第2話 私の性格は何処から来たのか?

前回からのお話で「自分とは?」を書いてみた。


他人の事は見えやすいが、自分の事は見えにくい。


とは、よく言われるが、


「私と言う自分」


自分のこの性格は何処から来たのか?

なんでこんな性格なのか?


この性格、人格が確立されるには

環境、そして元々持っているもの。


とがあると聞く。つまりは、先天性と後天性。


私は昔、保育士をしていたのだが、まだ、首も座らない赤ちゃん。そして沢山の行程を歴て歩けるようになったり、普通の食事ができるようになったり、言葉の始まりとも言う、片言を発声たり。


これらは、みな、肉体、身体的機能が関係する。


しかし、まだ生まれてきて、わずか、46日とかの赤ちゃん。


彼らには既に先天性と言うものが備わっている。


ベッドでスヤスヤと大人の手を煩わせる事なくおとなしい、赤ちゃん。


全くそうではなく、むずがり、中々眠れなかったり。


すでに、赤ちゃんのタイプは一つではない。


こんな生まれて間もない赤ちゃんですら、個人差があるようなのだ。


では、この先天性は一体どこから?


まず、その赤ちゃんは、一人でやって来たわけではない。


両親の元に来た。言わばその家系にやって来たわけで、つまりは、受け継いでいる遺伝子があるわけだ。


私は学者でも、なんでもないわけだが、この受け継いできた遺伝子は、人格に纏わると考えられる。


だが、それでは、その家系の者は大体同じような人格となりうる。


ちなみに、母親からの他家としての遺伝子が加わり若干混ざる事になっても、主は同じなわけで。


では、赤ちゃんとして誕生したその時既に備わりし先天性とは。


ここからは、普通の人があまり考えない領域の話になるのだが。


そもそも、生命が誕生する前から先天性とはあり、それは何処に存在するのか。


自分の基質等は一体どこから?


潜在意識と顕在意識とがあり、また脳は一部しか活動せず眠っているとか。


私は、この使われていない、表に顔を出さない自分自身の部分は、


決して視えないけど、存在する自分自身の魂に相当するのではないかと。


魂なんて、言われても、そんな物見たこともなければ、触れたり、感じる事もほとんどの人がないだろう。



だが、魂がなければ、人はこの世を去り死を迎えた時、何処へいくのか?


死とは、自分自身の存在その物が消え、無くなるならば、なぜ、供養などという事に繋がるのか?


また、ご先祖様なんて、存在するのか?


と言う事にもなるわけで。


となれば、やはり、この世を離れても自分自身は存在する事になる。



そう考えれば、家系に来る前から私は何処にいたのか?

何をしていたのか?

何を感じ、何を求めたり、


私の知らない所で私はどうだったのか?


この、私が知らない所での私こそが、この先天性の部分なのではないか?


こんな事を考えるのである。


今居るここではなく、全く違う所での自分自身こそ、今の自分に繫がり、

それが、時として、顔を出すのではないか?



それが、無意識であり、


好み、癖、明るい、暗いなど、性質、

性格の土台となるもの。


考え方や捉え方の癖などもだ。


一体、私とは何者なのか?


「私は何者である!」と解る人は何処までの自分自身を理解しているのだろう。。。




次回は、どんな展開で書いていこうか。。。


自分自身に辿り着くには難しい。。。

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