第15話 ようやく妻が声をかけてくれた
「牛すじ肉の煮込みでございます」
結婚休暇6日目。
私は、今日も実家で昼食を摂っていた。
かつて自分の部屋だった場所で、一人でだ。
私はステファニーがこのマクマホン侯爵家本邸に来てから毎日、彼女に会いに本邸に通っている。
しかし、まだ一度も会ってもらえていない。
両親や妹、弟達にもそれとなく彼女の様子を尋ねたけれども、皆一様に私に冷たい目を向けるだけで、彼女の様子を教えてくれない。まあ、勝手に覗き見はしているが……。
昼食は家族の情けで出してくれるけれども、ステファニーが安心して食事を摂れるようにと食堂は立ち入り禁止を言い渡されているので、私は毎日一人で旧自室で昼食を摂っているのだ。
なお、夕食は諦めて別邸で摂っている。
「美味い……」
慣れ親しんだマクマホン侯爵家本邸のシェフの料理は、ステファニーがいるからかいつもより気合いが入っており、彼女の好物ばかりで構成されていた。口の中でホロホロ溶ける牛すじ肉の旨味が、口の中にふわりと広がる。
しかし、料理が美味しければ美味しい程、私はつまらなくて仕方がなかった。
学生時代だったら、昼ごはんの時間になるとステファニーが必ず弁当を持参して現れて、「はい、アーンですわ!」と言いながら必ず一口は私に食べさせようと絡みついてきていたのだ。
(あのときアーンしてくれた卵焼き、美味しかったな……)
周りの目が気になって私は拒絶するようなことばかり言っていたけれども、どうやら私は、ステファニーがそうやって私に突撃してくること自体は、嫌だと思っていなかったらしい。
(結婚休暇中だし……好きなだけ、アーンしてくれて構わないのに……)
私は先程覗き見た彼女の姿を思い出しながら、長いため息をつく。
この牛すじ煮込みを食べながら、ステファニーは笑っているだろうか。アーンどころか、私は結婚してからというもの、彼女の笑顔すら見ていない。一緒にいるのは私ではなく私の家族だし、彼女と楽しくお喋りをしながら昼食をとっているのも、私の家族だ。
(夫の私は、彼女の声すらもう何日もまともに聞いていないというのに!)
自分の家族すら妬ましく感じる自分に、私はようやく、「あれ……、もしかして私は彼女のことが、好き……?」と段々気がつき始めていた。
学生時代に彼女の猛アタックに恐れ慄いた私は「普通の恋がしたい」とぼやいていたが、なんと私はとっくにステファニーに恋をしていたのだ。いつも彼女が横にいるから気がついていなかっただけだった。彼女を泣かせて、隣に居なくなってようやく気がつくなんて、私はなんて愚かなのだろうか。
愛についてはまだ分からないが、片恋の辛さはしっかり思い知ることになってしまった……しかも相手が妻で既に離婚の危機という、最悪な状況までついてきた……。
私は昼食を摂り終えると、侍女を呼んで食器を下げさせる。
そうして、ソファに座り込むと、朝から持ち込んでいたあるものをそっと取り出した。
昨晩、ステファニーの使っていた枕だ。
彼女はよく、私の枕を盗んでは勝手に匂いを嗅いでいた。
変態……だった。
私は彼女が私のお気に入りのメーカーの枕を盗んでいくのが本当に嫌だったな……。
私は、マクマホン侯爵家本邸客間の彼女の枕を見ながら、そんな昔の思い出にふけり。
気がついたら自室に彼女の枕を持ち帰っていたのだ。
(どどどどどうやって返そう……)
ここに彼女の枕があると知れたら、私は家族中に変態扱いされるに違いない。
しかし、脳裏に浮かぶのは、私の枕を抱きしめながらくんくん匂いを嗅いで恍惚とした表情を浮かべる学生時代のステファニーの姿ばかり。
(そんなに……素晴らしい体験なのだろうか……)
きっと私は、ステファニーに会ってもらえないストレスで正常に物事を判断できない状態なのだろう。そんなことはやめるべきだ、早く枕を元の場所に返しにいくんだという頭に鳴り響く警鐘が、全く行動に反映されない。
震える手で、その枕をそっと抱きしめてみる。
彼女の香りがした。
背徳感で、体の震えが止まらない。
しかし、心のどこかで、不思議な充足感があるのも事実だった。
そうか、ステファニーはこれを求めて、私の枕を盗んでいたのか。
もしや、この先にあるのが、愛……?
「何をしていますの?」
「うわぁああっ!?」
急に背後から声がして、私は谷底に突き落とされたかのような悲鳴を上げる。
そんな私を、彼女は悲しそうな瞳をして見ていた。
「……そんなに嫌がらなくても」
「嫌がってない、驚いたんだ! ……ステファニー、会いにきてくれたのか……!?」
久しぶりに正面から見る彼女本体は、少しやつれていて、未亡人のような色気を醸し出していた。
なんということだ、彼女はつい数日前に結婚したばかりだというのに、既に夫を失った状態まで進化してしまっている!
「そろそろ、話をしようと思いまして」
彼女は、私の向かいのソファに優雅に腰掛けると、そう切り出したのだ。
私はそれとなく、枕を背後に隠した。
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