第6話 今生の記憶と目の前に現れる事

前回まで、今生の記憶を辿りながら、考えてきた。


が、結局、まだまだ、自分自身の根本には辿り着けないわけで。


すると、不思議な現象が起きてきた事を思いだした。


実は、私はアナログ人間で、スマホを初めて手にしたのも、仕事上仕方なくだった。約2年前の事だ。


そのスマホから、触り触り、ドキドキしながら、ブログと言う物を始めたり。我ながら、信じれない事だ。


そんな頃、ユーチューブでの動画はもっぱら音楽🎧ばかりだった。


好きなアーティストを検索し、好きな時に好きな楽曲がきける。


なんて、凄いんだと、思った。


その音楽🎧からいきなりのメッセージが目の前に現れたのである。


私はいろんな楽曲は聴くが、マントラと言うような類いなど、知りもせずだった。しかし、現れたのである。


偶然か?

しかし、偶然とは思えない。


その証拠に、その意味を知り得た時、二度と、偶然には現れなくなったからだ。


それは、ヒンズー教の神のガネーシャ神のマントラだった。

像のお顔で、その絵に描かれたお姿は、愛嬌ある可愛らしい、また、音楽に合わせたマントラが明るく、軽快だった。


当時、私は全くガネーシャ神など知らず、唯、可愛らしい絵だと、我ながら、なんと、バチあたりな。。。


勿論、ヒンズー教は名前は知っているが、中身等全くの無知であった。


その絵が神様である事を直ぐに知り得た私は、勿論、検索し、ヒンズー教の神について読み漁る。


すると、何て恐い神々なんだと、日本人でよかった。そう思った。


だが、「パーリー語」など、聞いた事があるキーワードに当たるではないか。


「あれ?」となるわけだ。


昔の記憶を呼び起こせば、仏教の教えを説くお寺に通っていた時分を思い出す。


確かに、仏教だが、パーリー語と言うようなお経があったのを思い出す。


そして、尚も、さかのぼる事若かれし頃、テレビで見た事がある仏教の世界についての番組が脳裏に現るではないか。。。


なんと、恐ろしいことにその番組で言われていたのは、ヒンズー教の神々が、お姿を変えて、仏教の仏様となり、鎮座されていると。。。


それを思い出し、なんて、恐い!


あんな恐い神々様が、日本に?


そう思った。


だが、全ては偶然ではなく、必然だと知る事になる。

なぜなら、確信があった。根拠はない。


だが、自分が参拝してきた神仏様の割合いを考えても、「神様」ではなく、「仏様」が大半だったからだ。


そして、総合的に考える、こじつけになるかもしれないが、


仏教であり、ヒンズーであり、歌詞のない音楽などを好む自分。リズム、音、

イメージにしか過ぎないが、自分の元はヒンズー教にあるのでは?


となるわけだ。するとどうだろう、あんなに聴いていた、マントラは無くなり、現れなくなった。


あぁ〜、間違いない。


恐い神々様なんだと。。。


しかし、あれから随分とヒンズー教の神々様に触れる事をしてきたが、

勿論、読み漁って。(頭にはほとんど残っていない。)


ヒンズー教の神々様に親しみがわき、今では、恐いシブァ神様のファンなのである。


あぁ〜。シブァ神様はきっとこんなイメージだと、勝手な偶像に辿りついた自分自身なのであった。。。😓😓😓




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