第4話 古都の北

翌日、青年は朝早く起きると、冷たい水で顔を洗って気合いを入れた。

洗面所から居間に行くと、両親も男もすでに起きていて、何やら話をしていた。


さくさくっと食事を済ませると、上野駅に向かう準備をした。

男が言った。

「それらしき人物を見つけたら、茨城出身の元曹長を知っているか聞いてくれ。

ヤツは羽織を着ているだろうが、おそらくその下は軍服のままだろう。

よろしく頼んだ。合流したら尾行に気を付けて戻ってくれ。」


「気を付けて行くのですよ。」と母が心配そうに声をかけた。


父は男の横で頷くと、青年に懐中時計を渡した。

「行ってきます。」青年は家を出た、そして

いつもより早歩きで上野駅を目指した。

駅までの通りは普段より車が多い印象だ。

戒厳令が出ていたせいだろうか。

辺りを気にしながら上野公園に着くと、彰義隊の墓から30メートル位離れたイチョウの木の脇で男を待った。


青年は懐中時計を取り出して時間を見る。

7時過ぎ。9時までに現れなかったら待ち合わせは中止との事だった。


朝のピンと張り詰めた空気の中、青年はじっと待った…

少し経った時、二人組の警官がこちらに歩いて来るのが見えた。

怪しまれまいと、すぐ側にあった南天の葉を摘み始めた。

青年の心配をよそに、警官達は目の前を通過ぎて行った。


それからも寒さに耐えて待ち続けたが誰も現れなかった。


時計を見てみると、もう9時を過ぎていた。

もしかしたらと思い、10時前まで待ったが誰も来る事はなかった。

青年はもっと待とうかと考えたが、あれだけの事をした軍人の仲間だ、時間厳守で行動するだろうし、皆自分に何かあったかと心配するだろうから家に戻る事にした。


すっかり肩を落とした青年は玄関を開けた。

母が待っていた。

すぐ父と男が来て。

「吉川上等兵はどうした!」

思わず男は仲間の名前を口にした。

それらしき人間は一人も来なかったと伝えると、男は「仕方ない。途中で予期せぬ事があったのだろう…」

小さい声でそう言うと、青年の肩に手を起きご苦労だったと労った。


居間で火鉢を皆で囲んで餅を焼きながら、ラヂオで事件の情報を聞いていたが、吉川上等兵に関する事は何も流れて来なかった。


すると、男は自分の名前は田中だと名乗って。こうなっては自分一人で茨城に戻ると口にした。

しかし父はそれはやめた方がいいと意見した。これほどの大事件だ。かつて士官学校にいた人間、ましてや歩兵第1連隊の者など、しらみ潰しに調査するだろう。いくら実家の近くに潜伏しても見つかるのは時間の問題だ。かと言って、いつまでもここにいるのも

皆で考え込んだ。

沈黙を破ったのは母であった。

「それならば、北鎌倉の別荘に行くのはどうかしら?あそこならお隣さんとも離れているし、ラヂオも電話もあるわ。」


なるほど。それはいい案だ!

父はすぐ電話を手に取り、使用人に電話をかけた。


風邪の調子もよくなったので、明日、家に来てくれるそうだ。


田中元陸軍曹長は呆気に取られた顔をしていた。

なぜにそこまでしてくれるのか、彼には分からないでいた。

自分は一君万民の為に蜂起したが。今は賊軍の人間だ、叛乱部隊だ…


田中元曹長が父に問いかけたが、父は彼の手を握り、「いいんだ。いいんだ。」と言うと彼は深々と頭を下げた。


「明日、使用人の杉さんが来るから、そうしたら車で三人で北鎌倉へと向かうんだ。

その後の事は電話で伝える。」と父が言った。


「三人!?」青年と田中元曹長が同時に口にした。


「そうだ。自分達は行けないし、杉さんは歳だからな。至らない所はお前が助けるのだ。これは命令だぞ。学校には私が連絡しておくからな。」

なぜか少し嬉しそうに父は言った。

すると母が、すかさず父の着物の袖を引っ張って奥へ連れて行った。


呆気に取られた青年と田中元曹長は思わず目を合わせた。


カランカラン

その音で老人は店の入り口を見た。さっきまで店にいた女性が帰ったみたいだ。


ふぅ~と息を吐くと、マスターを呼んで孫と三人で昔話でもしようと誘った。







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