三人寄らばバカの知恵〜怪異祓いが入り用怪?〜

夏野YOU霊

三人寄らばバカの知恵〜怪異祓いが入り用怪?〜



「サトリさま、サトリさま、お応えください」


 怪異──それは、この世ならざる事象を指す言葉。


 下校を知らせる放送が鳴る放課後の校舎、俺と友人の三人は階段下倉庫の扉の前に立っている。友人は低い扉のノブを掴んでいる。ごくりと喉が動く様が鮮明に見えた。


「どうかここにおられるなら、お応えください」


 やめようぜ、と俺は前に立つ制服の裾を引っ張ったが、聞きやしない。奴はもう止まらない。俺の後ろの奴などあたりをきょろきょろと見回し、わかりやすく挙動不審。


「二組の生徒達の秘密を教え──────」


 がちゃり、とノブが回った。てっきりノブを握った奴が動かしたのかと思ったが、違う。奴は怯えきった表情で固まっていた。急いでドアを押さえる、間に合わない。ノブが回る、扉が開く。


 乾いた指、細いそれ、ドアの隙間から伸びて掴む。チャイムを切り裂く三人の悲鳴が、放課後の校舎を震わせた。




 ──────




「──ひこ、国彦くにひこ


 ドアを叩く控えめな音と聞こえてくる声。俺はそれに身を起こす。スマートフォンを開いてみれば、時刻は朝の十時過ぎ。


「母さん行ってくるから。朝ご飯は冷蔵庫の中にあるからね。帰り、遅くなるけど……」

「……うん、ありがと、母さん」


 足音が遠ざかるのを聞き、俺は大きく伸びをした。いつもと変わらず肩が重い。カーテンを開ける。昨日まで雨だったのに、今日はすっかり晴れていた。

 ジャージのまま下に降り、トイレに向かいながらスマートフォンでニュースをチェックする。


 平日の金曜日。俺は高校二年生だった・・・。五月頃から早一ヶ月、俺は学校へ行っていない。





 朝飯として残してくれた昨晩の残りを摘む。あまり腹は減ってない。冷蔵庫の中身が随分空いていることに気がついた。今夜の材料には心もとない。

 母さんへ連絡。食材買いに行くけど足りないものある? すぐに既読がついた。トイレットペーパーをお願い、ありがとう。俺は食べ終わった皿を片付ける。


 歯を磨き、顔を洗い、服を着替える。部屋から出るのも、家から出るのも苦ではない。でも学校へは行けない、行くことが、できないのだ。






 少し離れたスーパーで買い物を済ます。色々と調達。メインは安かった鶏肉、母さんは今夜遅いと言っていた。明日の朝食分まで足りるだろう。

 知り合いや俺の顔を知っている人がいないことを伺いながら、道を歩いた。同じ学校の奴らとはあまり会いたくない。いや、会っても構わないのだ。人と会うこと自体は苦ではない。ただそこで、不登校の理由を聞かれたり学校に行こうと誘われたりがしたくないだけで。

 しかしまあ、今は平日の昼間。そうそう人もいるまい。少し、散歩がしたい気分になった。雨上がりの匂いと心地よい日差しが気持ちよかったのだ。肩の重さも、少し楽になる気がした。



 この御霊みたま市を分断する川、土手の上を歩く。風が気持ちいい。見下ろす川、見渡す向こう岸。流石に橋を渡って向こう側まで行くつもりはないが。

 土手を降りる階段に座り込み、川を眺める。こうしていると、まるで今までのことを忘れたような気分になる。世界から逸脱いつだつした存在になった錯覚。……実際は逸脱とは程遠いが。


「────! ──────!!」

「だから────お前────」


 聞こえてきた声、歳の近い学生のもの。なんでこんな時間に? 思い出す、そうだ今の時期は期末考査だ!!

 顔見知りだとまずい、急いで土手の階段を駆け降りた。土手を通過するなら、ここで息をひそめれば大丈夫。


「いいか!? 先にブレーキかけたやつが根性無しの意気地なしだからな!!」

「なァに勝手に言い出してんだクソバカ!!」

「誰がするか阿呆らしい……」

「なんだ〜? こえーのかぁ〜?」


 土手の上から聞こえる声。何をしているのだろう、何やら言い争っている様子だが。


「怖くなんかねェ! バカらしいだけだ」

「ならやってみろよ! ま、ビビリじゃーダメだな〜」

「……ビビリ?」

「……あァ?」


 噛みつくようなやり取り、こっそり上を見る。土手の上には自転車が二台。乗ったのがひとり、押すのがひとり、歩いているのがひとり。見ている間に押していた奴はサドルに乗り、歩いていた奴は荷台へ飛び乗った。


「誰がビビリだオラァ!!」

「行け!! のりとぉ!!」


 そのままペダルを漕ぎ────真下へ突っ込んでくる。




「えぇ────ッ!?」




 おらあぁぁぁ! と叫び声を上げながら突っ込んでくる三人と自転車二台。そのまま下れば川に突撃、俺は轢かれる!!


「う、うわあぁぁぁぁぁ!!」


 必死に叫び声を上げる。それに気がついた彼らは勢いよくハンドルをひねった。遠心力に振り回される体、地面へ凄まじい軌跡を描きながら、二台の自転車は川ぎりぎりで停車した。


「なんだァ……?」

「てめぇ! 俺が危ねえじゃねえか!!」

「知るかッ!! 邪魔なんだよ!!」

「わりー! ケガねーか!?」


 上体を屈め、ハンドルを握ったままの青年──と、その背中にしがみつく青年。自転車を投げ出しもうひとりが駆け寄って来る。

 日に焼けた茶髪に近い髪の色、背丈はそこまで高くない。裾を折ったズボンに、第一ボタンを開けた半袖のシャツ。制服は俺が通っていた高校と同じもの、襟についた校章、二年生、同じだ。そういえば、この人懐っこい顔には覚えがある。


「お前……アマヒコ? 天沢あまさわだよな? 俺夕善ゆうぜんよし! 覚えてるか?」


 彼は笑いながら俺の名前を呼ぶ。最悪だ、同級生、しかもこいつ・・・! おまけに、顔も覚えられている。


「コイツ……アレじゃねェか、不登校の」

「覚えてねーのかよ! アマヒコだよアマヒコ!」


 ヘアバンドで髪を持ち上げた、鋭い目つきの青年がオレをじろっと見た。運動部も一目置く恵まれた体格、彼もまた覚えがある顔・・・・・・のりと暁星あけぼし。中学生時代に暴走族と渡り合ったと噂される不良である。


「不登校? 知らねえなあ」


 祝の背中にしがみついていた手を離し、制服の砂を払いながら吐き捨てる黒髪の青年。彼とは初対面だが、名が知られている。彼は透山とおやまさきがけ。成績学年トップの天才だ。




 何故不登校の俺が彼らについて知っているのか? 喜と祝、このふたりとは同じ小学校に通っていたのだ。小学校高学年から中学卒業まで、俺は違うところに通っていたんだが……何故覚えているんだ! そのまま忘れていてくれればよかったのに!


「どーしたんだよお前よー。最近学校来てねーじゃねーか」

「バカ、そういうのは聞くもんじゃねェよ」

「そっか、悪い!」


 動揺しきった俺を他所に、喜はひとりで聞いてひとりで頭を下げた。深く詮索しないのは助かる。だが、まずいのに変わりはない。俺はその場から離れようとした。立ち上がろうとしたとき、一瞬喜と視線がぶつかる。



 伸ばされた手。咄嗟に掴まれる、や殴られる、と思った。だが、違う。彼の手は俺の顔を通り過ぎ────肩の、少し上あたりを通過した。



 途端に、ここしばらく張り付いていたような肩の重みがなくなる。喜の手を見た。彼の手はまるで何かを掴んでいるようで──


「サキ! ちょっと離れてろ」

「チッ、俺に指図してんじゃねえ!!」


 喜はそう言って透山を下がらせる。どうしてと思う前、俺の目に飛び込んできた光景に悲鳴を上げた。


「うわあぁぁ!?」

「俺らが側にいてようやく見える・・・レベルか……」


 そう呟く喜の手の中、そこには黒く大量の髪の毛らしきものが握られていた。そんな髪の持ち主はここにいない。これは、一体?


「サキー! 戻ってこい!」

「チッ」


 喜の呼ぶ声に透山が近づくと、髪の毛らしきものはすうっと空気に溶けるようにして消えた。もう、頭が追いつかない! 何が起こっているんだ?


「なー、天沢。お前が学校に来なくなったのって、こーいうのが原因か?」


 喜の丸い目が俺を見つめる。彼の瞳に映る俺自身は酷く怯えた顔をしていて──俺は、首を縦に振った。








 俺達が通う御霊みたま高校には、いくつかの不思議な伝説があった。トイレの花子さんや夜に鳴るピアノなど、ありきたりなものである。俺達が近づいた伝説も、そんなありふれたもののひとつ。


 階段下の倉庫に住むサトリさま。下校の音楽が鳴る中で彼を呼び出すと、学校の秘密を教えてくれる。そういうもの。


 俺は今でこそこうだが、不登校になる前までは明るく元気な奴で知られていた。いつも明るいはしゃぎたがり。自分で言うのもあれだが、クラスの中央部に位置する存在だった。

 同じような馬鹿ふたりと連れ立って、学校の噂を確かめようという話になり──五月頃、俺達はサトリさまに近づいた。


 今でも忘れられない。開いた扉、隙間から伸びた手、引っ掻くように壁を掴む様子、その一挙一動。

 すぐさま逃げ出した。しかし俺はふたりに押され、一歩遅れた。ドアから伸びるサトリさまの手が──俺の肩をかすめる。そのままドアを蹴って閉め、逃げ出した。




 それからだ。学校に踏み入れると、様々ながするようになったのは。

 誰それと誰それは付き合っている。誰それは誰それと仲がいいが、裏では悪口を言っている。教師の誰それは浮気している、などなど。知りたくもない「秘密」が、俺に注ぎ込まれるように聞こえてくる。

 挨拶してきた奴が、ママ活をして稼いでいると聞いた。隣の席の奴が、トイレで喫煙していると知った。学校という場に入った途端、すべての情報を教えられる。


 それがたまらなく怖かった。隣りにいる人物を信用できなくなった。学校外で会うぶんには問題ないのだ。とにかく、学校という場所で人と会うのが怖い。









 事の経緯を洗いざらい話した。こんな非現実的な話、信じてもらえるとも思わない。夕善の有無を言わさない瞳に逆らえなかったから話したが……笑われるのもわかっている。なんで話してしまったのか。なんで直様逃げ出さなかったのか。


「まいったなー……」


 喜の声、俺の頭がおかしくなったと思っているのか。


「おーいノリボシ! サキ! 今から空いてっか?」

「あァ? まさか行く気かよ!」

「クソ面倒くせぇ……」


 喜は後ろのふたりへ何やら確認している。一体何を。喜は固めた拳をぐっと握った。そうだ、その手。先程まで握られていた長い髪の毛みたいなものは。


「アマヒコ、おれはお前の言うことを信じるぜ」


 そう言って喜は立ち上がる。手を広げて払うようにぶんぶんと振り回し、地面にへたり込んだ俺を見て笑った。幼少期から変わらない、快活な笑顔で。


「おれらに任せとけ!」


 ────なにを? 俺は首をひねる。そんな俺へ手を伸ばす喜を見て、祝と透山は呆れた顔で肩をすくめるのだった。




 ────────




 放課後の校舎、俺は門の前でごくりと唾を飲む。テスト中なのもあってか、校内に人はいない。部活動ももう終わっている。ひと月ぶりの学校、心臓が早鐘を打つ。


 あの後、任せとけと言った彼は放課後学校へ来るように頼んできた。嫌だ嫌だと言い張ったのだが、押し切られてしまったのだ。「サトリさま」の呪いを解いてやる、その言葉に負けてしまった。

 信じてくれるのは嬉しいが……いや、ここまで込みで嫌がらせだったらどうする。学校に入った途端、「夕善喜達は天沢国彦を弄っている」って声が聞こえたら、俺はもう完全に人間不信になる。


「ごめーん! 待たせた! アマヒコ!!」


 背後から聞こえた喜の声に飛び上がる。彼は制服姿のまま、土煙を上げつつ停車した。その後ろから現れる影、二人乗りして坂を登ってくる。

 弓道部が持つ矢筒を背負った祝、の後ろに乗った透山。透山は涼し気な顔で荷台から降りた。祝はぶつぶつと文句を言っている。


「テメェでチャリ漕げ!!」

「今日は送ってもらったからチャリねぇ」

「家帰って取ってこいよ!」

「面倒くせぇ」

「この野郎!!」

「まーまー言い争ってんじゃねーよ」


 しょうもないことで言い合いする祝と透山、ふたりを抑える喜。解決なんて、本当にできるんだろうか?


「んじゃーまー入るか。チャイム鳴るまで時間潰そうぜ」

「えっ、いや待っ」


 たじろぐ俺の手を掴み、喜は無理矢理門を通る。校内に入ったら駄目なんだ。声が聞こえるんだ。やっぱり俺を馬鹿にしているだけじゃないのか? 

 ぐっと唇を噛み締めた。レールの上を超え、敷地の石畳を踏む。



 ────声が、しない? 恐る恐る目を開けた。以前、濁流のように押し寄せた情報が、一切無い。耳に聞こえるのは、風に揺れる校旗の音ぐらい。


「うし、いけそうか」


 喜が笑ってこちらを見ていた。やっぱり、ひと月前のことはなにかの間違い、俺の幻聴だったのでは? となればやっぱり迷惑をかけたし、疑って悪かった。イカれたことを言ってわざわざここまでつれてきてしまったのだ。


「ありが────」

「サキ、門の外に出てみてくれ」


 言いかけた俺の言葉を遮る声、かすかな舌打ちの後、透山が距離を取り、門の外へ出る。その瞬間、だった。


 ──三年の田村は一年の佐藤と付き合っている。

 ──一組の宮崎はテスト中にカンニングをした。

 ──二組の原田は三組の岩井の悪口を言っている。



「うっ、うあ、うわあぁぁぁ!!」


 耳が割れる、頭が揺れる。脳味噌に手を突っ込んでかき回されている感覚。すぐ様喜達が駆けつけた。祝が透山を呼ぶ。


「透山、肩掴んでやれ!!」

「俺に指示してんじゃねえ!!」


 祝の命令にそう反論しつつも、透山が俺の肩に手を置く。すると──何事もなかったかのように、声は止んだ。にししっと笑いながら喜が言った。


「さっすがゼロ感」

「もはやマイナス感だな」

「馬鹿にしてんのかてめえら……」


 喜の言葉に続いて嫌味な笑い混じりに言った祝。透山は不機嫌そうに眉を寄せた。

 一体何が、さっきからこればっかり言っている気がする。喜はそのまま俺の手を引き、校舎の中へ入った。薄暗い廊下、人影はない。先生も職員室に集まっているのか、声もかからなかった。


「うーん、今からとっぴょーしも無いこと言うぞ?」


 訝しげに見る俺に、そう喜は切り出した。先に俺が言ったことのほうが突拍子もないと思うが……。


「おれ達は霊感持ちだ」


 本当に突拍子も無い。


「まー、お前が言うサトリさまやそのあたりとは、充分関わったことがあんだよ。嘘くさいかも知んないけどな」


 確かに、常の俺なら馬鹿らしいと突っぱねていただろう。だが、今自分自身がその危機に迫っている今──信じないではなく、信じたい。


「霊感ってのは強い程向こうに干渉できるし、干渉される。お前の場合はちょっと違うけどな。霊感自体はすごく弱いのに絡まれやすい」


 淡々と、喜の説明は続いた。先頭の喜に引っ張られ、後ろを祝と透山に囲まれて歩く。頭の中の声は全くしない。


「やつらからしたらお前は、種をつけて運んでくれる動物みたいなもんだ。自分をくっつけて、離れた場所に運んでもらう。そういうありがたい存在なんだ。憑依ひょうい体質ともいう」


 彼が迷いなく進む先。廊下の奥、階段。俺は息を呑んだ。


「おれとノリボシはそれとは違う。霊が見えて、触れて、干渉できる」

「お前と祝はって……じゃあ」

「あー、サキは別!」


 喜は別、と言って透山を見ると、彼はまた舌打ちをしてそっぽを向いていた。


「サキは霊感全く無いんだ! ゼロどころかマイナス! 見えるやつ、触れるやつに干渉する向こうからしたら、サキはその場に存在しないんだよ」

「霊なんていねえ」

「そりゃ見えなきゃそうも言うわな。格下」

「何だとこのド底辺!!」

「うっせェゼロ感!!」


 笑いながら透山を指差す喜。祝の嫌味を引き金に言い合いを始める透山達。


「霊感持ちが側にいると幽霊が出るなんて言うだろ? その逆で、サキが側にいると霊感がものすごく小さくなるんだ。だから、サトリさまの効果も聞いてない。下げれるのにも限度はあるがな」

「へぇ……」


 喜の説明はなんだか、わかるようなわからないような。でも、確かに透山が側にいなかったときはあの幻聴がした。今は抑えられているだけ……根本を断たなくては、ということか。


「んで、おれらは────」

「おい、着いたぞクソバカ」


 喜の言葉を切って祝が言う。辿り着いた、階段下倉庫。明かり取りの窓から差し込むかすかな光、金属のドアは静かに佇んでいる。時刻は十六時五十分。もうすぐ下校時間のチャイムが鳴る。足が震えた。


「バカって言う方がバカなんだぞノリボシ」

「テメェはバカだろ」

「ふたりとも馬鹿だ」

「んだとサキ! お前だってバカだ!!」

「誰が馬鹿だ!」


 バカだ何だと言い合いをする、三人の気が抜けるやり取り。もしかして……この三人、方向性は違えどとんでもなく馬鹿なのでは? 学年トップの透山がこんな奴なのを初めて知った。


「サキとアマヒコは下がってろー」

「俺に指示すんじゃねえ」

「めんどくせェなテメェはよ……」


 俺と透山は喜の指示通り下がった。前に出た喜と祝は無言で扉を睨む。祝が肩から下げた矢筒を開けた。沢山の──札? らしきものが貼られた木の棒。それを握り、空の矢筒を壁に立てかける。


 静かな時間、透山はスマートフォンを取り出し興味薄げ。俺はまとまらない思考で、何故彼らがここまでしてくれるのかを考えていた。


「喜……なんでお前ら、真面目に俺に取り合ってくれるんだよ」


 嘘だと笑われるのも、馬鹿だと言われるのも、わかっている。俺がこんなこと周りから言われたら、爆笑して弄り倒すに決まってる。しかも喜や祝とは小学校時代の友達だっただけ、それなのに。 


「うーん……最近会ってないけどよ……おれは一回友達になったやつはずっと友達だと思ってる!」


 喜はそう言ってまた、にっと笑う。


「だからおれの中で、まだお前は友達だ! それに、友達が困ってたら助ける!」


 ……そうだった。彼はどこまでもお人好しで──優しいのだ。ため息をつく祝、呆れて他所を見る透山。

 響くのは喜の笑い声だけ。そのとき、声を引き裂きノイズが鳴る。ノイズは少しずつ弱まり、人の声になる。


『五時が来ました。校内に残っている生徒は────』


 遥か昔に撮られた音、いつの時代かもわからない人の声。ありふれた放送内容。その後になにやら有名映画のテーマ曲が鳴り始めた。オルゴールアレンジのそれが鳴り響く。

 これだ、この音楽だ。喜は笑顔を止めると扉のノブを掴む。



「サトリさま、サトリさま、お応えください!!」



 言い放った直後、握ったノブが動く。あの日と同じ、鳴り響くオルゴール音を掻き消すように、がちゃり、と。ゆっくりと扉に隙間が生まれた。黒黒とした闇、あの日はその中から腕が伸びたのだ。その腕は見えない。透山のおかげか。




「とっとと出てこいやゴラァ!!」




 そんな叫びとともに祝は空いた隙間に脚を突っ込み、勢いよく扉を蹴り開けた。反動で扉が壁に激突し、激しい音が校内を震わせる。

 祝が肩に棒を担ぎ、口の端から息を吐く。眼の前で起こった衝撃の絵面に固まる。透山があーあ、と呟いた。


「なァにが『サトリさま』、だァ……? こんなところで引き篭もって、校内の噂を盗み聞きして、ただの変態じゃねェか」


 祝がケッと吐き捨てる。思わず、口を開けて間抜けヅラを晒す。小学生の頃から力が強く乱暴者ではあったが……暴走族と渡り合ったという噂は本当か。


「所詮はただの地縛霊がいいトコだろうが? あァ!?」

「あいっかわらず乱暴だなノリボシはよー」

「うるせェ」


 喜の言葉に反論しながら祝はぶんぶんと棒を回し、扉の奥、闇に向かって突っ込んだ。目を凝らす、闇の向こう。微かになにかが揺らめく。


「見てえのか」

「……うん」

「フンっ」


 俺の言葉に透山がそっと離れる。途端に響く、声、声、声。それを振り払い、闇の中を見る。喜と祝の隙間から見える痩せた手、体。その体は──制服に包まれていた。デザインに差異はあれど、襟についた校章は同じ。サトリさまは神様や上位存在ではなかった。ただの、幽霊?


「怪異なんてそんなモンだ。もとはなんもねェみてェなところに、適当に人が噂を盛りまくることで生まれる成れの果て。バッカらしい」


 幽霊は突き付けられた棒を前に、乾ききった唇を震わせる。祝は怪異にそう言い放ち、舌打ちをした。


「勝手な噂に振り回されたテメェも哀れだけどよ、他のヤツに取り憑いて外に出ようとしたのはいただけねェ。目の前に憑依体質が来てはしゃいだか? 人様に迷惑かけりゃそりゃダメだ」


 そのまま彼は、握りしめた棒を振りかぶる。ドラマやアニメで何度も見てきた絵面。幽霊の肩から腰までを斬るように棒を振った。相手は幽霊、なにもないところをかすめるだけ──に、留まらない。


「体が……!」

「あァ? 消してんだよ」


 幽霊の体が薄まる。頭の中で響いた声も弱まる。一体何が起こっているんだ!! 俺の疑問を祝は一蹴、なんの説明にもなってない!


 もう上半身しか残っていない幽霊、サトリさまがじたばたともがく。喜と祝の隙間を抜け、俺に向かって手を伸ばしてきた。足がすくんで動けない。取り憑かれる! そんなことを覚悟して目を閉じる。


「秘密を教えてくれるのはすげーと思うけどよ」


 目を閉じた暗闇に響く喜の声。恐る恐る目を開けた。喜はなにもない空間をしっかり掴んでいる。それは上手なパントマイムに見えた。そして、俺の肩を掴む透山。

 透山が横に戻ってきてくれたおかげで、もうサトリさまは見えない。つまり、サトリさまから俺も見えない。


「秘密ってのは一個くらいでいーんだよ。全部教えんのはそりゃー……迷惑だろ」


 空間を掴む手、その反対側。拳を握り固める手。喜はすうっと息を吸った。


「迷惑かけたら、除霊対象・・・・だ」


 そして繰り出される腰の入った拳。正拳突き、虚無を切り裂く拳の風圧。階段下倉庫の中、真っ暗闇だったそこ。扉の向こうには──ホコリまみれの掃除用具だけが、あった。



「サトリさまは、祓ったぞ!」



 喜の宣言と共に透山が俺から離れる。声は──聞こえない。静かな校舎。


「これでもー大丈夫だ! にししっ!」


 笑う喜の後ろで、祝が棒を矢筒に仕舞い直している。透山はあくびをひとつ。


「喜……お前ら、なにもんなんだよ……」


 幽霊やら怪異やらを恐れず、俺みたいな奴の話を真面目に聞き、お人好しで、おまけに怪異を祓う。お前らは、一体。


「んー? たいしたことはねーよ」


 喜は祝の肩へ腕を回す。身長差のせいで背伸びしながら彼は続けた。


「おれは寺の息子! ノリボシは祓い屋の息子! サキはまー関係ねーけど……三人寄ればなんとかってやつ?」


 寺の、息子。──喜はどう見たって説法が似合う奴ではない!! 祓い屋の息子、と言って指をさされた祝がぐっと渋い顔をした。


文殊もんじゅの知恵、だ。……って、関係ねえってなんだ」

「実際テメェは関係ねェだろ。あとクソバカ、オレを祓い屋の息子って言うな!」


 喜の言葉を訂正する透山。彼は霊や怪異やと関係する血筋ではないらしい。そんな透山を笑う祝、彼は喜の腕を振り落とし、逆にヘッドロックを決める。


「ととと、とにかく! おれらは『怪異祓い』ってやつ? 困ってるやつを助けてんだ!」


 ヘッドロックを決められながらも俺に向かって親指を突き立てる喜。

 その笑顔を見てふと、思い出した。キーホルダーを落とした歳下の子、その子のために泥まみれになってまで探し続けた喜と祝。見た目こそ大きく変わったが──心根は、変わっていない。お人好しなのは喜だけではない。祝だって、本当は他人思いだ。透山は……知らないが。


「ありがとう、喜、祝……透山。なにか礼を……」

「礼はいーぜ! 代わりに────」


 喜は祝の腕からするりと抜け、俺の肩へ手を回した。白い歯を見せてまた、にっ、と笑う。


「今度学食で一緒に食おうぜ! もう学校、怖くねーだろ?」

「……ああ!」


 笑い合う俺達を見て、祝はなんとも言えない表情で腕を組んでいた。その横で透山がへっと笑っている。



「なんだー? 誰かいるのか……?」



 廊下の向こうから聞こえてきた声。職員室から離れているとはいえ、気を抜きすぎた!


「にっげろ!!」

「押すな夕善!」

「流石にこの窓からはきちィだろ!!」


 直様、明かり取りの窓をこじ開け体を突っ込む喜。俺は喜に続いて押し出され、透山がするりと抜けた。続いて祝の持っていた矢筒が放り出される。透山がキャッチ。体格がいい祝は苦戦しつつなんとか抜け出した。

 そのまま校庭を走り抜ける。門の前に置いていた二台の自転車、祝が乗りその後ろに透山が飛び乗る。俺はどうしようかと考える間もなく、喜が自分の荷台を指した。頭を下げて飛び乗る。



「除霊! 完了だ────っ!!」



 梅雨の晴れ間の風を浴びながら、俺達四人は夕焼けの坂道を下る。ああ、月曜の時間割はなんだったっけ? このひと月に対して、どんな言い訳をしよう。


 そんなことを思いながら俺は、喜の肩にしがみついて通り抜ける街並みを見ていた。





 ──────



 久しぶりに袖を通す制服、鏡の前で何度も何度も襟や髪を確かめる。「明日から学校に行く」、そう言ったら母さんは驚いた顔をして笑ってくれた。その後廊下に出て泣いていたのも知っている。

 いざ行くと決めたら心臓が早鐘を打つ。緊張、朝から変な汗がにじむ。大丈夫、いじめられていたわけでは無い。昨晩友人に連絡を取ったら、「明日迎えに行くよ」と明るく受け入れてくれた。大丈夫、そう自分に言い聞かせる。


 保健室登校も考えたが、駄目だ。まずは喜との約束を果たさねば。そのためにも、教室へ行かなくては。


「国彦ー! お友達が来たわよ!」

「あっ、はーい!!」


 サトリさまの元へ共に向かった友人が、本当に迎えに来てくれたのだ。俺は深呼吸をひとつし、鞄を掴んで階段を降りる。少し心配そうな顔で俺を見る母さんにひとつ挨拶、「行ってきます」。

 玄関扉を開けた向こう、友人ふたりが笑顔で前に立っていた。彼らは飛び出してきた俺に腕を広げ、首や肩に手を回す。


「天沢──っ!! 生きてたかお前!」

「心配したんだぞー!! ホントに! 責任取れよっ!」

「へへっ……ごめんな、その……」


 ふたりの優しい言葉に上手く言葉が出てこない。たったふたり相手でこれだ。俺は教室へ行ったらどうなってしまうのだろう?


「元気で良かった! みんな本当に心配してるぜ?」

「マジで心配だったぞ? サトリさまのところ行った日からおかしかったし……」


 ホントにサトリさまのせいなんだよ、と言いたいところだが信じてもらえるかはわからない。タイミングを見計らってから説明しよう。

 このまま話していたいが遅刻してしまう。俺らは並んで歩き始めた。学校までの道のり、先日は凄く重かったのに、今朝は一歩進むごとに軽く感じる。


 俺が休んでいた間、学校で起こった話を面白おかしく話す友人。俺はその明るさに救われていた。先日ぶりの土手の上を、そんな話をしつつ歩く。その時。


「今日という今日はおれが一番度胸あるってことを証明してやる!」

「付き合ってられっかクソバカ!!」

「早く行くぞ遅刻する」


 聞き慣れた言い合い、制服姿の三人組。今日は自転車三台だ。俺は立ち止まり河川敷を眺める。友人ふたりもそんな俺を見て立ち止まる。


「ビビってるからできねーだけじゃねーのかー?」

「んだとテメェ!! やってやるよ!!」

「吠え面かかせてやる……!」


 喜、祝、透山。三人で自転車にまたがり、一触即発の空気でいがみ合う。うわ、本物だと友人が言った。マジであの三人は有名人らしい。俺は感謝と朝の挨拶をしようと三人へ手を振る。しかしその直前。



「うおらあぁぁぁぁぁぁ──────ッ!!」



 そんな叫び声を上げ、彼らは自転車に乗って土手を下った。行き着く先は、川。振り上げた手が行き場を無くす。友人ふたりも呆然と口を開いていた。


 三台の自転車は直前までブレーキをかけず突っ込み────ついに、岸から飛んだ。雄叫びを上げながら空を舞う三台の自転車と三人。俺達は開いた口が塞がらない。すべての光景がスローモーションだった。


 永遠に感じた刹那の後、激しい水飛沫を上げて三人が自転車ごと川に落ちる。沸き立つ泡、広がる波紋。上がってくる影はなく。



「きゅ……」



 俺の肩から鞄の紐がずり落ちた。

 三人寄れば文殊もんじゅの知恵、と言う。だが、三人共別方向にバカならば? それでも文殊の知恵にはなり得るだろうか?

 スマートフォンを握りしめて土手を下る。そんな俺へ友人ふたりが手を伸ばした。




「救急車あぁぁぁぁ──────ッ!!」




 否、断じて否。バカは三人集まったとて、バカだ!!


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