2
東都テレビは六本木の高層ビルにオフィスを構えていた。
エントランスで蓑田の関係者とのアポイントを取ると、小綺麗な応接室に通された。三十分近く待たされて痺れを切らし始めた頃、ようやく応接室のドアが開く。
「お待たせしてしまって申し訳ありません! どうしても外せない会議が入ってまして」
入ってきたのは、小柄で小太りの男だった。小走りにこちらに寄ってくると、槇原と速水に名刺を渡してくる。
「東都テレビのディレクターをしている鏑木といいます。この五年は蓑田さんとよく一緒に仕事をさせていただいてました」
「警視庁捜査一課の槇原です。こっちは同僚の速水。お忙しいのにお時間を作っていただいてありがとうございます」
「いえ、それはいいんですが……あの、蓑田さんが殺されたっていうのは、本当なんですか?」
「えぇ。今朝方、自宅付近で殺害されているのが発見されました。ちなみに、鏑木さんは昨日も蓑田さんとお仕事をされていたんですか?」
「はい。番組の撮影がありまして、十九時から二十一時半までは同じスタジオで仕事をしていました。その後六本木で打ち上げがあったんですが、蓑田さんだけお帰りになりました」
「ちなみに打ち上げというのは何時までされていたんですか?」
「えっと……二十三時にはみんな解散してましたね。なかには二次会に行った人もいたみたいですが、僕は家族がいるのですぐ帰りましたね」
二十三時に六本木にいたということは、昨日の夜中に五反田に行って蓑田を殺害することは一応可能だ。また、二十一時半に蓑田が六本木にいたということは、彼の死亡推定時刻も大幅に狭められそうだった。
槇原もそれをすぐに理解しただろうが、まったく顔に出さずに質問を続ける。
「蓑田さんは職場ではどのような方でしたか?」
「それはもう、うちでは神様みたいな存在ですよ。なんて言ったって、東都テレビのバラエティ番組といえば蓑田さん、っていうくらい社内外で評価されていましたしね。テレビ業界全体で見ても、あの人の才能は五本の指に入るんじゃないかな」
「それだけ優秀だったということは、出世争いなんかもあったんでしょうね」
「そりゃあまったくないわけじゃないですが、あの人はなんと言っても実績がとてつもないですからね。十年以上続く長寿番組を持ってて、若手のタレントを起用してはブレイクさせ、視聴率だけじゃなくグッズ販売でも圧倒的な結果を叩き出してますから。羨むことはあったとしても、蓑田さんの出世に不満を持つ人はいなかったと思いますよ」
「では、蓑田さんの出世に嫉妬していた人物などはいますか?」
「うーん……正直、ぱっと思い浮かばないですね」
「本当ですか? それほど派手な活躍をしている方でしたら、嫌でも嫉妬の的になりそうですが」
「蓑田さんの場合、あまりにも実績が圧倒的なもんで、羨みはしても嫉妬の対象にはならないんですよね。それこそ本当に神様みたいなもので、自分がああなれたかもとかは想像できないっていうか」
「……なるほど」
聴取の手応えがまったくないので、槇原は一呼吸おいてから速水に視線を投げてきた。ここからはしばらく選手交代ということだろう。強面の槇原には本音をしゃべりにくくても、女の自分になら話しやすいこともあるはずだ。
速水は笑顔を作って身を乗り出してから、鏑木に変化球をぶつけてみる。
「初歩的な質問で申し訳ないんですが、蓑田さんはテレビプロデューサーというお仕事をされていたんですよね? 私たち素人には仕事の内容がよくわからなくて……よければ、ご説明いただけますか?」
「ええ、それはもちろん」
鏑木は見るからに表情を明るくすると、身振り手振りを使いながら説明する。
「テレビ番組のプロデューサーっていうのは、番組をゼロから企画して進行する役割ですね。例えば、深夜の時間帯で新しいバラエティ番組を作れっていうオーダーが上から降りてきたとして、どの層をターゲットにするのか、どう面白くするかを詰めていくのがプロデューサーの仕事ですね。他にも予算管理であったり、放送中の番組の新企画を考えたり、視聴率に応じて番組内容を再構築したり……とにかく、番組制作の全体を統括して指揮するのが、プロデューサーの仕事というわけです」
「それは……大変なお仕事ですね。では、鏑木さんのされているディレクターというお仕事は?」
「私たちディレクターは、番組撮影の現場監督みたいなもんですね。予算とかはこっちに裁量はないので、プロデューサーに決められた範囲内で工夫して収めるって感じですね」
「それじゃあ、予算のことでプロデューサーと意見が食い違うこともあったんじゃないですか?」
「ハハハ! そりゃもちろんありますけど、番組をよくするための議論ですからね。険悪な雰囲気にはなりませんし、そういうのを取りまとめるのがうまいからこそ、蓑田さんは敏腕プロデューサーなんですよ」
「蓑田さんは本当にすごいプロデューサーだったんですね」
「ええ、それはもう!」
鏑木の受け答えが十分にほぐれたのを確認してから、速水は更に踏み込んだ話題を切り出す。
「それだけすごい方だったら、きっと女性にもモテていらしたんでしょうね。ご結婚はされてなかったようですが、蓑田さんの女性関係についてはご存知じゃありませんか?」
「……あー、そうですね」
油断したところにいきなり急所をつかれたのか、鏑木は目を泳がせて明らかに動揺した様子を見せ始めた。
当たりだ。合図を出すまでもなく、再び槇原が聴取の舵を取る。
「なにかご存知のことがあるんですね? 犯人を特定するために重要な情報かもしれません。話してください」
「いや……でも、この業界って眉唾物のゴシップがとにかく多いので、刑事さんたちに話していいのか判断が……」
「情報が間違ってるかどうかはこちらで調査して判断します。今はひとつでも多く情報が欲しいんです。お願いします」
槇原の迫力に押される形で、鏑木はようやく重い口を開いた。
「そこまで言われるならお話しますが……この業界の有名人となると、嘘だか本当だかわからない噂がとにかく多いんです。大御所俳優の奥さんに手を出して殺されそうになったとか、有名アイドルグループのメンバー全員とヤったとか、若手のタレントを集めて乱交パーティをしてるだとか。そういう噂の真偽を聞いてみても、本人も面白がって強く否定しないもんだから、ますますその手の噂に尾ひれがついて……まぁその繰り返しですよ」
「蓑田さんと一緒にお仕事をされた時に、蓑田さんの女性関係について何かお気づきになったことなどはありませんか?」
「実を言うと、何度か妙だと思うことがあったんですよね。バラエティ番組にはたいてい、アイドルやグラビアアイドルといった女性タレントをキャスティングすることが多いんですが……キャスティングされた女の子の中に、何人か蓑田さんにやたら親しげな態度を取る子がいたんです。付き合ってるんじゃないかって噂も立ったんですが、そういう子はすぐキャスティングされなくなって、結局真実は藪の中ってことが何度か」
「具体的にはどのくらいですか?」
「そうですね……僕が一緒に働いてた五年の間でも、五、六回はあったんじゃないかな」
一年に一回のペースか。普通に付き合って別れてを繰り返しているのなら、それほど不自然な間隔でもない。だが気になることがあったので、速水は聴取に割り込むことにした。
「ちなみに、その女性のことは覚えていらっしゃいますか?」
「どうかな。うーん……正直、その後すぐに干されて名前を聞かなくなった子たちもいるから、ちょっとパッとは出てこないですね」
つまり、蓑田の胸先一つで簡単に業界から追放できるようなタレントを、積極的にキャスティングしていたのか。
そうなってくると、犯人は彼に使い捨てられた女性タレントという線も考えられる。だが、女性が男性を殺す計画を立てるとして、わざわざ撲殺という手段を選ぶものだろうか。よほど体格に自信があるなら別だが、男性からの反撃を恐れて、より確実に殺傷できるもの――例えば刃物や毒物など――を凶器に選ぶのが一般的な女性心理ではないだろうか。
今はそこまで考えても仕方がない。速水はすぐに考えを打ち切ると、槇原に目配せした。
こちらの質問が終わったことを察すると、槇原は鏑木に頭を下げた。
「ご協力ありがとうございました。他の局員の方にもお話をうかがいたいのですが、構いませんか? お仕事の邪魔にならないようにしますので」
「それはもちろん」
挨拶をして応接室を出ようとしたところで、後ろから鏑木に呼び止められた。
「あ、あの! 犯人のこと、絶対に捕まえてくださいね。確かに女性関係では変な噂が尽きない人ではあったけど、僕らテレビマンからしたら本当に神様みたいな人だったんです。あの人の作った番組を見て、どん底の時にバラエティの力で救われて、この世界を目指したやつだって山ほどいます。だから……」
「ええ。捜査には全力を尽くします」
槇原は力強く答えると、応接室をあとにした。考え事をしながらその背中を追っていると、槇原はこちらを振り返って苦笑する。
「女をモノ扱いするやつが尊敬されてるのが、気に入らないか?」
「……いえ。まだ不確定情報ですから」
「不確定なもんか。独身で、風俗街のある五反田に住んでて、芸能界で一目置かれる権力者の上、女性関係の黒い噂が絶えない。どう考えても真っ黒だ。これで蓑田が女に恨まれてなかったら、俺は刑事を辞めてもいいね」
槇原の言う通り、状況的には完全に蓑田の女性関係が乱れていたことを示している。女性のひとりとして、そのことに嫌悪感を抱いていないといえば嘘になる。
「それにしても、神様とは皮肉なもんだな」
「何がですか?」
「絶対的な権力を持ち、手当たり次第に女に手を出した挙げ句、最後には女たちを破滅させる……蓑田って男は、まるでギリシャ神話のゼウスみたいなやつじゃないか?」
「それってどんな神様なんですか?」
「知らないか? 嫁が三人もいるのに、何度も人間の女に一目惚れしては、問答無用で手篭めにするような神様さ」
「……ひどい神様がいたもんですね」
「残念ながら、ひどくない神様ってのを拝んだこともないけどな」
吐き捨てるような槇原の言葉に、速水も無言で同意するしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます