エッチなことはいけないと思います、と言いながらお前も見にきてるじゃん

 数日後、そのような訳で俺とコガは放課後に学食のテーブルで時間を潰していた。学食は大学と併設されているわりと大きな食堂で、白い4、5人掛けの丸いテーブルと、横並びで食べる長机が設置されていた。昼食時は丸いテーブルは大学生、長机は高校生、と何となく暗黙の了解の内に決められていた。夕方の学食は暮れなずむ夕日が窓から差し入り、気だるいコーヒーと煙草の匂いが立ち込めていた。私服の学生がまばらに席について喋ったり、ノートを広げていたり、伏せて眠っている者もいた。


「結局お前も来てんじゃん」

 俺たちは丸いテーブルについて、時間を潰す事にした。

「しょうがないでしょ、あたしがあんたにこの事を教えたんだし。どうなるか顛末を見届けないと、気持ち悪いじゃない」


 ゴウとヒジリが学校でヤってる疑惑を解消すべく、現場を抑えようと計画していた訳だが、俺がひとり静かに教室を去るのをコガが目ざとく見つけ、そのまま付いて来てしまったのだ。


「さっき漫研の子から情報もらったんだけど、二人は確かにクラブ棟へ入っていったって。いかにも見つからないように、って雰囲気で、あれじゃ返って目立つわって言ってたわ」


 コガは学生鞄から水筒を取り出すと、大事そうに中身を注いでひとくち飲んだ。


「前から気になってたんだけど、その水筒の中身は何なの?」


「これ?」


 不思議そうにコガがステンレス製の水筒の蓋兼コップを俺に向けて、不必要なくらい不思議な顔をして聞いた。


「そう。前から気になってたんだ」


 コガがさらに目をクリクリと回し、ふざけた顔をしてきたので俺は思わず笑ってしまった。


「猿みたいな顔しやがって!」


「あたしが何を飲もうとあたしの勝手でしょ!」


 飲み干すと、カポッといい音をさせて水筒の蓋を元に戻した。


「なんだ、ただの麦茶か」


 と俺が当てずっぽうに言うと


「全ての答えは、自分の胸にある」


 コガがゆっくりとしゃがれ声で答えた。


「若者よ、答えを見つけるでない、それはおのずと……」


「うっせえな!」


 俺は大きな声をだした。


 それから俺とコガはしようもない話をして時間を潰した。その時はまだ夕方の4時を回ったばっかりで、コガの友人によると、「あの二人は最後のスクールバスで帰ってるみたい」という事だから、最後のバスの時間に合わせて校門あたりで張り込み、クラブ棟から二人で出てきたところを抑えるという計画だった。当然やつらはしらばっくれるだろう。「俺たちが学校でヤってる?」「バカだな」「ちょっと空き教室を借りて勉強をしていただけよ」「もうすぐ期末試験も近いし」「すぐそうやってヤル、ヤラないで考えるんだから」。しかし俺がちゃんと、もうそういう噂になってる事をゴウに教えたら、いくら何でもこれから先は控える筈だ。俺は何もあいつらの秘密を暴きたててわあわあ騒ぎたい訳じゃない。単に、危ない橋を渡るのはよせ、と忠告したいだけなのだ。唯一のまともな友人だから。それにしても、最後のバスまでは暇すぎる。大学生に合わせて19時15分が最終なのだ。時間を持て余す。


 俺は話をしながら、コガがどことなく不自然なくらいに話を続けている様子に気が付いた。緊張しているのか、それとも興奮しているのかは分からない。いつもより陽気で、はしゃいでいるようだった。確かに、ゴウとヒジリの秘密に水を差すような事をするのだから、ちょっとしたスリルはある。しかも、今この瞬間、まさに二人はヤっているのかも知れないのだ。同い年のゴウが先に女子とセックス? 同級生の綺麗で文武両道な彼女と? 学校で?


 そう俺が思うに至るに、突然自分が与えられるべきものを与えられていない惨めな野郎に思えて、眉間に皺が寄るのを抑えきれなかった。目の前のコガはずっと、ゲームセンターに新しく導入されたパズルゲームのキャラクターの可愛さを力説していた。なけなしの100円をはたいて頑張っているが、どうしても三面から先に進む事が出来ない。家庭用に移植されるのはいつ頃になるのだろう? そしてカセットはきっと八千円を超えるんじゃないかしら。スーパーファミコンだったら一万円を超えるかも。そんな大金、このあたしに一体どうしろと? そういえば、二十歳を超えたら毎月国民年金で一万円取られるって知ってた? 強盗? ねぇ、国は強盗なの?


「なあコガ」

「何じゃ」


 突然話を遮られたコガがキョトンとした顔をして俺を見た。


「あいつら、今、ヤってんのかも知んない」


 何となく、意味もなく言葉が出た。コガは大きく息を吐いて、少ししょぼくれたみたいに身体をもっと小さくした。


「そういう事言うなよ……想像したくない」


「でもさ、不思議だと思わん? こうして学食を見回してみてもさ、学食のおばちゃんも、清掃のおじさんも、そこらへんのボンクラ学生も、概ねヤッてる筈じゃん。頻度とか、なん年前とか、そういうのはとりあえず置いておいて」


 むう、と腕を組んでコガは黙った。しかめ面で小さい口をへの字に、本当のカッパみたいにひん曲げている。俺は何となく自分が悪い事をしているような気持ちになったが、言いたいことを止める事ができない。


「小学校の時さ、担任の女の先生が妊娠したってんで、休職したんだ。三年の時かな。結構好きな先生だったから、いなくなるのは寂しかった。みんなで見送りしたよ、立派なお腹をしてた。おめでとう、おめでとうってみんなで言って、先生はいなくなった。そんで、子供が出来るという事は、男とヤったって事だって気付いたのは、小五とか、小六くらいだ。世の中間違ってるって思ったよ」


「何で?」


 コガが小さい声になって、真顔で聞いてきた。


「そんなの、当たり前のことじゃん」


「当たり前のこと?」


 俺は驚いて言葉を見失った。今まで言いたかった事が一瞬で、地面に落ちた枯葉が強い風を受けたかのようにパッと宙へ舞ってしまった。


「だって、やらなきゃ出来ないからね、子供。結婚したらそりゃヤるでしょ。しかも相当ヤらなきゃ子供はできないってオカンが言ってた」


 言いたくない事を言わされているような顔をしてコガが言った。


「お、オカン?」


 俺は驚いて思わず聞き直した。


「何よ、別に悪い事じゃないでしょ。男女にしても、そうしなきゃ人類滅びるんだし。オカンがあたしを産んだってことは、そういう事なんだし」


 ジロリ、と俺を睨んだ。


「いや、そりゃそうだけどさ」


 俺は怯んだ。怯んだし、何だか落ち込んだ。突然自分があまりにも子供じみているように感じた。コガのくせに。


「つまりさ、俺が言いたいのはこう……何というか」


 俺は何とか宙に舞い、どこかへ散った思いの断片のようなものを手元に再び集めようと言葉を探した。しかしそんなものはどこにも見当たらなかった。喉元まで何かが出ようとしている。発せようとされている。明確な形をもった空気が喉を膨らませ、後頭部をしびらせる感覚に徐々に変わっていった。


「少女漫画とかでさ、恋とかするじゃん。女子が大抵かっこいい男子とか、お金持ちのやんちゃボンボンを好きになって、キュンキュンとか、そういう感じで」


 俺はコガに借りて読んだ、というか、無理やり押し付けに近い形で読まされた漫画たちを引き合いに出して、何とか言葉をひり出した。


「それってつまり、好きな男と結婚して、子ど……セックスがしたいっていう事を隠して、恋愛をしているって事なのか? つまりこう、俺が言いたいのは……」


 俺は頭を抱えた。一体何が言いたかったんだった?


「みんな性欲を隠してルンルンに恋だのして、結婚だの妊娠だのしてて、どいつもこいつも澄ました顔をして普通に生活しすぎじゃねえか?って事がケンイチウジが言いたい事でござるか?」


 コガが要約するかのように腕を小さな胸の膨らみの前で組んで、いつもの口調で言った。こいつ本当に胸無いな、と俺は思った。とにかく、その通りだ、その通りだと思う、と意思を示すために俺は頷いた。


「みんなそこまで考えないと思うよ。少なくとも恋愛漫画を読んで、マグワイについてまで思いを巡らせる人は少数だと思う。いない事はないけど、多分」


「それって、真実から目を逸らしてるんじゃねーかって俺は思うんだよ。本当の事から目を逸らして、単なるごっこ遊びをしているんじゃないかって。だいたいの人形にアレが付いてないみたいにさ、表向き取り繕ってるだけで中身はスカスカ、ツルツルじゃんって」


 むぅ、とコガは眉間に皺を寄せて目を閉じ、タコみたいに口をすぼめて考えているように見えた。しばらく、学食の食器が重なる音や学生らが喋る声などが一体となって頭上から降り注いだ。


「それが悪い事とは思わんけどな」


 コガが小さな声で言ったが、それはずいぶんハッキリと、俺の近いところで聞こえた。


「あんまり混みいった所まで入っていく必要はないんじゃよ、ケンイチウジ」


「おい」


 突然野太い男の声がした。そっちに目を向けると、学食の白い調理服を着たおじさんが、俺たちの丸テーブルの側に立って、俺たちに声を掛けたようだった。


「ここ、高校生は五時までしか使っちゃいけないから。早く帰れ」


 壁に張り紙もあった。そういえばそうだった。あ、すみません、すぐ帰ります、と俺とコガはパタパタと荷物をまとめ、出口へ向かった。いつの間にか疎らになっていた学食の学生たちは誰もこちらに、チラリとも視線を送らなかった。外は肌寒く、夕暮れは夜になっていた。半地下の学食から狭い階段を登りきると、キンキンという甲高い音と共に街灯に光が灯っていった。もう夜なのだ。そして最終バスまでに時間はまだまだある。緑色のチェック柄をしたマフラーをぐるぐる巻きにしたコガがうぅ〜、暗いよ、さびいよ、ひもぢいよ、と呻いた。ひもじくはないだろ、と俺は思った。さっき、学食でコーヒーゼリーサンデーを奢ってやったのだ。単なるバニラアイスが載ってるコーヒーゼリーってだけで、50円も上乗せしやがる悪徳メニューだ。


「どうしようか」


 紺の大きめなPコートにぐるぐる巻きのマフラーをして、小さいまりもみたいになったコガが呻いた。


「こんな所で時間潰すと風邪ひきそう。退屈だし、帰ろうか」


 寒さと暗さで弱気になっているのだ。


「見学しに行こうぜ」


 俺は閃いて、言った。


「どこへ、何を」


「クラブ舎へ、二人の営みを」


 キョトンとした顔をして、コガが言った。


「馬鹿なの? 暇なの?」


 もちろん俺はその両方を兼ね備えていた。



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