第5話 平和の像

「本当にお久しぶりですね。

何年になるでしょうかね?」


マスターはそう老人に聞きながら、席に着いた。

「確かあなたのお父さんが亡くなってすぐだったから、かれこれ20年になるよ。」

そうそう。今日はこれを持って来た。

老人は古びたパイプを出して見せた。


「あぁ、懐かしいですね。

   父が愛用していた物です。」


「私は昔から呼吸器が悪くて煙草は吸えないのだが、亡くなる前に病院へ会いに行った時に、形見に受け取ってくれと言われてね。」


「今日この鵠沼の海に行くからコイツも連れて来たのさ。まだ微かに甘いメープルシロップの様な香りが残っているよ。」

老人は嬉しそうに話した。


老人とマスターの父は、中学生の頃にこの鵠沼海岸で出会い、仲良くなり夏休みに家族と北鎌倉の別荘に来る度によく遊んだのだ。

いろいろな場所を案内してくれた。

有名な鶴岡八幡宮や大仏、由比ヶ浜に江ノ島、一緒にお寺も沢山巡った。

有名所を行き尽くすと、藤沢にある義経の首洗い井戸など、当時、地元の人しか知らない様な場所にも連れて行ってくれた。

そして決まって黄昏時はこの鵠沼海岸で富士山と夕陽を眺め、語り合った。

逆に彼が東京に来た時は、白藤青年が浅草や日本橋、上野動物園など観光案内をした。

そして白藤青年が高校を卒業して、帝国美術学校に進むと、彼も陶芸家を目指して鎌倉で修行に入った。

その後、あの戦争が二人を引き裂いた。

呼吸器疾患のある白藤青年は学徒出陣を免れたが、彼は戦場に駆り出された。

そして二人が再会するのに、戦後10年を要した。

再会した時には彼は右目と、左足首より下を失なっていた。

それでも晩年まで陶芸活動を続けたのだった。


「平和の像の話は父から聞きましたよ。

お世話になったようで、ありがとうございました。」マスターが言った。

すると老人は「いやいや~大した事はしてないよ。」と返す。


老人の孫が口を開いた。

「平和の像ってなんの事ですか?」


「サーフビレッジの横…県立湘南海岸公園にある像だよ。右手に鳩がとまっている男性の像さ。太平洋戦争の遺族達と藤沢市で、1965年に建てたんだ。」

「後で海に行ったら見てみてくださいよ」

笑顔でマスターが言った。


「さて、もう一杯頂こうか。」と老人が言うと、マスターはカウンターへ戻って行った。


昭和十一年

翌朝、使用人の杉さんがやって来た。父は昨夜親戚の家に車を借りに行って、そのまま向こうに泊まり今日戻って来ると言っていた。

母が事の顛末を杉さんに話している間に自分達は北鎌倉へ向かう準備を済ませた。

昼前に父が車で帰ってきた。

「杉さん!話は聞いたか?」と父


「ええ。伺いました。」


「危ない橋を渡る事になるがやってくれるか?」


「はい。旦那様のお役にたてるのならば喜んで、同じ旧幕臣の家の旦那さんに拾ってもらわなければ今の私はおりませんしね。」


「そうか。すまないがよろしく頼む。」


田中元曹長は父にお辞儀をして。

「自分の軍服は燃やしてください。」

それとこれも、田中元曹長はポケットから紙を取り出し父に渡した。

「これは…」


下士官兵二告グ

一、今カラデモ遅クナイカラ原隊二帰レ。

二、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺…


29日に首相官邸に飛行機からばらまかれた降伏勧告のビラです。


「あぁ。ラヂオで聴いていたよ。」

「わかった。軍服と共に焼却する。」


「ありがとうございます。」


それでは車へ。

母は玄関で三人を見送った。


「杉さん。運転に気を付けてな!」

「はい。フォード モデルAなら任せてください」と杉さんは笑いながら言った。


「あちらに着いたらすぐに電話をよこせよ。」

父が言うと、青年は頷き。

「行って来ます。」と元気に答えると、車に乗り込んだ。


フォードは走り出した。

         一路北鎌倉へ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る