第22話 七月二十二日、午前八時五分。
「……結局、僕一人で登校する事になってしまった」
風景は昨日と同じの通学路。どういった自信なのか、もはや迷う気のしない通学路を蜃気楼を踏みながら歩いていく。今日も今日とて、実に夏が夏らしい暑さであるものだが、ただ荘厳な青空とて雲一つない快晴とはいかず捻じ曲がった積雷雲が遠方の山々より顔を覗かせていた。
「……きっと、明日あたりは雨かね」
……そういや、聞く所によれば、天気予報では雨とのことらしい。
夏の天気とは末恐ろしいものだ。天真爛漫な笑みのような晴れが続いていたかと思えば、一転形相を変えてゲリラ豪雨を降らすのだから。女の心は秋の空ってんなら、きっと夏の空は男心のように脆く傷つきやすく荒れやすかったりするのだろうか。涙の数だけ雨模様なのだろうか。
だったら正直、死ぬほど暑いんで。そろそろ泣いて欲しかったりする。
「……はぁー。あっつ」
――――――――――――
次第に、僕の歩く通学路から我が校の校舎が見えてくる。
すると見知った制服も段々と増えていくわけで。もう五分としないうちに僕は学校の玄関にて靴を履き替えていることだろう。そんで十分とちょっとぐらいには教室へ。昨日は気を失ってしまったものだから自分の席なんてもんは依然としてわからんままだが、頼っていい人がいるってだけで昨日とは段違いに気が楽だった。それに『目的』なんてもんに縛られていないってのも、茹だるような暑さを許せるまでの心の余裕ができる。
あと三十分もすればホームルームだ。急ぎこそしなてもいいだろうが、かといってダラダラもしてられない。
……なんて、適当で楽観的な目算を立てていると、、、
「…………んー、なんだ、あれ?」
その目算は初っ端から瓦解する。どうしたことだろう、校舎の前、校門付近で生徒たちがたむろしていた。
それは妙に胸がざわつく騒々しさであった。例えば、朝方特有の挨拶習慣的な日常的で活動的な騒々しさとは一線を画す、もっと雑然としたように思える。皆皆困惑を露わにするような騒々しさ、吐き出さずにはいられないような騒々しさ、暗雲が立ち込めるような騒々しさであった。
それに女子のスカーフの色もまばらだ。同学年の集会なんてものも考えにくい。
「……なんやろ、なんか揉め事でもあったんやろか?」
……他人の不幸は蜜の味、とは言わんが、ここまでの騒動だといやでも気になる。
校門前には辿り着けたはいいものの、この小さな身体では群衆の奥の光景は見えそうにない。しかし察するに、どうにも中庭にて何かが起こっていたらしく、デバガメ根性というわけではないが無頓着を貫けるほどの人間ができているわけでもない僕は、群がる生徒の合間を縫って前に進んだ。
もみくちゃにされながらも、見えたもの、
「……なんや、あの光?……赤色?」
それはわかりやすく人工色であり、そして点滅までしていた。
これは、本体を見るまでもない、パトカーの警光灯だろう。サイレンこそ鳴り響いてはいないが、ここまでの強烈な光源体は他に思いつかない。すると、これは自ずと警察沙汰な何かが中庭か何処かであったのだろうことは推察が付く。それに、警察沙汰に関しては思い当たる節もないではない。
「……そういや、早朝もサイレンが鳴っていたような?」
……そういえば、六時頃にアパートの横をパトカーが横切ったはずだ。
それが学校の、しかも自身の在籍校に用事があるものであろうことなど露程も思わなかったが、すなわち自分が当事者たり得た可能性があるのだと考えればぞっとしない話である。ただ、幸いにも今の僕は野次馬で、警察の世話になりそうなネタなど持っていないだけなのだ。
しかし、我ながら不謹慎にも、なおのこと興味を掻き立てられる。
見上げた正義心もなく、当事者でもない。
であれば、それは『娯楽』だと、そう見えてしまっているのだろう。
「……あんま、褒められた考え方ちゃうな」
……と言いつつも、確認はしっかりするのだが。
半ばのめり込むように前へ前へと進む。しかし、それにしても、何故ここまで誰もが動こうともせず棒立ちのままなのか、一向に微動だにしないのか、取り敢えずと教室へ足を運ぼうとはしないのか、疑問とも思わぬ違和感は確かにあった。それが言語化されていなかっただけであったのだ。
「…………え、は?」
なぜならば、『それ』を見て、『それ』が答えだと思ったから。
そして、その答えに、『それ』に、僕は絶句する他になかった。
――――――酸化した赤錆が際立つ校門を抜けた先、
――――――そこには新緑芽吹く中庭とコンクリートの校舎、
――――――それらが日常風景に溶け込んでいる、はず、だった。
爛々と反射する太陽光は、警官の足の踏み場も無く、そこらかしこに散らばっていた。それも、中庭全部を覆うぐらいには。ざくざく、ざくざく、鈍い足音がここまで聞こえてくる。一方で、校舎の方が異様に閑散とした雰囲気を醸し出していた。
それは、一言で言ってしまえば、
……ひどい、光景だ。そう思った。
中庭を埋め尽くさんばかりに、窓ガラスが飛散していた。
そして、校舎にあったはずの窓ガラスは、全て、破られていた。
全て、全て、全て。これは決して比喩表現や誇張表現などではない。ここを素足で歩こうものならば、足裏がズタズタに切り裂かれろうな、ガラスの砂漠と化していた。そして、その窓ガラスは、全て、空っぽの校舎のものなのだろう。廃墟でもまだ残骸が体裁を保っているようにさえ思えた。
……警察が、出張るわけだ。
こんなこと、事故や災害なんかで起きるはずがない。
明らかに何者かの作為によって為された『事件』だ。
「……誰が、なんのために、こんなことするんや?」
……わからない。ただ、ここで恐ろしい何かがあったことだけが伝わってくる。
眺めているだけにも関わらず悲鳴が聞こえてきそうな惨状。好奇心半分、面白半分で見物しようとしてしまったことに後悔の念が湧いてくる。これは血痕が見えていないだけの凄惨な現場そのものだ。悪意の有無などわからないけれども、思わず身震いしてしまいそうな絶望があった跡がある。
記憶はないけれども、窓ガラスがない校舎に恐怖心を覚えたことはおそらく初めてであろう。
「……それにしても、窓ガラス、なんよな。……なんで、窓ガラスなんや」
考えるだけ無駄であろうが、気になったことなのだから考えてしまう。
なぜ、どうして、犯人は窓ガラスを全て叩き破るような真似をしたのか。
それも全ての窓ガラスを。これじゃ、窓ガラスに恨みでもあるみたいだ。
……いいや、違う。そうじゃない。
……僕の疑問は、そこじゃない。
「……どうして僕は、こうも『窓ガラス』であることが気になるんや」
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