63:王子さま
「へえ、僕がいない間にリュカ坊っちゃんがそんなひどい事をしに来てたなんて……いやあ、シュサク王子がいてくれて助かったよ。はっはっは!」
テラスでお茶を啜るお父様は呑気にそんなことを言ってのけた。
あまりの能天気に思わずムッとしてしまう。
「もう、お父様ったら、やっぱりシュサクさまが紅龍国の王子様だって分かってらっしゃったのね! 隠していたなんて酷いわ。それに、リュカさまが連れていた騎士様達はみんな私達なんかよりも遥かに強くて、もしシュサクさまに『龍の加護』なんて無ければ私達は殺されていましてよ? もっと心配して下さってもよいのではありませんこと?」
そんな私の訴えすら、お父様は「ははは!」と笑い飛ばした。
「いやいや、大げさだよカリンちゃん。いくらリュカ坊っちゃんでも流石にそこまでしないよ。……ねえ、そうでしょう坊っちゃん! 今もこうして、壊した屋敷を建て直しに来てくださってるんですものねえ!」
唐突のお父様の呼びかけに「ひっ!」と小さく呻く声が返ってきた。
そちらを向けば、あらかた包帯が取れたリュカさまが松葉杖をついて青い顔をしていた。
「も、もちろんだともワックマンおじさん! 我がデボルドマン家の発展はおじさんのおかげと言っても過言ではないと父上は常々言っておられる! 今回も、じ、実はこうして屋敷の改修依頼がくることは分かっていたのでな! サプライズで驚かせてやろうと思っての事だったのだ! も、もちろん、少々悪ふざけが過ぎたのは反省するが……」
「いやあ、伯爵殿がそんなことを? 嬉しいねえ! はっはっは!」
はあ……。お父様ったら、本当に伯爵家の方々には甘すぎるわ……。
あのリュカさまもなぜかお父様の前では借りてきた猫のようにおとなしく猫を被っているので、彼の本性が分からないんだわ。色街イチの嫌われ者の素顔をご覧になってほしいものだわ。
――決闘から一週間。
一旦引き返したリュカさまは、なぜかお父様と共に大勢の大工を連れて現れた。
なんでもお父様はデボルドマン伯爵様に相談しに出ていたようで、公爵様とカイン王子を迎えるための領地の大改修を勧められたそうだ。
そこへリュカさまも現れて、せっかくだからと大工集団と一緒にリュカさまも連れて来たのだという。
現在、急ピッチで我が家の改修が行われている最中だ。なぜかリュカさまも混じって材木を運んだり釘を打ったりして、奇妙な感じ。
壊された家具も調度品も次々と新品に変わり、結果的に、家は以前よりも数倍豪華で広くなった。
今飲んでいるお茶もお母様が好きな甘い風味の、いつもよりずっとグレードの高いもの。しかもお湯もいっぱいに薄めることなく、適正量だ。……めちゃくちゃおいしいわ。
「あ、すまないんだけどリュカぼっちゃん。公爵様や殿下をお迎えするまで時間がちょっと押してるんだよねえ。この屋敷だけじゃなく、市街地の修繕も巻き巻きでお願いできるかな?」
「も、もちろんだとも! 直ぐに増員して、寝ずに働くぞ! もちろん費用は全額俺が持とう! なにせおじさんの晴れ舞台の下準備だからな! は、ははは……!」
「いやあ、たのもしい!」
……それにしてもリュカさま、ちょっと従順すぎやしないかしら。よっぽどシュサクさまにコテンパンにされたのが堪えたのね。
それとも本当にお父様に頭が上がらない……?
そんな疑念も、お父様の発言ですぐにあやふやになる。
「いやしかし、まさかうちのカリンちゃんに身分を明かしてまで結婚の申し入れをして頂けるとは、これはシュサク王子の誠意に、うちもお答えせねばなりませぬな!」
「ぶふっ、お、お父様! その話は今はなさらなくてもよいのでは……」
いきなり相席するシュサクさまにそんなことを言ってのけたので思わず吹き出してしまった。
「ははは! いいじゃないかカリンちゃん、なにせ相手は王子様だ。返事は一つ。ならなにも焦らすことはないだろう?」
「いえそんな……っ! わ、私の気持ちはまだ、その……」
言葉が詰まる。
確かにシュサクさまはお優しくて、それに私の意見を尊重して下さる。素晴らしい殿方だ。
だけど……シュサクさまの事を考えるその度に思い出されるのは……。
カイン王子との、ファーストキス……。
「カリンちゃん……? まさか、もしかして好きな人が他にいるのかい? はっ!? バスターズの子供達の中に……?」
「あ、それはぜんぜん違いますわ」
あまりにもあっさり否定しすぎて、お父様に熱が再び灯ってしまった。
「なんだ、それなら尚更、なんの問題もないじゃないか。あーびっくりしたよぉ。僕も二人の結婚が素晴らしいものになるように、頑張んないとねえ! いやあ、腕が鳴るなあ!」
お父様は、どうやらバトラーおじさまからさんざん口説かれていたようだった。
もしもシュサクさまが国を取り戻す決意をしたならば、共に戦ってほしいと。
今の今まで渋っていたようだけど、私との結婚の話を聞いた途端、その決意を固めたみたい。
だけどお父様……今回その武人たる実力を発揮することは無いでしょう。だって目指すは無血開城なんですもの。
ようやく、シュサクさまもくすりと笑って、その口を開いた。
それはどこか余裕のある、オージンさまとして過ごしていたこれまでの彼と同じ笑みだった。
「ゲンブ殿、俺はあくまでもカリンの意見を尊重したいと思ってる。年頃の娘だし大いに悩めばいいさ。まあ、俺よりもいい物件があるとは思わないがな」
男二人で勝手に盛り上がってしまい、やれやれと嘆息してしまう。
そんな呆れた私の背後から、一つの足音が聞こえてきた。
あら? 誰かしら。足音の重さと歩幅からして、カント?
丁度いいわ。少し私の愚痴に付き合いなさい。
「まったく、困ったものよね。当事者の私を置き去りにして勝手に結婚だのなんだのと話を進めちゃって。いい迷惑よ。ねえ、そう思わない?」
「ふっ、仰る通りだな。……何せお前の唇は、この先もずっと僕が予約済みなのだから」
……は?
カント? 何を言って……いやこの声はカントじゃない。そして、それは余りにも、忘れられないお方の声……!?
お父様もシュサクさまもぽかんと私の背後に目をやっている。油断しきっていた私も即座に振り向く。
そんな私の唇を、その方はいとも簡単に捉えて、父親と婚約を迫る男の度肝を抜いた。
もちろん、私も驚いたわよ……。キスされたこと以上に、その人物の正体に。
「あ、か……カイン王子さま……!? え、どうしてここへ!?」
「なに、ただのサプライズだ。くくくっお前達、いい表情だぞ?」
冷めた眼差しを向けるシュサクさまの表情に、自分の顔が火照っていることを気付かされた。
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