そうだ海に行こう 後編

加筆修正(一万文字)しました。


「御幸ーー起きろーーー!」


 ユサユサと身体を揺さぶられ、そこでようやく御幸は目を開けた。まだ空は青いままで、潮風が肌をベタつかせる。

 どうやら自分は眠っていたようだ。『零行動タイムブレイク』を起こした影響なのか、まだ少し眠気の残滓がある。


 頭に微かに残る重いものに、御幸は目の前で起こしたであろう人物――玄光の方へと向く。


「なんだ?」


「あと少しで帰るって真理さんが言ってた。せっかく海に来たんだから楽しまねえと勿体ないぜ? どうせ服なんてお前の力があれば直ぐに乾かせるだろ?」


 あくびを噛み殺しながら御幸は立ち上がって腰付近を叩いた。


「それはそうだが……俺は」


 確かに御幸の能力があればそんな事は造作もない。贅沢な使い方だが別に数秒で済む話だ。

 しかし御幸の反応は芳しくない。

 まるで何かを躊躇うかのような素振りを見せる御幸に。


「貴方が……神代御幸さん、ですか?」


 玄光の隣にいた女の人が、そんな掠れた声で聞いてきた。

 可愛らしい人だと素直に思った。色の紫紺の瞳に白色の長髪。

 細身で肉が少なく、それでも幸せを噛みしめているような顔は、ワンピースという服装も相まって儚げな雰囲気を与える。


「……あ、ああ」


 何て返事を返せばいいのか分からずに、御幸はそっけなく答えることにした。

 幾ら人生経験が豊富な御幸でも、流石に年上の後輩の嫁との会話の仕方なんて分からない。


「玄光さんがいつもお世話になっております。妻の山田真白やまだましろです。御幸さんのことは常より玄光さんからお聞きいたしまして、是非一度会いたいと思っていました」


「ちょ、真白!」


 いきなりの告白に玄光が慌てて真白のほうを見る。


「あら? 『御幸はオレの恩人で相棒なんだ!』ってあれだけ息巻いていたのはうそなんですか?」


「確かに恩人だけどよォ! 相棒はまだ未定っつーかこれからの予定っつーか! そもそもそうなれるように頑張るという意気込みであって――」


 確かに、玄光にとって御幸は命の、そして人生の恩人であり超えるべき高い目標でもありそして仲間だ。彼の隣に立ちたい。自分も彼の隣でまだ見ぬ誰かを救ってみたい。


 だがそれは別に御幸の『相棒』にならなくても良いことだ。

 最も彼の隣に似合うのはアリシアや創一といった『強い能力』を持つ人たちだ。

 ただ『逃げるだけの能力』では、彼の足元でさえ立てはしないだろう。

 だがそれでも玄光は敢えて彼の隣に立つことを所望する。


「……待っている。お前が、その位置に立てることを」


 無論、御幸は自他共に認める『世界最強の能力者』だが。

 だがしかし――『』ではない。

 あくまで能力部類において、最強という位置づけにある能力を得てはいるが、その他の部類において御幸は平均レベルだ。苦手なものは苦手で、得意なことは少しだけ得意。そんな、どこにでもいる人間だ。


 だがこの時だけは、御幸は玄光の先輩として、そして恩人として超えるべき高い目標として、そうでありたかった。


 曲がりなりにも、一度や二度曲がったとしても、それでも正義の道を進もうとする玄光のために。


 そしていずれ自分がいなくなった後の――いや、それはまだ語るべきではない。


「だが早くしないとおいていくからな。俺ももう、


「……おう。見ていろよ御幸! 直ぐにでも追いついてやっからな!」


 ビシッと御幸に指をさして、玄光はふてぶてしく笑う。


「あら? 今起きたところ? 」


 そんなことをやっている間に玄光の後ろ、水滴を滴らせながらアリシアたちが浜辺へと上がってきた。どうやら本当に泳ぎの練習をしているのか、両者とも少し息が上がっている。


「それならちょうど良いわ。これからガブリエルと澪と一緒にビーチバレーをやるの。あんたも来なさい」


 御幸の近くにある鞄からスイカ大ほどの大きさをもったビーチボールを片手に持つアリシアが御幸に向かってそういった。


「良いわね」


「……拒否っても無駄だと分かってるからな。澪もやるんだろ?」


「当たり前じゃない」


 近くの砂浜で見事な城を築き上げている澪をチラと見ながら、アリシアが勿論とばかりに言う。それならば御幸は何も言うまい。元よりせっかく海に来たんだ。思えばこういう浜辺すらも久しいものだ。


「お。俺たちも入っていいか?」


「人数は多いほうがいいわ。そこで寝てるフリしてる創一も来なさい」


「ウェ!?」


 御幸の隣で同じく眠っていたはずの創一が、驚いた表情で目を開けた。


「い、いや〜僕は良いかな。ほら濡れちゃうし砂で汚れちゃうし」


「御幸にかかれば一秒も掛からないわ。なに? いつもは『美少女たちとキャッキャうふふ出来るなんて最高だ!』って言ってるくせに」


「いや〜あはは。まだ虫が怖くてね。ほらここらって亜熱帯だろう? 先ほど玄光君と共に化け物サイズの虫に追われて大変だったんだよ」


 恐ろしいくらいに生えた植物。温暖な気候も相まって動植物が異常な成長を遂げた。

 虫も恐らくサイズが大きくなっているのだろう。確かにその点だけは、新しくサービスを展開する新都島において大きな欠点へとなり得るが──。


「その点については大丈夫だ。三年前、ジェットと共にこの島を再生するときに、俺が貼った結界の条件を変更した。あの動物や虫たちは、中央にある大樹から四方にある塔を境界に、そこから外には出られないようになっている」


 さながら超能力ビオトープというべきか。

 あれは檻なのだ。あそこでは今も自然調査や研究に役立っている。

 どのような環境下で生物は成長や進化をするのだろうか──話題のDNA研究やヒトゲノムといった要素も絡む研究は数年単位では終わらなさそうだ。


「それじゃあ御幸はずっと能力を展開し続けたままなのか?」


 話を聞いていた玄光が心配そうに訊ねる。


「いいや、あの結界は出力を上げて放ったもので、自己完結が出来るようにしてあって、あれ自体がまた別の異能のもので──まあ、言わばだ。とはいっても、完全な制御下に置いているわけではないが手を加えることが出来る。ずっとあのままという訳じゃない」


 あまり詳しいことは御幸にも分からない。

 弱体化する前までは、ああいった類のものに更に別の命令を与えることが出来た。

 最近の例だと狂崎一矢の一件──あれはそもそも彼の周囲にあった空気に『動きを停止する』という命令を与えた結果だ。とはいってもあまりにも非常識な、常識外れの事は不可能で、例えばその最上位たる『真理定式アカシックコード』と比べれば児戯に等しい。やはりどこまでいっても御幸の異能は万能だが誰かの劣化版にしかなり得ないものだ。


「だってよ創一。それならお前も大丈夫だろ? 行こうぜ!」


 異能課の全員が創一を見ていた。

 そこには侮蔑などのいったものは無くて。

 ……張り詰めた糸が少しだけほぐれるのを感じた。


「……分かったよ。けど、あんまり激しいのは無しだよ? 僕これでもインドア派だからさ」


 ◆


 ビーチバレーは白熱を極め、最終的には異能が絡んだ危ないものとなっていた。

 ゆえに能力に使用制限がある御幸と、非能力者である真白とそして創一と澪も退場して。


「ちょ、待て待てっ! いくら何でもこれは過剰すぎるだろうが!!」


 フィールドには玄光とアリシア、そしてガブリエルが残っていた。

 得点は76:82と玄光がやや劣勢になっている。

 Sランク能力者とCランク能力者。氷を操る姉妹と空を飛ぶだけの元チンピラ。

 勝敗は火の目を見るよりも明らかだった。


 しかしながらこれでも玄光は異能課に所属する人間である。

 空を飛ぶ能力と相待って、アリシアたちは中々決定打を出せずにいた。

 時間ばかりが過ぎていく。もはや玄光としてもさっさと負けてしまいたいところだが、しかしここでわざと負けるのもあれだろう。


 やがてこの状況に耐えきれなくなったアリシアが、ボールを打つ前に宣戦した。


「このボールを落とせばアンタの負けね!」


「そうかよ! そんじゃアリシアたちも落としたら負けな!」


 そんなこんなで、最終局面。既に外野のうち澪は熱中症になりかかってしまったので先に着替えて今は木陰でスマホ片手にチラリチラリと戦況を見守っており。


「がんばれー」


「頑張ってくれ玄光君!」


 御幸と創一は並んで応援していた。無論自分の陣営である玄光にだ。

 どこかのほほんとしている二人を睨みながら泣き言を吐く。


「そう言うんだったらお前らも手伝えよ! 御幸、お前素の状態でも十分動けるんだから助けてくれよ!」


「女の子とは戦わない主義なんだ」


「お前そんな紳士じゃねえだろ! 毎日ジャンクフード食ってるやつが!」


「おい、もうボール上がってるぞ」


「うわ、まじかよ容赦ねえな! ……ってたかっ!」


 御幸と話している間に、どうやらずいぶん高く上げたのだろう。ボールがもはや点に見える。相変わらず容赦という言葉を知らないアリシアだ。

 しかしこの投球──よほど運動神経がよくないと受け止めることすら出来なさそうだ。


 しかも――。


「アリシア、お前ボールに氷を付与しただろう」


「あら良くわかったわね。気づかれないよう即興でやったのだけれど」


「ふん。お前の考えそうなことだ。……気をつけろよ玄光、あれをただのボールだと思わないことだな。あのボールには相当のエネルギーが籠ってる」


 アリシアの覚醒せし異能『燃え盛る永劫たる氷華イグニッション・エターナル・ガーデンフラワー』――略して『I・E・G』。

 ガブリエルの『永遠たる氷華エターナル・ガーデンフラワー』に呼応して覚醒したアリシアの能力は、難解極める複雑な異能であり、それは『氷に触れた対象のエネルギーを増幅させる』というもの。


「ぎゅえー! 死ぬ、死ぬって! 受け止めきれねえって絶対!」 


「あ、今の鳥の断末魔に似てるな」


「よくぞ人間であれだけの声量が……」


「おいコラァ傍観勢! このまま着弾すればお前らも危ないんだからな!」


 まさかなんでこんなことにと――玄光は再度頭上を見てごくりと唾を飲み込む。

 玄光はこの二か月、第二都市での経験の上に立つ玄光は自身の能力の扱い方について練度を上げた。ムラがある出力を一定に、そして能力の展開速度を上げ、さらに移動距離をも伸ばすことに成功した。


「玄光――」


 徐々に足が浮き始め、なにやら力を溜めている玄光に御幸が声をかけた。


「失敗すんなよ。失敗ミスったら尻ぬぐいはするけど」


「……へっ! ミスらねえよ真白の前でよ!」


 チラリと直ぐ近くで見守っている真白の方を見た玄光は、よしと気合十分とばかりに両足を叩き──瞬間、一気に飛行した。

 前回見た時とは明らかに違う速度、もはや人間ジェット機か何かか。

 ぐんぐんと高度を上げていく。落下のエネルギーが掛からない最高点で打ち返すつもりなのだろう。


「が、頑張ってください……玄光さんっ……!」


「おりゃああああッッッ!!」


 真白の祈りに応えるかのように、玄光はジャスト最高点に達したボールを見事打ち返した。僅かな氷の膜で覆われたボールが玄光によって跳ね返される。


「よっしゃぁぁぁぁ!!」


 まるで打ち切りエンドの如く叫ぶ玄光。

 だが確かにこれを打ち返すのは相当な至難の技だろう。

 まあ、半分以上というかほぼ全てが自分がした行いの結果なので、なんとも言えないが。


「どうよ御幸! オレの実力は!」


「ああ、ああ……確かに驚いたんだが、玄光……」


 地面に着地して、顔をこちらに向ける玄光。

 もう完全に勝負はついたとばかり思っているが──しかしだ。

 相手はSランク能力者の姉妹であり、そして普通の一般人とは少し違う。


 早々に手で受け止めることを諦めた二人は、互いに顔を見合わせる。

 何も言わず、しかし目だけ見れば大抵のことは分かってしまう。

 ガブリエルは自身の能力を発動させ、U字を描くように氷の坂道を形成した。

 ガブリエルの異能――『永遠たる氷華エターナル•ガーデンフラワー』はアリシアとは逆の――『エネルギーを奪う』能力を秘めている。


 これにより、玄光が叩き落とした分のエネルギーごと吸収したボールは坂をかけ上り宙へと舞う。

 その隙にアリシアがボールを叩きつけた。ぽすんと軽い音が聞こえて、これにてゲームセット。


「ナイスアシスト! さすが私の可愛い妹!」


 ガブリエルに抱きつくアリシア。ガブリエルも満更ではなさそうに笑みを浮かべる。


「はい。もっと褒めてくださいお姉ちゃん」


 姉妹愛を爆発させやや百合百合しい展開へとなる一方、負けた玄光側はもはやお通夜だった。


「ショッ──ク! オレとしたことがやっちまったぜ!!」


 膝を折りたたみ砂浜へと身を埋めようとする玄光。

 御幸と創一は互いに顔を見合わせて、フッと笑った。


「まあ油断大敵ってことだな。あの球を打ち返せただけでも凄いと思うが」


「惜しかったよ玄光君。ナイスファイトだった」


 慰め合う二人に玄光はすまねえなと小さく言って、続けて真白の方を恐る恐る見た。

 多分、格好悪いところを見せて幻滅させたとでも思っているのだろうか。

 真白は玄光と同じ目線になるように屈んで薄く微笑んだ。


「格好良かったですよ玄光さん」


「……へ! 次はもっと上手くやってやらぁ」


 鼻を擦りながらそんなセリフを吐く玄光。


「あ、照れてるなこいつ」


「あはは。可愛いじゃないか」


「うっせ!」


 玄光は照れているのを隠すかのように、立ち上がる。

 もう日は落ちようとしている。早く船に乗らなければ帰るのが遅くなってしまう。


「おーい! そろそろ船が出発する時間だ。君たち早く着替えたまえ!」


 その時、他の用事があるからと席を外していた真理が水着から着替えたのか、いつものような服装のままで現れた。どうやらあと三十分もしない内に出航してしまうらしい。これを逃せばここで一夜を過ごすか、それとも全員玄光にしがみついて送ってもらうしかないのだろう。


「またそれも一興か……誰もいない無人島、取り残された美男美女たち……」


「真白ならともかく全員は無理! あと変な想像すんな!」


「俺たちだけでも」


「去れ男ども! ──そんじゃオレは着替えてくるから! 真白、少し待っててくれ!」


 まるで嵐かのように走り去っていく玄光。澪は真理の方に着いていき、アリシアたちも既におらず、ここには御幸と創一、そして真白の三人だけが残っていた。


「僕たちは──」


「俺が乾かすよ。真白さんもその場で動かないで下さい」


「ありがとう御幸君」


「あ、ありがとうございます……」


 御幸は手を振り翳して能力を行使する。

 やり方はとても簡単でとても荒技。

 衣服に付着した汚れと水分を全て空気の振動だけで振り落とす。


 イメージするのは昨日のテレビショッピングで見かけた『超音波ウォッシャー』。

 あれは水を含んだ繊維の隙間に真空の気泡を発生させ、その泡が弾ける際に生じるパワーを利用して汚れを弾き落とすものなのだが。


 今回御幸はそれを内側からやってみせた。有体に言うならミクロサイズの極小の気泡を繊維の中で作り、わずかな水分を利用して汚れを落としているのだ。


 理論さえ分かれば御幸に出来ないことはない。

 しかし普通の人間が行えば間違いなく脳に大きな負荷が掛かるだろう。

 こと能力使用の技量に長けている御幸だからこそ出来る荒技だった。


「僕は先に戻るけど、御幸君は?」


 すっかり綺麗になった衣服に感嘆しながら、創一は船の場所に戻ろう旨を御幸たちに伝えた。


「ああ。それじゃあ俺も──」


 そもそも船の位置すら知らない御幸だ。ここは創一に着いていくのがベストだろう。

 それにせっかくのバカンス……もとい海水浴だ。夫婦水要らずの時間をもう少し玄光らに上げたい。そんな御幸の気さくな心遣いは、まさかの真白によって崩される。


「ま、待ってください御幸さん。少しお話ししたいことがありまして……」


「え?」


「玄光さんが戻ってくるまで、少し良いでしょうか……?」


 波風が吹く。海岸線を望むような場所に移動した御幸は、すぐ隣で白いハンカチで汗を拭う真白を見ていた。


(本当に体が弱いんだな……エネルギーをあまり必要としない体。虚弱体質)


 御幸の軽い見立ては概ね正しい。


(それに加えて──腎臓癌か。既にだ。全身に転移していやがる。動けるのは、そしてまだ生きているのはこの都市の治療だからこそか)


 既に彼女は死んでいてもおかしくはない。

 だが、今日含めこれまで生きてこられているのは、そして動けているのは能力者が集うこの都市の最新を超えた超次元の医療サービス故のものだろう。


 だがそれでも、彼女の中に巣食う病は止められない。

 否、やろうと思えばやれるのだ。

 全身に蔓延る異物の除去なら、御幸にでも出来るだろう。


 だがそれをするには患者の気力が必要だ。

 言葉にも言い表せないくらいの苦しみと痛みを乗り越えなくてはいけない。


「あの御幸さん……本当は異能課の皆様にもお伝えすべきなのですが、玄光さんと一番仲が良い御幸さんにお伝えします」


 太陽を背にして、真白はぺこりと頭を下げる。


「本当に玄光さんを救っていただいてありがとうございます。あの人は優しいから……短気だけど根が真面目で、最初に人のことを考えられるような優しいあの人が、あのまま折れずにいられたのはきっと、あなた方のおかげです」


 本当にありがとうございます──と、真白は御幸に深く頭を下げた。


「……別に、俺は何もしてませんよ。機会を設けただけです。ここまで成長できたのはきっと、アイツが……貴女を想ってたからではないでしょうか」


 玄光の彼女に対する思いは、それはもう散々と聞かされている。

 彼女が如何に可愛くて、健気で、純情なのかを。

 そして如何に彼女が凄くて、素晴らしくて、玄光にとって大事な人なのかを。


 だが、真白の反応は予想とは違い、困った表情を浮かべていた。


「しかし……私は見ての通り虚弱体質よわくて、非能力者ひりきです。もう既に気づいていらっしゃるかと思いますが、私の体には癌があります。ステージⅣの末期癌です。私は……生きているだけで私は人の何倍ものお金が掛かってしまいます」


 玄光はいつも弁当を持参していた。生活に苦労している──とは口が裂けてでも言わなかった玄光だが、その背景を推し量ってしまうくらいには貧相だった。

 改めて、異能課の給料は取り分け良い。命をかける職業であるがため、それこそ御幸みたいに毎日外食しても手元には万札が何枚か残る程度には良いのだ。


「好きでもない人と無理やり結婚させられて、それでも玄光さんは、幼馴染だから私を助けようとしてくれて……私がいなければ、あの人はもっと別の幸福な未来が待っているはずなんです」


「…………」


「あっ……ご、ごめんなさい。いきなりこんな話をしてしまって──でも、本当なんです。今日、玄光さんにも伝えるつもりです。って──あの人の進む道に、私という重荷は必要ないんですから」


「……」


 本来ならば、ここに来ることは相当の無茶をしなければいけない。

 真理は軽く言っていたが、いくら観光地に向けた開発をしていると言っても実験島だ。そしてそこまでして得たかったものは──たった一人の幼馴染の笑顔のため。


 それに気づいているのだろうか、はにかむような、深い悲しみを色を浮かべ、口元をきつく結んでいる真白に、御幸は少し前のことを思い出していた。


「玄光は──」


『オレァずっとあいつに迷惑かけちまったからな。結婚だって、あいつの家族が病気だった真白を無理やり俺に当てがわせたみたいなもんだし』


「ずっと貴女の為に頑張り続けてきた。いや、今も頑張っている」


『最初はマジかと思ったよ。なんでオレがってな。大した稼ぎもねえオレがあいつを養えるなんて想像も出来なかった。だけどあいつには恩がある。ずっと馬鹿やってきたオレを、親すら見放したオレを迎えてくれるであり続けてくれたから』


「ずっと頑張ってきた。本当に、俺では語り尽くせないくらい頑張っているんだ」


『最初はさ……やっぱ挫けそうになって、この世界を呪わなきゃやっていけられなかったんだ。でも今は違うぜ? 異能課に入って、少しだけ給料上がったから、一ヶ月に一回の外食が三回にはなったしよ』


「だけど真白さん。──自分のせいでって思ってはいけない」


『それに──オレ、気づけばあいつのこと好きになっていたんだ。顔を見合わせれば無理やり笑うところとか、心配させないように振る舞うところとか。愛おしいと思ってさ、オレ、あいつの笑顔を見れるんだったらもっと頑張れる気がするんだよ』


 そう言って朗らかに笑う玄光の姿を思い返しながら、御幸は言った。


「だって玄光はもう報われている。貴女がいるからこそ玄光はここまで来られたんだ。……だから自分に価値がないだなんて思わないでくれ、多分玄光は、貴女と別れる以上に悲しい思いをするだろうから」


 以前から玄光は言っていた。


『体裁は夫婦なんだけどよ、そりゃあくまで体裁だけだ。最悪いつでも別れを切り出せられる……オレの方からでも、向こうの方からでもな』


『オレはどうなのかって? そりゃあまあ寂しい気はするだろうけどよ。けどそれであいつが幸せになれるっつーなら笑って受け入れるぜ。あいつマジで可愛いからよ。どっかの金持ち引っ掛けてもおかしくはないしな』


『あいつ、本当に笑うと更に本当マジに可愛いんだぜ? そりゃあアリシアよりもだ。断言する。いつかあいつが真の意味で、本当に、一切の澱みのないくらい清々しいほど笑って欲しいんだが……んま、それはオレじゃなくても良いってコトだ』


 その後の話はよく覚えていない。

 確か「マジマジ言い過ぎて伝わりにくい」とツッコミを入れたような思い出もあるような気がするが、そんな事がどうでも良くなるくらいには、玄光の言っていた事は御幸的に中々『格好いい』ものだった。


「……玄光さんがそんな事……本当、ですか?」


「むしろ逆の事があり得ないくらいだ」


 玄光という男は、どこまでも愚直で、馬鹿正直なくらい真っ直ぐで、清々しいくらいに突き抜けた気持ちのいい奴なのだ。


「そうですか……そう、ですよね……」


 そのことについては御幸よりも、彼女の方がよく知っていることだろう。

 うっすらと眦に涙を溜める真白。

 そうしている内に、おーいと遠くの方で誰かが呼んでいることに気づいた。


「ワリィワリィ、手間取っちまった。──って真白!? おまっ、まさか御幸に何かされたか? 何かこう……ダメだ考えられねぇ。おい御幸!」


 涙を流してはいないものの、泣きそうな顔をしている真白に、玄光が恐る恐る御幸の方を振り返る。


「何もしてないが。潮風が目に沁みたんじゃないのか?」


 御幸の言葉にこくこくと頷く真白。

「えーそうか〜?」と疑う玄光だったが、数秒後には「まあそうだよな」といつもの明るい笑顔を浮かべた。実に簡単な男だ。


「そんじゃまあ行こうぜ。もうみんな先に行ってるんだろ?」


 真白の手を取る玄光。いつもやっていたように。

 玄光が笑い、それに釣られるように真白も薄く笑う。

 こうやって生きていたんだと、そう思わすように。

 二人並んで歩き出す──その後ろ姿を眺めながら、御幸はああと気づいた。


 ──そうか。

 ──この二人を見ているとどうしてか寂寥感に襲われてしまう。

 ──その理由がわかった。


「幼馴染……か」


 その時、御幸はふと過去の思い出を思い返していた。

 遠い、本当に遠い記憶を思い出す。

 玄光に出会う前の、澪に出会う前の、アリシアに出会う前の、そして真理に出会う前の記憶。


 神代御幸を形成するにあたって最も重要で大事な女の子。


「結ちゃん……君は今、何をしている?」


 遠い彼方を仰いで、御幸はそう――昔の幼馴染に思いを馳せた。


 ◆


 ちなみに、なぜ玄光が真白をここに連れてきたのかというと。

 近いうちに控えた手術──癌の全除去という重く、死亡率も高い手術を受けるか悩んでいる彼女に、プロポーズするためだそうで。

 船上のデッキ、星空が瞬く中、玄光は今まで貯めていた貯金を全て下ろして買った指輪が入ったケースを胸に、彼女に改めて告白した。


「これで失敗したらどうするの……?」


 唯一の出入り口である扉の、小さな窓ガラスを覗く三人。

 その中の一人であるアリシアが、同じく御幸と創一野次馬たちに聞いた。

 単純に心配しているのだろう。物言いはともかくとして、しかし御幸たちは心配なさげな様子で笑っていた。


「これ以上は邪推だ。奥に戻ろう」


「……でも」


「アリシア。創一さんの言うとおりだ。大丈夫だよ俺たちが心配するほど、玄光はヘタレじゃない」


 少し躊躇う素振りを見せるアリシアだが、数秒経って「そうよね」と納得してくれた。窓の外では真白の隣で膝をついて、指輪を見せる玄光の姿がある。


「あいつ、バカでアホでうるさいけど──良いやつだものね」


「そうだ。バカでアホでうるさいけど」


「あはは……」


 本人が聞けばきっと物申したくなるようなセリフを言い合って、御幸たちは中へと戻っていった。


 もちろん恋愛において『良い奴』は取り分け不遇であることを、これまた邪推ながら御幸たちは知っている。創一なんかは、特に。

 そして真白には玄光に対して負い目がある。御幸の説得でその負い目が払拭出来ていれば良いのだが、人の心は繊細で分からない。今もなお彼女の胸中には申し訳なさでいっぱいなのだろうか。


 推察しても考察しても、結果はどうなるか分からない。

 だからこれは願いだ。仲間として、友人として。それに──


「──良いやつには、やっぱり幸せになってもらいたいからな」







 そして後日談として、その後どうなったかというと。

 語るまもなく、説明する必要もなく。

 今も玄光の家の写真立てにある写真の中には。


『退院おめでとう』の垂れ幕と、ベッドを囲う異能課の面々。

 そして涙で顔をくしゃくしゃにしている玄光と、中央には本当に嬉しそうに微笑む真白の姿があって──。


 その左薬指には、輝きを放つ小さな指輪があった。



 *あと二話続きます。


(次回 愛染秋葉あいぞめあきはの捻じれた青春)

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