第2話 意思疎通の難しさ

 五王たちとの出会いから世界樹に派遣する人員を送る期日やその詳細、世界樹近辺についての細かい不可侵条約、世界的なコウイチの立場についてなど何のかんのと話を詰めていたら三日が過ぎていた。逆にこれだけの内容を三日でまとめ上げられたのは五王たちの決断力の素晴らしさによるものと感心するコウイチである。


 惜しかったのだ。五王たちは本当に優秀であり、誰か一人でも事前に他の王と会話の席を持とうとしていれば必ず言葉の問題にぶち当たり、そしてそれを自力で解決していたはず。


 しかし悪い方の奇跡が重なってしまったのか、それとも特別の交流を持ってこなかった別種族に対する考え方なんてそんなものなのか彼らは何も考えず戦いの道を選んでしまった。


「人間だって、人間と戦うときにはいろいろな手順を踏むけど。その相手が話の通じない獣や害虫だったら……まあ駆除一択、だよなぁ。あんまりデカいこと言えないか」


 各国の軍が撤収して静かになった世界樹の広間。そこに臨時の会議所として置かれた、木を切っただけの簡素な円卓に等間隔で置かれた椅子の中で最も世界樹に近い一つに座ったコウイチは思い出すように呟いた。


 むしろ開戦前に王同士が一堂に会しただけでも人間よりよほどマシなのかもしれない。少なくとも彼らは、相手の最終的な意思を確認しようとする気概はあった。確認する術はなかったけれども。


 コウイチはこの世界に来る前、バックパッカーとして世界を巡っていた。自分と違う価値観を持つ人たちがどうやって生きているのか、何を考えているのかが知りたくて積極的に現地の人たちと交流していた。


 そのおかげで助かったことも死にそうになったことも殺されそうになったことも何度もあったけれど、コウイチにとってその生き方は間違いではなかった。そして学んだのだ、戦争とはクソの極みではあるがなくなるものではないと。


 最終的にどうしても譲れなくなった時には戦うしかなく、それを否定してはいけない。戦いとは消費資源的には非効率的ではあるがこの上なく単純明快な解決法でもある。


「だけどせっかく言葉があって、国のトップもバカじゃないんだから。相手を排除すべき障害だなんて決めつけない方がいいんだよ……」


 言葉が通じるかどうかはもっとも簡単な敵味方の判別方法だ。だからこそ言葉の壁を越えられたとき、驚くほど人々は簡単に仲良くなれる。言葉がわかるからこその障害というものもあるが、それはまた別の話。


「何を呟いていらっしゃるのですか、コウイチ様」


 いつの間にかコウイチの後ろに立っていた、いや、浮かんでいたのは半透明の体を持つ存在、エル・シドリムの民である霊種のパンジだった。


「少しだけ昔のことを思い出していたんだよ。それよりも本当に良かったのかい、残ってくれて」


「お気になさらないでください。私は記録官として従軍していましたが、いよいよ戦争かと思うと軍属でいることにためらいを持ってしまいまして。それならばコウイチ様のお側でこれからこの大陸がどう変わっていくのかを記録したいと思ったのです」


 ふふふ、と柔らかな声音で笑うパンジだったが、コウイチはその表情がわからなかった。なぜなら神のおかげでこの世界におけるすべての言語をマスターしてはいるものの、表情の読み方までは知らないからだ。


 そもそもパンジは霊種。霊といっても幽霊やお化けといった死者の念的なものではなく、半精神的存在である。さらにその姿も半透明で有機的な素材でできた鎧に若干触手系のエイリアンが混ざったような形容し難い姿をしている。おおむねのシルエットが人型なのはありがたいが、頭部らしいものはあっても顔というものがない。


「……言葉がわからなかったらコミュニケーションが取れる相手とも思わないよな」


「? どうかなさいましたか?」


 首をかしげている、でいいのだろうか。その辺りもおいおい慣れていくしかない。なにせ異文化交流しろと言い出したのはコウイチ本人なのだから。見た目で判断するのは異文化交流では悪手も悪手、やってはいけないことだ。


「何もないよ。それよりパンジ、住居の具合はどう? 希望の通りにしてみたけど、不都合はないかな?」


 コウイチは神から世界樹の権利の一部をもらっている。なので少し根っこを操作して部屋を作り、当面の住みかとさせてもらった。


 最初の同居人となったパンジの部屋も作ったのだが、なにせ今まで見たこともなかった種族の部屋なので人間である自分と同じものを用意するわけにもいかず、パンジの要望をできるだけ叶えたものにしたのだが。


「はい、素晴らしい依り代でした。さすがは神使様ですね、最高の眠り心地です……」


 霊種は眠るとき、何かしらの物体に入り込む。それは無防備な精神を晒さないための殻のようなものらしく、素材や形などにそれぞれの好みもある。


 そういえば布団に異様なこだわりのある友達がいたなぁなどと思いながらコウイチが作ったのは、神社なんかに置いてあるようなちょっとした祠。そしてパンジの要望に応えたずんぐりとした人型の木像だった。


「そっか、それならよかった。なんにせよ君が残ってくれてよかったよ、偉そうなことを言っておきながら私もこの世界の文化については素人もいいとこだから。他の国から人員が派遣されるのは当分先だろうし、まずはゆっくり霊種について知りたいな」


「霊種について、ですか?」


「そう、君たちについて。どうやって生まれるのか、何を食べているのか、そもそも飲食は必要なのか? 君たちの社会はどういったシステム構造なのか、長く続く伝統や習慣、種としての得意不得意や好むもの好まないもの、君たちが普通と思うもの思わないもの。歴史にあった悲劇や奇跡、日常。それらを余すところなく教えて欲しい」


 種族や国家の文化というものを理解するにはまず歴史とライフスタイルだ。暑い国では発汗作用を促すために香辛料を多用する料理が発達するように、その国の常識とはすなわちその国で生きていくための知恵である。


 そしてそれらの知恵が積み重なり、歴史と混ざり合って文化となる。コウイチは今までの経験からそう考えている。ゆえに聞く。君たちはどうやって生きてきたのか、と。


「さらに言うと、他の国の人員が来るまでに霊種とのコミュニケーションの取り方について簡単にでもまとめたい。例えば、私は肯定の意思を示すときには首を縦に振るんだけど、パンジたちの場合はそういうジェスチャーはあるかい?」


「はい。私たちは一瞬だけ頭部を光らせることで肯定を、逆に一瞬だけ頭部を消すことで否定を示します。この時、発光や消滅の時間が長いほど強い肯定・否定になりますね」


 実際にピカッと瞬き、そして蠟燭の火が消えるようにフッと頭部を消すパンジ。自在に体の一部を消すことができることに驚きながら、自分がパンジの頭部だと認識していた場所が本当に頭部だったことに安心もする。


「なるほど。他の種族と違い顔がないために表情がわかりにくいからこそだ。教えてもらえてよかった、もし何も知らないままでいきなり会話の最中に発光されたら威圧されたのかと思ってただろうから」


「そんな、威圧だなんて!」


「そうなるよね。でも考えてみて、私と君の二者間だけでもこれだけ考えや常識に隔たりがあるんだよ。そしてこれがあと四者増えるんだ。ね、些細なことがとんでもない誤解につながると思わないか?」


 日本では頷くことがYESだったが、インドでは首をかしげるのがYESだった。初めてインドを旅した時には相手はわかったわかったと理解を示してくれているのに、自分は意味が通じていないと思い込んで無駄に説明を重ね続けた経験を思い出すコウイチ。


 仮に五ヶ国の中にYESとNOのジェスチャーが真逆な国があったとしたら、それだけで会議は困難になるだろう。なにせまだコウイチを除くと通訳どころか翻訳すらできないのだから、身振り手振りは重要になる。


「コウイチ様がいらっしゃれば……」


「私は確かにすべての言語を喋れるし書ける。そして可能な限り中立の立場であろうと心掛けているよ。でも国家間のやり取りすべてに私が介入するのは不可能だし、私の言葉一つで国同士に有利不利が起こるようなことがあってはならない」


 現状のようによほどのことがなければ国同士に接触がない、というのであればコウイチが文書や会議の信憑性と公平性を保証することはできる。だが交流が進み、各国で交易や国家間旅行などが行われるようになれば物理的に手が回らなくなる。


 そうなる前に人材教育が必要だ。少なくとも国家間の交渉事を相手国の言葉で行える『外交官』の存在は必須。さらに言うなら各国の法と歴史に精通し公平な立場で助言ができる『国際法律家』も欲しいところだが、これは今すぐ育てられるようなものじゃないので高望みはしない。


 そしてそれらの人材を育成するには……


「『共通言語』が必要だ。どこかの国の言葉にするなり全く新しい言語にするなり、どちらにしても国同士のやり取りが増えるならね」


 どこの国に行ってもそれなりの場所に行けばそれなりに通じる言葉があるというのは重要である。


 そして不思議なことに、二者が会話するときに片方の母国語で喋るよりも第三国の言葉を使ってカタコト同士で喋る方が会話はスムーズになることが多い。アメリカ人やイギリス人が話す英語は聞き取れないけどフィリピン人の英語は聞き取りやすい、というのに近い。


「そうでしたらぜひ、私たちの言葉をお使いください!」


「いや、霊種と海種の言葉は使ってるのが表意文字だからねぇ……」


 表意文字とは漢字のように文字そのものが意味を持つもので、『雷』であればこれ一文字で天空を走る稲妻であるし、ここに『雨』を足して『雷雨』にすると雷が落ちるほどの激しい雨という意味を持つようになる。習得は難しいが、一通り覚えてしまえば知らない単語でも使われている文字でなんとなくの意味が分かるという便利さがある。


 表音文字は発音だけを書く文字で、『かみなり』と四文字合わせて初めて『雷』を示す言葉になる。さらに同じ発音で違う意味を持つ言葉があるとややこしくなり、『あめ』では空から降る水滴のことなのか、甘く口の中で溶けるキャンディのことなのか一目ではわからない欠点がある。代わりに基礎となる文字数は少なく、せいぜい数十種なのであとは発音に合わせて組み立てるだけだ。


 日本語は表意文字である漢字に加えて表音文字のひらがなカタカナの合計三種の文字体系を覚えなければいけず、さらにそれらを組み合わせて使うものだから日本人ですら完璧と言えるほどの人間はほとんどいない複雑な言語だった。一人称だけで軽く数十種類あるなんて、他の言語を覚えた後では魔境で育てられたような気分である。


「表意文字は知ってる人からすればこれ以上なく便利だけど、一から覚えるとなると途方もない労力と時間が要る。より多くの人たちに新しく覚えてもらうには、表音文字ベースの言葉の方が簡単だと思うよ」


「そんなぁ……」


 パンジの体が全体的に暗くなっているのは消沈のジェスチャーなのだろうかと観察しつつ、共通語を作る難しさに思案するコウイチ。


 母国語より複雑難解な共通語なんて誰も覚えたがらない。そもそもこのあたりは王たちを交えてすべき議題であって、たとえ神の使いという立場のコウイチでも一存では決められない。だがほぼ間違いなく新言語を作ることになるだろうとコウイチは睨んでいる。


 あの王たちは最後まで実力行使に出る者はいなかった。突然の事態に『武力』という最も信頼できる力を手の届くところに置いているのに彼らは言葉が通じない相手に話し合うことを選んだ。全言語を同時通訳できるコウイチがいたということを差し引いても、その事実は彼らが統治者として優れている証拠である。


 開幕一番ブチギレ寸前だったコウイチだが、王たちの器に関しては申し分ないと思っている。むしろ神に選ばれたというだけで別に法律家でもなく言語学者でもない一介の外国旅行マニアでしかない自分がどれだけ役に立てるのか心配なくらいなのだ。


 それでもやらなければならない。戦いや争いはなくならなくても、相互理解によってその数を減らすことはできるはずだから。


 戦いに巻き込まれて泣くのはいつの世も力のない人たち。彼らが流す涙は少なければ少ない方がいいに決まっている。

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