35:やってやるわ!

 今日、おばさまは出立する。

 いつものみすぼらしい格好で、よその街にいくというのに着飾りもせず、まるで近所に買い物にでも行くように……迎えの馬車に乗り込んだ。


 お父様がウェストパインの領主様に話をつけていたそうで、旅路の安全は確かに保障されるという。


「お金が溜まったらまた戻ってくるからね。……みんな、こんな私のためにお見送りまでしてくれて、本当にありがとう」


 おばさまは、領民たちからの溢れんばかりの差し入れを抱きしめて、笑顔でそう言った。

 ……目にはくまが浮かんでいる。そりゃそうだ。寝れるはずがない。

 一人で知らない街へ、誰とも知らない男たちに体を売りに行くのだ。不安で不安で仕方がないのは当たり前だ。


 それからおばさまはお父様に向いて、深々と頭を下げた。

 お父様は険しい顔で目を伏せた。


 次に、おばさまは私を見つめてきた。

 その顔に、私のせいでこんな目にあったなどという非難しようという意思は微塵も感じられない。

 そんな純粋な彼女の顔を、私もしっかりと見返してやる。


 ――このままおばさまを行かせてしまえば、きっともう二度と戻っては来ないだろう。

 オージンさまが言っていた。

 風俗に堕ちたらもう、以前までの暮らしには戻れない。少なくとも金回りはよくなるので「いい暮らし」ができるようになってしまうからだ。

 借金を返し終わったとして、その頃にはもう何度も体を売った身だ。この先あと何回売ろうとも汚れた事実は変わらないと、もはや自分の体がどうなろうといとわなくなってしまうのだという。


「聞いた話だ」


「へえ。どなたから?」


 しまったという顔をして、そそくさ彼は逃げた。……フケツね。


 その話があったから、おばさまの今の子の顔を、しっかりと目に焼き付けておきたかった。

 後ろめたくても、二度と見られないだろうその純粋な笑顔を覚えておきたかった。




 ――それから、自分の決意を、確固たるものにしたかったから。


「では、行きますよ。……ワックマン様、本当によろしいですね?」


「ああ、よろしく頼むよ。ウェストパイン様にはいつも迷惑をかける」


 お父様と従者のやり取りが済み、いよいよ、馬車が動き出す。


 ――私はすかさず、待ったをかけるッッ!


「待ちなさい! 忘れモノよ!」


「え……?」


 私の大声に、馬車がぴたりと止まる。

 そしてすかさず――私は駆けた!!

 馬車の荷台に飛び乗った!!!


「え!? カ、カリン様!?」


 目を白黒させるおばさまはいったん後回し! 続けて、指笛をピィ! と合図!

 来なさい! 我がしもべ達!


「アルク! ハイレン! 来なさい!」


「「ハイ!」」


 躊躇もなく駆け出す二人。私と同じように、馬車に元気に飛び乗ってきた!

 ……打ち合わせも何もしていない。私の突発的な行動だというのに、彼らは迷うことなく付き従ってくれた!

 最高ね! あとで褒めてあげるわ!


 ――ええええええ!?


 聞こえてきたのは、領民たちの大合唱。

 お父様だって、度肝を抜かれた顔をしていらっしゃるわ。困り顔のお母様がぎゅっとお父様の袖を掴んだ。


「な、カ、カリンちゃん! どういうつもりだい? そうやって馬車を止めても、状況は変わらない!」


「いいえ、お父様。状況は変わりますわ。――これでおばさまは、風俗で働かずに済むのですから!」


「んん!? 何を、いったいどうするつもりなんだい?」


 わけを聞こうと私に近づこうとするお父様だが……お母様に袖を掴まれているために、歩を進めることができない。

 ナイスお母様!


「ちょ、ヒャコちゃあん……」


「まあまあアナタ様。カリンちゃんの気持ちをちゃんと聞いてあげて?」


 もちろん、お母様にだって何も言ってない。

 私のいきなりな行動も、しっかりと汲んでくださってくれたのだ。……ありがとうございます。私、頑張りますわ。


「私、考えましたの。確かにこれは自分の甘い考えが招いたこと。……ですが、私の不始末だというのに平民にその責を負わせるのは、それこそ貴族として恥ではないのでしょうか!」


 お父様に真っ向から意見をするだなんて、これまでしたことがなかった。する必要がなかったし、これほど優しく私を思ってくださる人に意見をするだなんて、とてもわがままを言おうだなんて気もなかった。


 だけど今回ばかりは――!

 わがまま、言わせてもらいますわ!


「なので私は決意したのです! 私の不始末は私が自ら払拭しなければならないと! なのでは私は――冒険者になります!」


 うおおおおおおおおお!

 歓声をあげて、子供たちがぞくぞくと押し寄せてきた。


 大人たちは、ポカンと呆けていた。

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