第16話 理解ある夫の私と感動で打ち震える妻



「そろそろ、話をしようと思いまして」



 ステファニーはそう言うと、私の向かいのソファに座った。


(……『ミッチーの隣はわたくしのものですわ!』といつも豪語していたのに、隣には座らないのか……)


 一瞬残念に思ったけれども、気を取り直してステファニーの方を見る。


 まずは、ステファニーが向き合ってくれたことへの感謝を伝えなければならない。


 私はいつも、感謝や好意を言葉にすることをサボってきた。

 今回の件で、それを痛いほど思い知った。

 だからまずは、そこから改善していかなければ。


「ステファニー、会いたかった。君の顔を見て話をしたかったんだ。ありがとう」

「……」

「いつもみたいに、こっちのソファに来ないのか?」

「いきません」


 そうか、と私は項垂れる。

 そうか、そうだよな。

 彼女は私に失望しているのだから、私の隣になんて来ないよな……。


 そう思って俯いていると、彼女が私に声をかけてきた。


「それで、お決めになったのですか?」

「え?」

「わたくしとの結婚を今後どのようにするのかをです」


 そういえば、ステファニーは出て行く時にそんな話をしていたな。

 正直、彼女の提示したどの選択肢もナシだったので、あまり深く考えてはいなかった。


 しかし、どんな結婚にしたいのかであればすぐに答えることできる。


「君にとって幸せな結婚にしたい」

「離縁、それとも……え?」

「君が笑ってくれる結婚にしたい」

「いえ、その……」

「いつものように、君が笑顔で「ミッチー!」と呼びながら抱きついてくれる結婚がいい」

「……」


 口を開けたまま唖然としているステファニーは、彫刻のように美しかった。


 私はそんな彼女に赦してもらいたくて、必死に言葉を重ねる。


「でも私はちゃんと弁えている。君はまだ、私のことを赦せないだろう」


 大丈夫だ。私ならできるはず。


 何故なら、私はこの数日、『愛なし初夜シリーズ』を熟読し、考察を重ね、母と妹に嫌がられるくらい懇々と女性に対するマナーについて質問をしてきたのだ。


 そう、私はクズなドブねずみ。


 可憐で清廉なステファニーに、すぐ赦してもらえると思うような傲慢な心は、既に燃えかすほども残っていない。


「あ……わ、わたくしは…………赦」

「うん、そうだな。あんな酷いことを言った私のことを信じるなんてできないのは当然だ」


 まずはジャブ打ちからだ。

 私は妻の心に寄り添う、理解ある夫。

 まずはステファニーの怒りに寄り添うことが肝要だ。


「え? いえ、そんな、わたくしはミッ」

「いいんだ、君の気持ちは分かっている。私が悪いんだ、君の気が済むまで私を罵って構わないし、私は君の信頼を取り戻せるよう、離縁だなんて言わせないよう、努力を重ねようと思う」


 とにかく誠意を示すのだ。

 次のチャンスがあると思うな。

 『愛なし初夜シリーズ』では、一度の失敗が命運を分けることが多かった。

 一瞬の油断が、生死を分けるのだ。


「ええと、離縁なんて」

「――やめてくれ! 私は君の口から離縁などという言葉は聞きたくない! 白い結婚も愛人も嫌だ、私に君以外の女性は必要ないし考えたくもないんだ! 私はようやく、君がいるだけで自分が最高に幸せだったことに気がついたんだ」


 り、離縁だとぉ!?

 ステファニーの口から恐ろしい言葉が出てきた。

 なんだ、私は既に何をしくじったのだ!

 待て、待ってくれ、全部私が悪かったから!!


「……で、でも昔、恋をしてみたいって」

「恋なら今している! 君が私以外にばかりかまけていたこの1週間弱、私の心の中には君しかいなかった。何をしていても君との思い出ばかりが頭をよぎるし、君の笑顔を思い出しては胸が痛くて仕方がないし、君を独占する私の家族が憎くて仕方がなかったし、君をいつ攫おうかずっと考えていた……おそらくこれが、恋…………」


 しくじったのは学生時代の私だったようだ!

 今の私は、クソ青二才だった頃の私を消し去ってしまいたい!!

 今の私にはステファニーしかいないんだ、どうやったら信じてもらえるんだ……!


「それってもう、わたくしを愛しt」

「愛といえば、君の愛情に甘えていた私は、心から愛を理解できてはいないと思う。それでも、今の私にも分かることが一つだけあるんだ!!」


 一週間という短い期間で、愛を分かったような顔をしてはいけない。何故なら私は、『愛なし初夜シリーズ』の夫勢と同様のことをした、無神経なドブネズミ。この短期間で愛を理解したような顔をしたら、あっという間に拷問離縁コースである。


 そんなクズゴミな私ができることは、ただただ許しを乞い、心からの叫びを伝えるのみ。


 私は、机に身を乗り出すようにして、彼女に訴えかける。



「これからの人生を君と過ごしていけないなんて、絶対に嫌だ! 私はを、!」



 結局机を回り込んでステファニーの右手を握りながら、私は誠心誠意を込めて、メガネ越しに彼女を見つめる。


 彼女は、ほんのり、いや大分しっかり頬を染めながら、耳まで赤くなった状態で、ポツリと呟いた。


「……それは無理、ですわ」


 ――なんと彼女の気持ちはそこまで私から離れてしまったのか――!!


 いや、それもそうだ。


 私はそれだけの酷いことを言ってしまったのだから――……!!


「やはりそうか、私を赦すなんて、君からしたら考えたくもないことなんだな」

「えっ、いえ、それは違」

「いいんだ、君の反応は当然だ。相手を愛していればいるほど、私の言ったことはきっと鋭く心に刺さっただろうからな。君は愛情深い女だ、ここであっさり赦すほど、君の私への愛は軽いものではないはずだ」


 頷きながら彼女への理解を示す私に、彼女は感動したのか、涙目で震えている。

 「赦しちゃダメなの?」「どうしてこうなったの?」と小さく呟く彼女に、ドブネズミこと私は怪訝に思って彼女を見る。


「……ん? すまないステフ、よく聞こえなかったんだが、まさか私を赦すつもりで」

「そ、そそそんな訳ありませんわ!?」

「…………そう……だよな。すまない、君に赦してもらいたい一心で私ときたら! この都合の良い耳を引きちぎってしまいたい!」

「や、やめてくださいまし! それはわたくしがペロペロする大事なお耳……!」

「ん?」

「はっ――げふんげふん!」


 どうやら幻聴だったようだ。

 本当に、私の耳は都合が良すぎて困ったものだ。ステファニーといえども、こんな場面で私の耳をペロペロだなんて言うはずがないのにな。ははっ。

 

「それにだ、誇り高い侯爵令嬢、美しい大輪の薔薇に喩えられたあのステファニー=スマイル侯爵令嬢が、こんな簡単に絆されるチョロい女な訳はないものな」

「そ、そうですわ! わたくし、とても傷つきましたし、誇り高い女ですのよ……で、でもですね」

「うん、君なら当然のことだ。君のような価値ある女性が、私のようなクズ男を直ぐに赦すなんてありえない」

「ありえ……なくなくなくもありませんけれど!?」

「なのに、私ときたら……君の情けに縋ろうなどと、情けない男だ……!」


 落ち込みつつも、私は改めてステファニーの右手を両手で握りしめながら、彼女と向き合う。


「こんな不甲斐ない男で本当に申し訳ないが、やりなおすチャンスが欲しいんだ。どうか家に戻ってきてもらえないだろうか」

「……わ、わたくし……」

「君の、自分が本当に愛されていないなどという誤解を覆して見せる。誠実な夫に生まれ変わった私を見てほしい」


 目も口も大きく開けっぱなしにしているステファニーを、私は至極真面目な顔をして必死に見つめる。


(キマッた! さすが私! 2日前から考えていた決め台詞を最高の流れで言うことができたぞ!!)


 私にできることはやりきった。

 もう手札はない。ここで断られたら、あとは見るも無惨に追い縋るただのダメ男にジョブチェンジするしかないのだ。 


(さて、どう出る、ステファニー!?)


 運命の女神は、私に微笑んでくれるのか――!?



「……わ、わたくし、帰ってみてもよろしくて、よ……」



 ――勝利だVictory――!!


 私はドヤ顔で歓喜の声をあげそうになる自分を必死に抑える。

 だめだ、ここで油断したら全て元の木阿弥だ。勝利の後が一番油断しやすく危険なのだ。家に帰るまでが遠征、ここが気合いの入れどきだ!


「ありがとう、ステファニー。私はなんとしても、君の気持ちをさせてみせるよ」


 私は、いい笑顔でステファニーと向き合う。

 そして、必死にキメ顔を作っている私には、「ですから、それは無理ですわ……」と呟くステファニーの声は聞こえていないのだった。


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