12:パンを焼きなさい
「……あ、カリン、お嬢様……? あれ、こ、ここは……私は……?」
パン屋のおばさまが目を覚ます。
私の膝を枕代わりに、まだ覚醒しきっていないのだろう。ぼーっとした表情で私を見上げたまま、状況が理解できずに固まってしまっている。
「よっしゃあ! みんな、おばさんが目を覚ましたぞ! カリン様が命をお救いになられたぞォォ!」
そんなおばさまの心の安寧なんて気にもしない大声で、約立たずのカントが盛大に吠えた。
カントの声にビクッと怯えるおばさまだけど、次の瞬間に始まる大合唱が、そんな怯えなんて遥かに超えるビクつきをおばさまに体験させた。
「うおおおおおおおお!!!」
「奇跡だ! カリン様は聖女様であらせられたかっ!?」
「なんて素晴らしきお方だっ!!!」
「カリン様バンザーイ!! 我らが領地の聖女様バンザーイ!!! いやもういっそ女神様バンザーイ!!!!」
気付けば、辺りには多くの領民が勢揃いで、誰もが喜びに打ち震えていた。
もう、大袈裟ね。付け焼き刃の蘇生術がたまたま成功しただけで、しかも救ったのはただのパン屋のおばさまよ?
まあ逆を言えば、それだけみんなにこのおばさまが慕われていたってことなのだろう。
「まあ、どうしてみんな……何があったのですか? カリンお嬢様?」
「おいおいおばさん、忘れちゃ困るぜ。あんた、突然死んじまったようにぶっ倒れてさ、それをカリン様がお救い下さったんだぜ!」
なぜか得意げにカントが口を挟む。
あなた、今回の一件においては完全に足を引っ張ってくれたっていうのに、よくもまあそんなお顔ができますわね?
ひと睨みしてやると、顔を青くして苦笑い。ふんっ、まあおばさまが無事だったことだし、これ以上は不問にしてあげるわ。
そんなおばさまは、ようやく経緯を思い出したようで、滂沱の涙を溢れさせながら、地面に頭を擦りつけるほどに深々と頭を下げた。
「まあ、まあ……! おお、カリンお嬢様……ありがとうございます! ありがとうございます! うううっ! いくらこの身を捧げてもお返しできるものではありませんっ!」
「あらあら……笑わせないで頂ける? あなたの貧相なお体なんかに価値がないことなど誰もが知るところですわ。捧げられても困ってしまうわよ」
カントがむっと顔をしかめる。なによ、当然のことを言ったまでじゃない。そんな顔を私に向けるなんて……やっぱり今日のあなた、なんだかおかしいわよ?
まあいいわ。今はおばさまの話よ。
「で、ですが……ですかカリン様! 私は、心苦しいのです! ああ、カリン様の施しがあまりにも……あまりにも身に余る光栄すぎてっ!」
おばさまは未だに顔を上げようとしない。ずっと跪いて喋っている。肩を震わせて、嗚咽しながら……いやまた心臓止待ってしまいそうでめちゃくちゃ不安ですわ!
まったくこれだから下民は……。
……庇護欲をそそりますわね!
「ふん、安心しなさい。あなたには考えもつかないでしょうけど、私はもう、おばさまにはあることをさせようと決めているんですの。これに拒否権なんてありませんわ」
「……はい。もちろんでございます。例え死ねと言われたとしてもすぐに実行してみせます!」
「うふふ……バカね! せっかく助けてあげたのですからもっとその命はお大事になさい! それにあなたにしてもらうことなんて、どう考えても一つしかないでしょう!」
「え……ですが私に、できることなんて……」
ここまで言ってもまだ分からないかしら?
戸惑いを見せるおばさまに、もう私は簡潔に要件を伝えることにした。
「――パンを焼きなさい。今日から、明日も明後日も、これから先もずっとずっと焼き続けなさい。それがあなたの生涯の使命ですわ」
おばさまは、ここでようやく、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの汚らしい顔を私に向けた。
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