第3話  理解されない私の好み

どんな人にも、好みがあるだろう。


例えば誰かを好きになったり、


それが、どこかのアーティストだったり、何かのキャラクターだったり・・・


十人十色とは言うけれど、自分の好むのを他者が、認めてくれるとは限らない。


また、逆に、他者が好む物を自分も好むかと言えばまたそうはいかなかったり。


しかし、人気が出るアーティストやら、食べ物等、一定の同じファンがいるのは、好みが同じだと言う事になるわけだ。


食べ物に関しては昔から日本人には親しまれ、好まれているものがある。


この共通して、好んだり、好まなかったり。これは、どこから来るものだろう。自分と共通する何かがあるから、共通するのではないか。


そう考えれば、これは、もはや、広い意味での事が考えられる。


同じ日本人と言うことや、地球人であること。


そんな事を考えれば、人類は皆同じ血が流れている事になるのでは?


スケールは広くなるわけで。。。



さて、話しは戻り、私は私の好む音楽や、異性など、周りからは、理解されない事が多かった。


特に音楽の趣味となれば、強烈に惹かれるものに関しては全く理解されない。


「なぜ?」「どこがいいの?」等だ


そして、乙女の時代にそのような人に出会えば、彼女達は決まって言うのだ。


「容姿がかっこよくない。」


「歌声が嫌だな」


そして、気を遣う友人からは、「曲は聴ける」なんである。


この時代の乙女な友人達の「かっこいい」の視点はまるで私とは違っていたのだ。


彼女達からみて素敵なのは、まずは、整った容姿、衣装。


声や楽曲の綺麗なポップな感じ。


つまりは、アイドルのような感じと言うわけだ。


当時は丁度バンドブームとも言われた時代。彼女達が好むアーティストは、やはり一定にファンがいる人気な人達が大半だったわけだ。


したがって、私は少数派なのか、変わり者とされていた。


しかし、そんな「風変わり」なカッコで括られたような私の好み。


私は自分の中でなぜか、誇らしげだったのを覚えている。


「私だけが知っている、彼らの良さ。」

「他の人とは違う自分。」


この「他の人とは違う自分。」に対しては、なぜかは、わからないが、


「皆とは同じじゃない」


これになぜか個性を感じ誇らしかった。


今思えば、この思いは、ひょっとしたら「自分の存在意義」に繋がっていたのではないか?


そんな事を感じてしまう。


そんな乙女の時代からもう、30年以上過ぎたが、やはり私の趣味である好みはあの頃とは変わらない。


だが、あの頃感じていた


「私だけが知っている彼らの良さ」


等の自分の中の誇りはなく、唯、やっぱり何年経とうが、変わらず好む自分がいて、また、当時を懐かしむ自分がいるのだ。


そして、未だ活躍している歳を重ねた彼らから、あの頃以上に親しみを感じ、より魅力を感じているのだ。


この好みが違う自分自身を大事にしていきたい。。。



次回は視えない世界からの自分探しをしてみよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る