62:志

「――無血開城を志しなさいませ」


 そのように進言すると、シュサクさまは、目玉が零れ落ちそうなくらいに目を見開いた。

 わなわなと震えているのが、抱きかかえられた私にも伝わってくる。


 やっと絞り出した声はか細くて、目が泳ぐ。


「簡単に言うな。そ、そんなこと……考えも、しなかった……俺は逃げるか、戦うかしかないとばかり……」


 その口調はどこか上の空で……きっと今は既に、いかにして血を流さずに戦いを終えることができるかをシュミレートしているのでしょうね。


 でも、ダメよあなた。

 だってそこまで頭がよろしくないって自分で仰ってたじゃない。悪知恵は働くけどね。


 だから提案者として私も、ぜひお力添えさせてもらいますわ。


「ほらそうやって、また一人で考え込んで決めようとなさっている。それではいけませんわ。もっと周りを頼って頂けないと」


「うっ、だが……」


「周りというのは、何も私やお父様といったこんな辺境の底辺貴族のことを言ってる訳ではありませんわ。話の規模は戦争なんていう国家ぐるみのお話なのですから……」


 そうよ。自分の小さな領地一つさえまともに豊かにできないのに、国という規模のお話をされても私達ワックマン家の者がどうにかできるわけがない。

 ならばいっそ……。


「とりあえず、我が国のカイン王子殿下と一席ご一緒いたしません? ほら、たぶんあと一ヶ月もしないでいらっしゃいますし」


 おばさまと公爵様もご一緒にね。


 瞬間、またも口を大きく開く。

 私はすぐに両耳を押さえた。


「自国を取り戻すのに他国の力を借りるだと!? それで国民が納得できるわけがない! 必ず反乱が起きるぞ!?」


 ううっうるさい……。耳を押さえてもうるさい。

 だから……そういう頑固なところがいけないんだってば!


 それに私が言いたいことはもう一つあるの……!


「そうね。それにもし我が国の力を借りて紅龍国に迫っても、おそらく全世界と戦争を目論むような方々の戦意を削ぐことはできないでしょうね。そのままなら、無血開城もあり得ない」


「そうなんだよ。最初っから論理が破綻しているんだ。そんな……」


 私の一見、同調したような意見に流されそうになるシュサクさまだけど、ふと、その言葉の違和感に気づいて言を止めた。

 恐る恐るといったように、私が言ったの気掛りな言葉を繰り返す。


「待て。お前今、『そのままなら』……って言ったのか? まるで他に手があるとでも言いたげだが……。あるのか?」


「考えだけは。ただそれは、底辺領主の娘ごときが言うには余りにも絵空事ですわ。ですが、もしカイン王子が、そしてシュサクさまが理解してくださるなら……それはきっと、素敵な作戦になると思いますの」


 うーん、シュサクさまの難しい顔を見れば、まだ分かっていただけない。自身の発言力と実績と権力の無さが恨めしいわ。


 ……紅龍様なら、私の発言をどう思われるかしら?

 少しお伺いしたいわ。


 「ねえ、紅龍様! ちょっとこちらへいらしてくださいな! お話がありますの!」


「は!? ば、バカやめろって! なんでお前はそう俺の紅龍に絡みたがるんだ!? あいつは本当に気性が荒くて俺以外の言うことなんか……」


 いきなり大声で紅龍様を呼ぶものだから、シュサクさまは慌てて私の口を塞いだ。そんなシュサクさまの叱責を受けている間にも、紅龍様は怖い顔をしながらあっさりとこちらへ泳いでくる。


「へ? 紅龍、お前……?」


「ぷはっ! もう、苦しいじゃない!」


 口元の彼の手をようやく押しのけて文句を一つ。

 それから紅龍様を見て、その暖かで優しい金色の瞳に思わず笑ってしまう。


「まったく、こんなにお優しい目をする紅龍様をまるで乱暴者のように仰るんだから、シュサクさまって本当に……見る目がないわね」


 私なんかにプロポーズするくらいね。


 紅龍様の顎を撫でると、グロロロ……と啼いた。

 それを呆然と眺めて、シュサク様は、ようやく肩の力を抜いたのだった。


 焼けた庭と荒れ果てた屋敷を残して、この度の決闘は、これにて終幕となった。

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