曙光

御園詩歌

曙光

 10月半ば。残暑も過ぎ、朝と晩はすっかり冷え込むようになった頃。

 週末のキャンプに向けて、新調したキャンプ用品を抱え帰宅すると、ポケットにいれたスマホが震えた。

 相手は友人の真宙で、ちょうど一緒にキャンプに行く予定の友人だった。

 俺は通話ボタンをタップして耳にスマホを当てる。

「もしもし?真宙か?どしたん?」

 しかし、電話口から聞こえるのはザーッというノイズのみ。電波が悪いのかと思えば、どうやらそうではないらしい。しばらく待ってみても、一向に声が聞こえない。

「何だよ。用がねぇなら切るぞ」

 少し苛立ちながら俺が言うと、やっと雑音混じりの声が返ってきた。

 普段の真宙からは考えられないような暗い声だ。ぼそぼそと喋るその声を聞き取ろうと、俺は必死に耳を傾ける。

 低くくぐもった声で真宙は言った。

『人を……殺した……』

「え……?」

 真宙の言葉の意味を理解するまでに数秒かかった。

 人を殺した? 

 真宙が? 

 一体どういうことだ?

 頭の中で様々な疑問が飛び交う中、真宙が途切れ途切れに話を続ける。

『だから……ごめん。キャンプ、行けない。ホント、ごめん』

 もし本当なら、キャンプのことなんか気にしている場合ではないだろう。

 しかし、真宙の口調は聞いたこともないほど暗く沈んでいて、とても冗談だと笑い飛ばせるような雰囲気ではなかった。

 それに、こんな嘘をつく理由もない。

 つまり真宙は本当に人を……?

『それだけ、だから、もう……』

「ちょっと待てよ!」

 俺は咄嗟に叫んでいた。

 この電話を最後に、もう二度と真宙に会えない気がしたのだ。

 そしてそれはきっと気のせいではない。そんな確信があった。

 俺が呼び止めると、電話の向こうで真宙が小さく息を飲む音が聞こえた。

沈黙が流れる。

しばらくの躊躇いの後、真宙は自宅の場所を告げた。


***


 真宙の家はそう遠くない。何度か訪れたことのある住宅街を車を走らせること10分弱、最寄りのコンビニ前で真宙を見つけた。

「真宙!」

 顔を上げた真宙はひどく青ざめていた。

 目は骸骨のようにくぼみ、まるで真宙の方が死人のようだ。

「大丈夫か?」

 大丈夫なわけがない。そう分かっていても、それ以外にかける言葉が思いつかなかった。

 案の定、真宙は力なく首を横に振った。

「まあ、いいや。とりあえず飲み物でも買ってこうぜ」

「は……? 何言ってんだよ。警察行かないとだろ……」

「真宙はコーヒーでいいよな? 俺買ってくるから、車乗ってろ」

「だから、警察に──!」

「いいから乗ってろ」

 俺は半ば無理やり真宙を押し込める。

 手早く会計を済ませ、車に戻ると、真宙は助手席に座って項垂れていた。

 購入した缶コーヒーを手渡すと、ふてくされたままそれを受け取る。

 俺はエンジンをかけて車を発進させた。

 無言のまま走り続けること数分。

 目に見える景色が市街地を離れ、殺風景な山道へと変わっていく。

 やがて車が人気のない林道に差し掛かかる頃、ずっと黙って窓の外を見ていた真宙が慌てたように口を開いた。

「ちょ、どこ行くつもりだよ!?警察行けよ!ていうか帰れ!!」

「運転中に大声出すなよ。事故るだろ」

「バカ! 止めろ!」

 ハンドルを掴む真宙の手を強引に引き剥がす。

 抵抗する真宙を無視してアクセルを踏み込むと、車はスピードを上げて加速していく。

 俺はそのまま車を走らせ続けた。

 やがて真宙は諦めたのか、うなだれるように助手席のシートに身を預け、弱々し気に呟く。

 その声には涙が滲んでいた。

「何考えてるんだよ……お前……」

 俺は正直に答えた。

「キャンプだけど」

 俺の言葉に真宙が目を丸くして驚く。まるで信じられないといった表情だ。

「分かってんのかよ……オレは人殺しだぞ」

「直接見たわけじゃないから何とも言えねえよ」

 もちろん、真宙の話は事実だと思う。真宙はそんな笑えない嘘をつくような奴ではないし、俺が迎えに行った時の、この世の終わりみたいな顔を見れば分かる。

 真宙は人を殺した。警察に自首して、然るべき裁きを受けるのが通例だろう。

 しかし、あの電話を受けた時、俺の頭に浮かんだのは来週行く予定だったキャンプのことだった。

 休みを合わせて予定を立てて、新しいキャンプ道具まで買って、楽しみにしていたのだ。それを今更、真宙個人の事情でなかったことにされるのは、いささか納得がいかない。

 どうせ放っておいても真宙は捕まるんだ。

 だったらそれまで一緒に楽しんでもいいじゃないか。

「心配しなくても、警察には明日送ってやるよ。だから、最後の晩餐と洒落込もうぜ」

 真宙は心底呆れたという視線を俺に向ける。それから、小さくため息をついた後、ぽつりと言った。

「お前、イカレてるよ……」


***


 キャンプと言っても、もう深夜と言って差支えのない時間帯だ。今からチェックインできるキャンプ場なんてない。

 絶対に人の来ないような山道で車中泊をすることとなった。

 トイレくらいしかない小さな駐車場に車を停め、俺たちは外に出る。

 標高が高いせいか、下界よりずっと空気が冷たくて寒い。ただ、澄んだ空気のおかげで星がよく見えた。

 俺は車のトランクからキャンプ用品を取り出し、地面に並べる。

キャンプ用のテーブルと椅子、ランタン、調理器具一式。テントは今日は使えないから、車にしまっておく。

 大体の準備を終わらせたところで、いよいよキャンプの始まりだ。

「真宙、コーヒー飲む?」

「ああ……うん」

 俺はさっそく新品のアウトドアバーナーに火をつけ、お湯を沸かす。マグカップ二つ分の水を入れれば、あとは待つだけだ。

 その隙に別のバーナーを組み立てて、その上にホットサンドメーカーを乗せる。コンビニで買った肉まんを中に挟んで焼くだけの簡単な料理だ。

「これ、この前見たアニメでやっててさー」

 俺は真宙に話しかけながら、ホットサンドメーカーの蓋を開ける。

 とたんに、ふわりとバターと肉まんの香ばしい匂いが立ち上った。

 俺は思わず頬が緩む。真宙も鼻をひくつかせている。

「餃子のタレかけるといいらしいけど、売ってなかったから、勘弁な」

 そうしているうちに、お湯が沸いたらしい。真宙がカップ2つにコーヒーを注いでくれる。

 俺はそれを受け取って、焼きあがった肉まんの片割れを真宙に手渡す。真宙はそれを受け取ると、無言のまま齧り付いた。

 熱々の肉まんを頬張ると、じゅわっと熱い汁が口の中に溢れてくる。その味を堪能しながら、冷えた体を温めていく。

 これで焚き火ができれば最高なんだが、一応こんな山奥でも人が来るかもしれない。火事だと思われて警察を呼ばれでもしたら困る。

 せめて明日の朝になるまでは、真宙とのキャンプを楽しんでいたい。

 俺はもう一口肉まんをかじって、まるでプラネタリウムのような満天の星がきらめく空を見上げる。

 時間が経って気温が下がり、本格的に寒くなってきた。俺は二杯目のコーヒーを淹れながら、真宙のほうを見る。

 真宙はまだちびちびと肉まんを齧っていた。

 人を殺しても、腹は減るし、寒さも感じる。そんな当たり前のことを今さらのように実感する。

 そうだ。昨日まで、いや数時間前までは真宙も”普通の”人間だった。

 しかし、明日太陽が昇る頃には名実ともに殺人犯で……。

「真宙!!」

「うわっ! 何だよ。急に」

 頭に浮かぶ暗い考えを払拭するように、俺は叫んだ。

「アマ〇ラでなんか見ようぜ!」

 今はそんなことを考えていても仕方がない。とにかく楽しいことだけを考えよう。

 真宙は俺の突然の大声に驚いていたが、やがて小さく笑って言った。

「Y〇uT〇beがいい」


***


 それから真宙おすすめの配信者を見たり、俺の好きな旅番組を見て過ごし、時計の短針が0を1つ過ぎた頃、車内で寝袋に入った。

 このまま目を閉じていれば、朝が来る。そして、俺と真宙には長い長い(ともすれば永遠の)別れが訪れる。

 真宙は眠れないのか、時折寝返りを打つ音が聞こえてきた。

 俺は暗闇の中、真宙に声をかける。

「……なあ、真宙」

 明日は真宙を警察に連れて行く。だからこれが最後の会話になるはずだ。

 正直言って、怖い。怖くてしょうがない。

 俺は、ごくりと唾を飲み込んで、言葉を紡ぐ。

「お前が殺したのって……誰なん?」

 シン、と車内が静まる。

 寝袋に入っていて、カイロまであるのに、極寒の大地に放り出されたように体が震える。

 心臓をバクバクと鳴らしながら、真宙の答えを今か今かと待ち続けた。

 やがて、真宙はぽつりと言った。

 それは独り言のような小さな声で、けれどはっきりと聞き取れるような音量で。

「……昔の……まあ……知り合い」

「俺の知ってる奴?」

「ううん。知らねえ」

「……そっか」

 俺はまた目を閉じた。

 同時に心の底から安堵の念がこみ上げる。

 真宙は人を殺した。

けれど、それは俺の知ってる奴じゃなかった。


***


 結局、大して眠れないまま日の出を迎えた。

 朝日が射し込む車内で、真宙が適当に焼いたパンを一枚食べてから、街へと向かう。

 道中の会話は何とも物騒なものだった。

「殺人って何年ぐらいなんだろうな。10年ぐらい?」

「もっとかかるだろ」

 これから真宙は刑務所に行く。そこで何年も過ごすことになる。

 その間、俺とは離れ離れになってしまうわけだが、きっと大丈夫だと思う。

「知ってるか? 真宙。昨日見た旅のやつさ、10年前の番組なんだよ」

「それが?」

「俺、最近のテレビとか全然見ねーし、10年後もY〇uT〇beはあると思うんだよね。だから、お前が出てきた時に話が合わねえとかねえから、安心しろよ」

 真宙は少し笑った。

 その笑みを見届けた後は、ただ無言のまま車を走らせた。

 そして一時間もしないうちに警察署が見えてくる。その向かいのコンビニで、俺は真宙を降ろした。

 去り際に、真宙が言った。

「ありがとな。楽しかったぜ」

 朝の光を背中に浴びながら去り行く真宙の背中は、罪を償いに赴くにはあまりに眩しく、やっぱりただの真宙だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

曙光 御園詩歌 @mymr0701

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ