第2話 拳銃と寒椿
翌日、老人は孫に電話をかけてみた。
たまたまその日は仕事も休みで、予定もないとの事だったので、海に連れて行ってくれないかと頼んでみたら、孫は快く了承してくれた。
彼は足が不自由なので車椅子を使っている。
行き先を孫に伝えると車より電車がいいだろうとの事だった。
一時間後くらいには迎えに来れるとの事なので、老人は仕度を始めた。
着替えが終わると、机の引き出しから年季の入ったパイプと、1枚の小銭を取り出して上着のポケットへしまった。
小銭は昔の五十銭硬貨であった。
その銀貨には鳳凰と菊の御紋が描かれている昭和十一年の物だった。
迎えに来てくれた孫に車椅子を押してもらい家を後にする。
最近は外出するのは病院に行く時くらいだ。
孫も驚いたみたいだ。
「おじいちゃんが海に行きたいって言うなんてなぁ~どうしたかと思ったよ。」
「昔、北鎌倉に別荘があった時は、よく鎌倉 の海に行ったとは聞いていたけどね」
と孫が言う。
「そうそう。よく行ったもんだよ。
急に思い出したら行きたくなってな。」
「20年くらい前まではよく行ったもんだ。一度連れて行っただろう。お前が中学生の頃だったかな。」
ひさしぶりに電車に乗り込み窓からの景色を眺める老人。
今日はうっすら雲っているな。
あの日と同じように…
だが、あの日はうんと寒かった。
1936年2月29日。
二・二六事件発生から三日後。
その日の夜に、青年はあの男と出会う事になる。
27日 天皇陛下が奉勅命令を裁可。
決起部隊に原隊復帰を求める。
28日 反乱部隊の武力討伐決定。
29日 戒厳司令部が武力鎮圧を許可。
午後には反乱部隊の帰順が始まる。
厳戒司令部が事件終結宣言。
事件もとりあえず終息したらしく、両親も安堵した様子である。
今日の夜は鍋にすると母は張り切っている。
父は沢庵をつまみに酒を飲み始めた。
青年はこの四日間ずっと家にいたので、素振りでもして身体を動かそうと、竹刀を手に取り裏庭に出た。
まだ18時前だが既に暗かった。
邪魔な物干し竿を外して、放り投げた時、
ガサッと音がした。
庭の椿のある辺りからだ。
またタヌキかイタチかと思い、近くに歩み寄って竹刀で椿の側の地面を二度叩いた。
すると、椿の植木の中からすっと手が出てきた。
その手には黒光りした拳銃が握られていた。
拳銃の銃口は、まっすぐ自分に向かっていた。
驚きのあまり、竹刀を地面に落とした。
そして男がゆっくり歩み出てきた。
「大声を出すなよ。」
その男は灰色のコートを着ていたが、中には軍服を着ていて、襟章は付いてなかった。
腰のベルトには軍刀。
青年は声など出やしなかった。
そこに「夕食にいたしますよ~」と
母の声。
その後すぐに父が呼びに縁側に出てきた。
男は拳銃を父に向ける。そして
「黙っていれば悪いようにはしない。
自分は既に天誅を行って来た人間だ。
これ以上人を殺させるな。」
と父を脅した。
「そうか…わかった。
今回の事件に関わった者のようだな。
抵抗はしないから、とりあえず家に上がりなさい。」
父は落ち着いてそう言った。
さすが第一次世界大戦に従軍した経歴を持つ人だ。肝が据わっている。
そう言われると、男はうなずいた。
男を居間に案内すると母は仰天して、お盆から器や箸を落とした。
男は拳銃を構えたまま言った。
「この拳銃には六発の弾が入っている。
お前ら全員を殺せるからな。」
父は拳銃を見て
「二十六年式拳銃か、懐かしいな。」
「わかったよ。拳銃は持ったままでよい。
とりあえずお茶でも飲みながら訳を話してくれはしないか?」
父にそう言われると男はうなずき、腰を下ろした。
父はなぜ家の庭に潜んでいたのかと問いかけたが、男は黙って本棚の上の写真を見ていた。
少し間をあけて男が口を開いた。
「この写真の兵隊はあなたですか?」
「そうだ。自分は作戦で青島に行った事があってな。その時の物だよ。歩兵第34連隊に所属していたよ。」
「歩兵第34連隊…
通称橘連隊ですな。
士官学校にいた時に習いました。」
「そうでしたか。軍にいた人間ならば、なぜ我々が決起に至ったのか、少しはお分かりになるでしょう…わかりました。お話ししましょう。」
そう言うと男は拳銃をホルスターにしまい、湯呑みを手に取り、話し始めた…
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