第8話 住吉三神様が私の人生に関わるのは?

さて・・・


「住吉三神様」

日本神話に出て来られる神様だ。だが、私はそのような神様は当然、知らない。


天照大御神様以外は知らないとも言える。


では、なぜこの神々様がご縁あるのかと言えば、サインがきたからで。


前回で、お話したブログの彼がよく参拝していたからなのだ。


だから?

どうだと?


だが、サインは既にきているのである。


まず、その神様が気になる。

だから、また調べて読む。

そして、その神社に行きたいな。と思い始める。


そして、ここが最大のサインになる。

それは、あちこち移り住んできた、私の最後に来た土地が大阪だという事だ。


住吉大社は大阪にあるのだ。


これは、もう、お膝元に帰らされたと言えるのではないか。。。


だが、未だに私はその住吉大社には参拝していないのだ。


なせだ?

縁などないではないか。


いや、違うのである。

本気で一人で行こうと思えば行けるのである。


しかし、なぜか、参拝する事になるのは、全く違う、しかも、大きな神社だったりするのだ。


私は誰かに連れられて足を運ばされる。つまり、誰かに誘導されてご縁を頂くのだ。


中々、住吉大社には足を運べないものの、三神様が気になる。

そして中でも、中筒男命様にばかり、目が行くのだ。


きっと、自分との縁が特にあるのではないか。。。


そう、考えてしまうのである。


では、なぜ、住吉三神様は私を誘導にて来させないのか?


その疑問にあたる。。。


今生、そもそも考えてみれば、神様ではなく、仏様ばかりだ。


そうして、頭をよぎるのである。


また、記憶だ。


それは、とある番組で霊能者が言っていた言葉だった。


「神様に預けられる。」


「仏様に預けられる」


この「預けられる」と言う言葉だ。


この事が真ならば、人は皆、誰かの元へ帰り、また、帰るまでの間、誰かに預かって貰う。


と言う事が考えられるのだ。


これは朗報か?

それとも、こじつけになるのか。。


何かはわからない。


だが、私の中では辻褄が合うのだ。


これは、人には理解できないかもしれない。しかし、感覚ともいう自分自身が確かに感じるのだ。


思考で考え、そうだ、そうなんだ、・きっと・・・と、感覚で捉えているのである。


間違いない。住吉三神様は、私の親に当たるのではないかと。


親とは、育ての父と言う意味だ。


血を受け継ぐとかではない。


教え、育てられると言う意味。


これは、私だけに言えるのではなく、皆も同じだと考えられる。


人は誰でも何方かの元へ帰る。


きっとそうだ。。。


だから、私は日本にて生まれ、日本人なのだ。


やっと、ヒンズーの神様と日本の神様が出てこられた。。。


あれ?


神様同士、中が良いのか?


また疑問に当たるではないか。


それに、キリスト教の神様はどう関わるのか?


私の人生に関わりがあるであろう、神々様。


考えてみれば、日本の神様、ヒンズーの神様、キリストの神様、


そして、仏教の仏様。。。


多種多様に一人に、いらっしゃるものなのか。。。


うーん。。。


神々様同士の関係とは如何なるものなのか。。。


疑問はまだまだなのである。。。



次回へつづく・・・




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