考えなかったんですか?」

「どういう意味ですか?」

「いえ。私があなたの立場だったら、そういう方法を探すのではないかと思いまして。話し合いで縁を切るなり、被害者同士で集まって訴訟をほのめかすなり、なにかしら方法はありそうに思えますが」

「……確かに、それも考えました」

 肯定する秋森の顔には、こちらに対する失望の色が浮かんでいた。。

「失礼ですが、刑事さんは蓑田さんがどうやって女性タレントたちと関係を持ったかご存知ですか?」

「いくつか証言はいただいてますが、まだひとりずつ確認を取っているところです」

「賭けてもいいですが、手口はほとんど同じだと思いますよ。密室に呼び出して一対一で人格攻撃、相手が崩れたところで『自分が助けてやる』と手を差し伸べる。その日の夜には打ち合わせと称して、ホテルに行くことを選ぶよう相手を誘導する。憎らしいほど洗練された手口です。言葉で関係を強要されたわけではないし、その手のやり取りはすべて対面していたので、記録なども残っていない。本気で訴訟したとしても、勝てる見込みがあるとはとても思えません。私も色々考えましたが……結局、自分の身を切らずに済んで、蓑田さんと縁を切れる方法なんてないっていうのが結論です」

「随分頭を悩まされたようですね。率直に聞きますが、蓑田さんを憎いとお思いになったことは?」

「憎い、ですか」

 槇原の質問を、秋森は晴れやかに笑い飛ばした。

「そこまで大層な感情はないですよ。だって、私がさせられたことは結局ただの枕営業ですから。それに……本当に生理的に無理な相手だったわけでもないですし、最初の頃は有名プロデューサーに求められて、ほんのちょっと気分がよかったくらいですから。せいぜい、元カレにしつこく言い寄られて鬱陶しい、くらいのものです」

「これは失礼しました。ちなみにこれは形式的な質問なのですが、昨夜二十二時から二十四時の間、何をされていましたか?」

「アリバイですね。昨日は二十三時三十分までテレビの収録をしたあと、マネージャーの車で事務所に帰って、そのまま事務所でマネージャーとスケジュールや仕事について相談していました。マネージャーと別れたのは今日の深夜一時くらいだったと思います」

「ずいぶん正確に覚えているんですね」

「マネージャーが時計を見て、ちょうど一時になったから今日は帰ろうっていう流れになったので」

「念のため、マネージャーさんの連絡先をうかがっても?」

 槇原が尋ねると、秋森はマネージャの電話番号と事務所の住所を口頭で伝えてきた。それをメモに書き留めてから、槇原はいつもの質問を口にする。

「最後に、あなたと蓑田さんの関係を知っている方がいたら、こちらに氏名と連絡先を記載して頂けますか?」

 槇原は手帳からページを一枚破き、ボールペンとともに秋森に差し出す。

 光石や七瀬の時と同様にボールペンからインクは出ず、槇原は慣れた調子で替えの芯を手渡した。秋森は最初は右手で口金を回すがびくともせず、途中で口金を回す手を左手に替えて、なんとか口金を外した。芯を替えて左手で紙に峰村の名前を書くと、ボールペンとともに紙を槇原に戻してくる。

 槇原が素早くこちらにアイコンタクトを送ってくるので、速水はあとを引き継いだ。

「捜査にご協力いただいてありがとうございました。またお話をうかがうことがあるかもしれないので、なるべく連絡が取れるようにしていただけると助かります」

「わかりました。けど仕事で時間が取れないこともあると思うので、なるべく事前に連絡をいただけると助かります」

 速水がうなずくと、槇原とともにテーブルを立った。部屋を出てマンションの廊下に出ると、後ろから険悪な声で呼び止められた。

「ちょっと待って」

 振り返ると、ちょうど峰村が部屋を出てきたところだった。ぎょろっとした瞳でこちらを睨みつけると、胸ぐらを掴まんばかりに近寄ってくる。

「あんたたち何なの? しずくを犯人みたいに扱うなんて。信じらんないんだけど」

「ご不快だったろうとは思いますが、殺人事件の捜査に必要なことなので」

 相手の剣幕に怯むこと亡く応じると、峰村はその勢いのまま速水に噛み付いてくる。

「それが意味分かんないのよ! 女を食い物にするやつが死んだだけでしょ? そんなやつが死んだことより、ひどい目に合った女の子のほうを助けてあげようとか思わないわけ?」

「被害者がどんな方でも、殺人は重大な犯罪です」

「じゃあ、女の子がモノみたいに扱われてるのは重大な犯罪じゃないってわけ? あんた、女のくせによくそんなこと言えるね」

「いえ、私はそんなこと」

「言ってんのと同じなんだよ!」

 胸を突き飛ばされ、よろけて一歩後ずさる。峰村が更に詰め寄る前に、素早く槇原が間に入った。

「お嬢さん、暴力はよしたほうがいい」

「……ちっ。結局あんたも男の影に隠れるだけの女か」

 槇原を一瞥してから、より一層怒りを込めた目で峰村が睨みつけてくる。

 挑発に乗るつもりはないが、槇原が間に入ると余計にこじれそうだ。速水は槇原を押しのけると、再び峰村と向かい合った。

「誤解しないでいただきたいのですが、傷つけられた女性を守りたい気持ちは私も一緒です。ただ、私は捜査一課……強盗や殺人のような凶悪犯罪を担当している刑事なので、どうしてもそちらを優先しなければなりません」

「口だけならなんとでも言えるんだよ! だったらあんたら、どうして高樋を……!」

「高樋?」

 唐突に出てきた単語に、速水は思わずオウム返しに聞き返した。

 峰村は自分の口にした言葉に驚いたように一瞬だけ押し黙ったが、再び勢いを取り戻してこちらを責め立てる。

「しずくは、高樋っていうしつこいストーカーにつきまとわれてんだよ。しずくが高校の頃付き合ってて、すぐにフラれた男だったんだけど、しずくが芸能人になった途端、ファンのフリしてしずくの周りをうろつき出して……」

「警察には相談とかはされなかったんですか?」

「したよ! したけど、その時の高樋はファンのフリをしてイベントとかに来てただけだから、結局ファンとストーカーの線引きができないって言われて立件してくれなかったんだよ。それに、高樋に接近禁止命令出したりしたら、当時まだ人気がなかったしずくから普通のファンまで離れちゃって、あの子の夢まで壊れちゃうかもしれなかった。今だって、しずくは酒を飲むとよく言うんだ。『あいつは今でも、家や事務所の近くに現れて、ただじっと見つめてくる。私はいつまであいつの視線に怯えなくちゃいけないんだ』って」

 言い終える頃、速水を見る峰村の目は冷え切っていた。

「警察は一度だってあの子を助けてくれなかったのに、こういう時は真っ先にあの子を疑うんだね」

 突きつけられた言葉は、ナイフのように鋭く速水の胸に刺さった。

 すべて吐き出して満足したのか、峰村は満足げな顔で速水の横を通り過ぎようとする。

「待ってください」

 槇原の声に、峰村は苛立たしげに立ち止まった。

「何? 私、忙しいんだけど」

「念のため、その高樋という男のフルネームと連絡先を教えていただけますか?」

 言って、槇原は秋森に渡したのと同じボールペンと紙を手渡す。

 峰村は聞こえよがしに舌打ちしてから、廊下の壁を下敷き代わりに、右手で『高樋光男』という名前と携帯電話と思しき電話番号を書いて、乱暴に紙とボールペンを突き返してきた。

「言っとくけど、それ高校の頃の番号だから。通じなくても文句言わないでよ」

「ありがとうございます」

 それを受け取りながら、槇原は当たり前のような顔をして峰村の聴取を始める。

「参考までにうかがいたいのですが、峰村さんのご職業は?」

「は? それがなにか関係あんの?」

「あくまで形式的な質問です。この場でお答えいただけない場合、また改めてご自宅にうかがうことになりますが」

「……本っ当に横暴なやつら」

 やんわりとした脅しを察し、峰村はもう一度だけ舌打ちしてから質問に応じる。

「フードトラックの自営業よ」

「今どきなお仕事ですね。必要な道具を揃えるのは大変だったのでは?」

「別に。専門的な道具なんて使ってないから、電化製品以外はスーパーで売ってるので事足りるし」

「そういうものなんですね。ちなみに高樋という男の職業やご自宅はご存知ですか?」

「そんなの私が知るわけないじゃん」

「失礼しました。これも念のため確認なのですが、昨日の二十二時から二十四時の間、あなたは何をされてましたか?」

「風呂入ったあと、晩酌しながらテレビ見てた」

「ご協力ありがとうございました。またなにか聞きたいことが出てきましたら、秋森さんに記載いただいた連絡先にご連絡差し上げます」

 峰村は苛立たしげに鼻を鳴らしてから、足早に廊下を歩き去っていった。

 マンションを出て車に戻るなり、槇原はこちらを見ずに淡々と説教してくる。

「関係者の言葉にいちいち傷ついてるんじゃねぇ。警察が嫌われ者だってことくらい、そんだけ刑事やってりゃわかんだろ」

「……すみません」

「お前の女としての感性は刑事としての武器になる。それを鈍らせろとは言わん。感情や感性をコントロールできるようになれ。鈍感でいるべき時は鈍感でいろ。無茶なこと言ってる自覚はあるが、そうできなきゃ仕事がしんどくなっていくぞ」

 槇原の指導は淡々としているが、決して冷淡ではなく相手への思いやりを感じる。感情的に責めてこず理屈もはっきりしているため、内容もすっと頭に入ってくる。

 聴取の腕も、後輩指導という側面でも、まだまだ速水は彼の足元にも及ばない。

 自分の未熟さをもう一度だけ強く噛み締めてから、速水はすぐに気持ちを切り替えた。速水が気持ちを持ち直したのを確認してから、槇原は指示を出してくる。

「ついでだ。このまま秋森のマネージャーのところに行って、アリバイの裏取りをするぞ」

 それだけ告げると、槇原は秋森から教えてもらった番号に電話をかけ始める。速水は一度だけ深呼吸をしてから、秋森の所属する事務所に向けて車を走らせた。


 渋谷にある事務所に着いて受付で来訪を告げると、色黒の男が応対してきた。

 一八〇センチはある長身に加え、黒いスーツにがっしりとした体つき、もみあげを刈り上げた厳つい髪型もあって、マネージャーというよりはチンピラのようにも見えた。

「お電話いただいた刑事さんですね。どうぞこちらへ」

 彼は愛想よく速水たちを会議室へ案内すると、テーブルにつくなり名刺を手渡してきた。

「秋森しずくのマネージャーをしている渡辺です。今日は秋森のことでお話があるとか?」

 槇原は名刺を受け取って自己紹介を返し、渡辺が椅子に座るのを待ってから話を切り出した。

「蓑田茂氏が殺害された事件については、もうご存知ですか?」

「ええ、もちろんです。業界内であの事件を知らない人間なんていませんよ」

「実は、お話というのはその事件に関わることなんです」

「やはりそうでしたか。一時期、よく彼の番組に秋森が呼ばれていたので、そうかもなと思っていました」

「渡辺さんから見て、秋森さんと蓑田さんはどういった関係に見えましたか?」

 槇原がいきなり踏み込んだ質問をするが、渡辺は質問の意図がわからないと言いたげに首を傾げた。

「どう、と言われましても……普通にプロデューサーと出演者、という以上の関係はなかったと思いますよ」

「お二人の間に、親密さや険悪さを感じたことは一度もなかったんですか?」

「そうですね。もちろん撮影現場に入ったら挨拶とかはしますが、それ以外で特に雑談をしたりとかはなかったと思います。収録の打ち上げとかも、蓑田さんは徹底して演者とスタッフの席を分けていましたし……蓑田さんと秋森が親しくなるきっかけ自体、あったとは思えませんね」

 速水の目から見ても、渡辺が嘘をついているようには見えない。蓑田も秋森も、それだけ徹底して関係を隠していたということなのだろう。

 槇原はしばし黙考してから、別の角度の質問をぶつける。

「渡辺さんから見て、蓑田さんはどういった方でしたか?」

「そりゃあもう、恩人って言っていいでしょうね。秋森はもちろんですが、うちの事務所のタレントが何人もお世話になっていますし、蓑田さんがいなかったら秋森もここまで売れてはいなかったでしょうから。私も何度か蓑田さんとお話させていただく機会がありましたけど、明るくて部下や仲間思いで、人の悪口とかも言わないし、ものづくりにプライドも持ってる素晴らしい人でしたよ」

「彼の人格に欠点はなかったと?」

「そりゃあまあ、多少の昔の自慢話や武勇伝に付き合わされることはありましたが……話が面白いもんだからついつい引き込まれちゃって、鬱陶しいとかは思ったことはないですね」

「彼の女性関係の噂については、どうお考えでしたか?」

 槇原の問いに一瞬言葉を詰まらせたようだったが、渡辺は苦笑して答えてくる。

「……女性タレントを抱えてる身としては多少気にはなりましたが、あの人の女性関係の噂は現実味のないものばかりだったので、まともに噂を信じてる人なんていませんでしたよ。もし蓑田さんがうちのタレントと付き合ったとしても、蓑田さんは独身でしたから問題にはなりませんし、うちの事務所としても蓑田さんとより強いパイプができるなら都合がいいですしね」

「蓑田さんと軋轢のあったタレントは一人もいなかったんですか?」

「まぁ、何人か反りが合わない子はいましたね。蓑田さんとのオーディションのあと、自信を失って事務所を辞めた子もいましたし、蓑田さんと仕事したくないっていう子もいました」

「彼女たちの様子を見て、蓑田さんに裏があるとは思わなかったんですか?」

「新人タレントなんて、ちょっと嫌なことがあったら簡単に辞めるって口にするもんですよ。ましてや『プロデューサーと合わないから仕事を断る』なんて言う生意気な新人は論外です。売れてもないのに仕事を選ぶなんて、事務所が許すわけありませんよ」

「つまり、彼女らの言い分をまともに取り合わなかったんですね」

 槇原が念押しすると、渡辺は困ったように眉を寄せた。

「刑事さんたちにはご理解いただけないかもしれませんが、事務所にとって新人タレントなんてのは『人材』なんかじゃなく、十把一絡げの『商品』なんですよ。代わりなんていくらでもいるし、何十人かの内一人でも当たれば万々歳の宝くじみたいなもんです。その癖、ほとんどが素人時代にモテてちやほやされてきてるので、天狗になってワガママが通ると思い込んでるやつが多いんですよ。秋森くらい売れたら話は別ですが、出たての新人の言うワガママなんてまともに取り合ってたら、事務所が立ち行かなくなりますよ」

「商品、ですか」

「誤解しないで欲しいんですが、別に女性タレントに限った話じゃないですよ? 男も女も関係なく、新人タレントなんてのはそういう扱いってことです。数が多くていくらでも代わりがいるからこそ、みんな死ぬ気で活動しているんです。それなのに『オーディションでショックを受けたから辞めたい』だの『プロデューサーと合わないから仕事断る』だの……そんな甘っちょろい考えのやつのために時間を割くなんて、無駄もいいところですよ」

 そう語る渡辺の声には、微塵も罪悪感がなかった。おそらく彼らの業界では常識的なのだろうが、速水にはとても理解できない世界だった。

 槇原も同感らしく、険しい顔のまま別の質問をぶつける。

「ところで、高樋光男という男のことをご存知ですか?」

「高樋? 業界関係者にそんな人いたかな……」

「いえ、業界関係者ではなく秋森しずくさんのストーカーだという話なのですが」

「あー……秋森がデビューしたての頃に、そんな男の話を聞いた気がしますね。でも詳しく聞いたらストーカーの証拠なんて何もなかったし、むしろイベントによく来てくれるファンみたいだったんで、私から秋森に説教してやりましたよ。『ファンを選り好みするな』って。それ以来、特に話題にも上がらなくなりましたね」

「……そうですか。最後に、昨夜二十二時から二十四時の間、あなたはどこで何をされていましたか」

「その時間でしたら、秋森に付き添って番組の収録に行ってましたね。二十三時半くらいには終わって、そのまま二人で事務所に戻って、翌日の深夜一時までスケジュールとかの打ち合わせしていました」

 渡辺の証言は秋森の供述と一致していた。念のため、事務所の防犯カメラ映像を確認して裏取りをすることになるだろうが、秋森と渡辺のアリバイは確定したと見てよいだろう。

 用事が済んだので会議室を辞去しようとすると、渡辺が速水を呼び止めてきた。

「刑事さん、タレントの仕事に興味ありませんか? あなたならすぐトップに立てると思うんですよね」

 タレントを商品扱いしているという話を聞かせたあとに、まさかスカウトしてくるとは――速水は呆れを通り越して感心する思いだった。

「いえ、結構です」

「そうですか? まぁ、刑事の仕事が嫌になったら連絡くださいよ。あなたなら絶対売れると思うんで」

 軽薄なセールストークを受け流しながら、速水は槇原を追って事務所を出た。駐車場に止めていた車まで戻ると、助手席に座った槇原が独り言のように言う。

「芸能界ってのは、どうにも理解できない世界だな」

「同感です」

 マネージャーというのはタレントの味方だとばかり思っていたが、実際はそう簡単な関係ではないようだ。

 蓑田のようなプロデューサーに食い物にされ、自分を守ってくれるはずのマネージャーは助けるどころか追い打ちをかけてくる。そんなつらい目にあっているというのに、秋森たちがどうしてタレントなんて仕事を続けていられるのか、速水はやはり理解できなかった。

「ま、そこについては俺らが深く考えてもしょうがねぇな。それより、次の聴取対象を決めるとするか」

 言いながら、槇原は蓑田のメッセージアプリから抽出した参考人リストに目を通し始める。速水たちが聴取を担当する参考人の中で、最も容疑が濃いとされていた三人の聴取は終わったので、リストの中から次の参考人を選ぶのは当然なのだが、速水にはまだ気になっていることがあった。

「あの……高樋という男の件、どうしますか?」

「秋森のストーカーの話か? ストーカーなら生活安全部の仕事だろ。あっちで解決できなかったんなら、こっちで勝手に嗅ぎ回るわけにもいかんしな」

「そうですが、彼が今回の殺人に関わっている可能性はありませんか?」

「秋森をストーカーしてたなら、蓑田と秋森の関係を知ってた可能性はあるかもな。蓑田を殺せば秋森が自分のところに帰ってくる、みたいな妄想をこじらせてる可能性はあるが……峰村と渡辺の話だと、高樋は秋森に脅迫や暴行はしてなかったんだろ? ストーカー行為がエスカレートしてる傾向もなさそうだし、高樋を調べるにしても、まずはこの参考人リストを潰してからだ」

「わかりました」

 漠然とした違和感が胸の中に残ってはいたが、槇原の方針は妥当に思える。

 速水は迷いを振り切って、夜の街へ車を走らせた。

 ――数日後、この判断を激しく後悔することになろうとは、この時はまだ思いもよらなかった。

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