潜入捜査、自供

 クラブ棟は俺たちが授業を受ける校舎と、学食が入っている建物を挟んだ対角線上に位置していた。古びたコンクリート造りの、無機質な二階建てのアパートのような作りになっていた。通路を覗いてみると、入り口のドアの上にはそれぞれ「アーチェリー部」とか、「書道部」というような表示が連なっており、先日の火災訓練のせいか、つるりとした通路には何も放置されておらず、通路の蛍光灯を重たく反射していた。大学が併設されている高校だから、こうした施設面が充実しているのだという話だった。以前は大学が所有していた建物であったらしい。本当かどうかは分からないし、実は正直なところ、それほど興味もない。


 偶然、俺たちの顔見知りが数名すれ違っていった。コガの友人達はコガと顔を合わせると、キャアキャア言いながら絡みついて、何かしら意味不明の単語が飛び交う会話を早口で交わした後、手を振って去っていった。そのほとんどがコガの姉妹だと紹介されても信じてしまうくらい雰囲気がよく似ていた。


「コガの友達って、よく似てるよな」


 思わず声に出してしまうと、コガが


「へ? 誰と?」


 と真顔で分からない、という顔をして答えた。本人にしては、決定的な違いが友人達との間にあるのだろう。それはそれで構わない。どうでもいい事だ。コガの友人達が俺を透明人間のように扱う振る舞いをするのに比べて、俺の友人 ──別名韻の者衆は、俺がコガと一緒にいるのが天変地異か何かのようにうろたえた。ある者は、俺と話をしている間、隣のコガから視線をジッと離さず、俺がコガについて何かしらの説明をするのではないか、と期待するような謎の間が会話の末尾に必ずついたし、別れる時も口だけで俺と会話し、コガから0コンマ1秒も目を離さなかった。別の友人はちゃんとコガとも普通に話をしたが、いつも俺のことをクボッキー、クボ殿と呼ぶのに、その時だけ「おまえ」とか「こいつ」と俺を呼んだ。俺は思わず友人の両肩を掴んで揺さぶり、「おいどうしたんだ、いつも通りにしてればいいじゃねえか、コガが何だって言うんだ、たんなる猿だぞ」と言ってやりたくなったが、やめておいた。話がややこしくなるし、何となく恥をかかせてしまいそうな気がしたから。「そんじゃそろそろ帰るわ。あばよ」と言ってその友人は別れていった。


「ケンイチウジの友達ってさぁ……」


 何人かの友人とすれ違ったあと、コガがボソっと言った。


「なんか似てるよね」


「似てないわ!」


 俺は思わず大きな声を出した。


 ▪️


 二人がヤリ部屋としているアーチェリー部の部室は、一階の端から二番目にあった。外から見ると、電灯の光が漏れている部屋は数室しか見えなかった。アーチェリー部の部室も真っ暗だった。外は背の高い木と膝下くらいの垣根が植えてあって、建物の窓にはカーテンが引かれていたり、ダンボールで塞いであったりして、中を伺う事は出来なかった。俺とコガは周囲を見渡し、アーチェリー部の部室の窓の端っこからそれでも中を見ようとした。廃部になったはずの部室には、白いカーテンが閉じられている。


「もう帰っちまったのかな」


 俺は何となく小声で、となりの耳だけをひょっこりとマフラーからはみ出しているコガに言った。コガは注意深く足元の木の枝で音を出さないように踏み入れて、窓に耳を当てた。


「まだ帰ってないと思うよ」


 しばらくしてから耳を離し、顔をミトンの手袋をした両手で隠して小さな声で言った。俺は息を飲んでそのコガの様子を見た。コガは暗くて分からないが、恐らく顔を赤くしている筈だった。俺も恐る恐る窓に耳を当ててみた。氷のように冷たい。


 中からはゴトゴトという定期的な音と、手拍子のような音と、間を縫うように獣が唸るような息をする男女の声にならない声が聞こえた。時折音が弱くなったり強くなったりするものの、中で何かしらが行われているのは間違いがなかった。何かしらっていうか、明らかにセックスしてやがる。この野郎……ッ! 俺は激怒した。友達から借りて見たアダルトビデオと同じ音が聞こえた事に一種感動に近いものを覚えながら俺は激怒した。


「あたしもう帰りたい……」


 コガが消え入るようなか細い声を出した。


「帰るつったってお前、どこに帰るんだよ」


 俺は古典と化しつつある名作アニメのセリフを引用したが、帰宅に決まっていることは分かっていた。売り言葉に買い言葉だ。今更帰る訳にはいかない。このまま帰って、一体どうしろと言うのだ。どうにかして現場を見てみたくなったが、いくら目を凝らしても中は窺い知れない。ちきしょう。


「ちょっと吐きそうかも……」


「ちょ、待てよ」


 コガが不穏な事を言い始めたので、俺はすかさずキムタクの真似を挟みつつ現場を離脱することにした。クラブ棟からバス停に向かうまでの間に、コカコーラの自動販売機が数台設置されている休憩所があったので、そこのボロいベンチに腰を掛けてコガを休ませた。


 コガはベンチの端っこに身を縮みこませて浅く腰を掛けて休んだ。俺は安っぽい電灯がチラついてる自販機で缶コーラを無意識で買って後悔した。この糞寒い時にコーラ。思わず舌打ちが出た。しかし買ってしまったものは仕方がない。コガの隣に座ってプルタブを開ける。わざとらしいくらいコーラの音がする。


「当たり前のことなんじゃないの?」


 俺は辛く感じるコーラを一口飲んでコガに聞いた。


「何が」


 コガがウザそうに口答えをした。


「男女がああ言う事をするのってさ」


「あいつら結婚してないでしょ」


 顔を伏せたまま小さな声でコガが言った。


「そうだった」


 俺はコガが吐き気を催したのは、二人が結婚をしている・していないの問題ではないのだろうと思ったが、じゃあそれが何なのか、という点については言葉に表し難かった。ただ単に、興奮し過ぎて気持ちが悪くなったのかも知れない。事実、俺はあの時、有り体に言って興奮していた。やべえものを見た、というか、聞いたという感じがした。そして、その儀式(儀式?)をコガと共有した後では、俺とコガの間に通じていた関係性とでも言えるものが少しだけ変わってしまったような気がした。俺の隣に、拳三つ分程度離れて座っているコガは確かにコガだが、単なるコガではなく、俺にとって何かしらの可能性を秘めた一人の女性に見えてきた。まったく、こいつは、と俺は足を組んだ。こんな時に硬くなってしまっている。これほど寒いのに。とても熱く。


「もう、帰るか?」


 俺はコガに聞いた。あいつらに忠告してやる、という数分前前の心意気は消沈していた。あの義憤に燃えていた自分がまるで大昔のようにくすんでいた。白黒写真で額縁で飾られていた。もうお亡くなりになっていた。今はもう、おまえら勝手にヤってろよ、という諦めにも似た気持ちになった。コガはコクリと頷いた。その横顔からは何も伺い知る事は出来なかったし、何かしら気の利いた一言でも掛けてやれれば良かったが、あいにく何も浮かんで来やしなかった。俺は冷たいアルミ缶に口を付けて、なるべく早くコーラを飲み干そうと試みた。しかし寒い日のキンキンに冷えたコーラは口の中で苦味を増し、炭酸は口の中で空虚に膨らんだ。俺は全然コーラなんか飲みたくなかったのだ。ちきしょう、冬の匂いがする。


 そうしている内に二人が遠くに見えた。ゴウとヒジリが。帰り支度が早いんだよ、クソが。すっかり帰るつもりになっていた俺は、仕方がなく忠告を与えてやる事にした。

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