9:話の通じる相手

 コツ。コツ。コツ。

 岩場の地面を踏み鳴らす一定のリズム。


 心臓が――止まる。

 呼吸が止まる。

 挙動が止まる。


 モンスター。

 女神でもって、地獄すらなまぬるいと言わしめるダンジョンに潜む、恐ろしいモンスターが、とうとう俺の前に姿を表そうとしている。


 毛穴という毛穴がすべて塞ぎ込む。

 全身が心臓になったかのように脈動している。

 はやく、逃げなければ……!

 そうは思っても、なかなか、体が動いてくれない。


 くっそ! 俺の根性なし! 意気地なし!

 カエルだって、動けなくなるのはヘビに睨まれてからだってのに!

 足音だけでブルって腰抜かしてんじゃねえよ!




「おーい」


 ……え?


 人の声。

 ……人の声!?


「おーい。誰かいるのか? 今救助に向かうぞ」


 うん、人の声だ。嘘だろ。まさか、足音の正体は人間だったか!

 女神は生きてこのダンジョンを攻略した者は一人もいないと言っていたが、何てことないミスリードだ。

 生きてる奴はまだ攻略途中ってだけなんだからな。


 まあ、どうして姿も見えないのに俺の存在に気付いたのかって話だが……そりゃ気付くか。

 俺、光ってるもん。


 それに床を転げたり、うめき声も上げていたはずだ。

 たまたまこのダンジョンのこの階層を攻略中だった冒険者がいれば、異変に気付いて様子見くらいしてくるよな。


 助かった……!

 やっぱそうだよな、クソ女神めビビらせやがって!

 序盤で死んでちゃ成り上がりもクソもない。しっかりと頼りになる仲間を配置してくれてるんじゃねえか!


 やっと……ようやくだ。

 希望が見えた!


「安心しろ。俺が守ってやる」


 耳元。


 シブいおっさんボイスがすぐ真横から発せられた。左耳だ。


 心臓が口から飛び出る勢いのまま即座に振り向く。

 気配がなかった。いや最初に声をがした方向をずっと見ていたのに一瞬の影すら捉えることができなかった。


 泣いた。普通にびっくりして涙が出てきた。

 それくらい怖かった。


 しかし逆を言えば、こんなに目にも止まらぬ俊敏性を持ったおっさんなんて強いに決まってる。最強かもしれん。

 そんな雄姿を一目拝もうと、俺は瞬時に振り向いたのだ。


 いない。

 そこには湿った岩肌が反り立つばかり。


 なるほど、シャレが利くね。

 超スピードで翻弄してやがる。


 一瞬イラッとしたが、再びその姿を探ろうと見渡してみる。


 いない。


「こっちだ。どこを見ている」


 またしても左耳。「もー脅かさないでくださいよー!」と笑顔の中に苛立ちを隠しながら振り向く。


 いない。

 ……え?

 これは流石に怒りを通り越して恐怖だ。

 幻聴? 俺の精神がこの状況に耐えきれずにイマジナリーフレンド爆誕させちゃった?


「心配するな。俺はちゃんとここにいる」


 いや、声はする。間違いない、はず。

 でも明らかにその声は俺の真正面から聞こえてくるものであり、俺の真正面とはつまり声がして振り向いたさっきの場所。

 湿った岩肌だ。


「ここだここ。よく見ろ」


 声がする。目の前だ。相変わらず人の姿はない。

 透明人間? 壁に同化してる?

 どこだ。また声。音波を辿る。どこだどこだど――。


 ――いた。

 

「やれやれ、ようやく気が付いたか」


 そこにいたのは、人じゃなかった。

 人じゃないのに人の言葉を話していた。


 そして、それはあまりにも頼りない存在に見えた。


「あの、誰ですか。あなた」


 声の主は堂々と言ってのける。


「俺は、トカゲだ」


 見るからに、そしてその言葉通り、それはトカゲだった。

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