エピローグ
医療棟を出たアルピニイの頭はすっかり混乱していた。まだ信じられなかった。先ほど集中治療室で見た光景、メルドの口から放たれた赤い輝点の集合体がフェイの体を包み、その身に巣食うウイルスを消滅させていく光景。とても現実のものとは思えなかった。
「間違いなくウイルスは消えていた、完全に」
フェイに回復魔法をかけながらアルピニイはその体をくまなく調べた。ウイルスの輝点は完全に消えていた。メルドの術によってウイルスが死滅した、そう考えるより他になかった。
「わからないね。これまでどんな智者も賢者も大魔術師も成し得なかった術を、どうしてあんな人族の子どもが使えるのか」
中央棟に入りと図書資料室へ向かう。扉を開けると事務官が驚いた顔した。
「おや、これは珍しい。どんな風の吹き回しですか。『情報は紙の上ではなく現場にしかない』が口癖のあなたがお見えとは」
「ちょっと事情があってね。調べてほしいことがあるのさ」
「何なりと」
「数年前、北方辺境地で起きた魔族襲撃事件。襲われたふんふん村の生き残りは何人で今どこにいるか、わかるかい」
「ああ、それは調べるまでもありません。生き残りは子どもが一人だけです」
「なんだって。メルドだけが生き残ったって言うのかい」
「名前までは知りませんが間違いありません。ふんふん村は全滅しましたからね。その子は王都の孤児院に預けられたはずですよ」
「村が全滅? そんな報道はなかったはずだよ」
「発表しなかったのです。村の全滅なんてここ数百年ありませんでしたから軍部にとっては大失態でしょう。公にしたくなくて詳しい発表を控えたのです。村の跡地も立ち入り禁止になっているはずですよ」
「ならどうしてあんたが知っているのさ」
「兄から聞いたのです。兄は軍人で、村に駆け付けた救援部隊の一番隊副長でした。本当にひどいありさまだったようですよ。ここまで徹底的に破壊し尽くされた集落は見たことがないと言っていました」
「妙だね。魔族の仕業とは思えない」
アルピニイが奇妙に感じるのも無理はなかった。魔族は他種族を餌とみなしている。餌を全て廃棄するような愚行を犯すはずがない。
「あいつらにとってあたしたちは家畜だ。生かさず殺さず永遠に命を絞り取る、それがあいつらのやり口。家畜の飼い主が家畜を皆殺しにするはずがないだろう」
「そう言えばそうですね」
「だがあいつらはそれをやった。なぜだと思う」
「さあ、見当もつきません。なぜですか」
「少しは自分の頭で考えな。そうしなきゃならない理由がふんふん村にあったんだよ。だから村人を蹂躙し尽くしたんだ」
「なるほど。で、その理由とは何ですか」
アルピニイは答えなかった。いかに切れ者とはいえ何の手掛かりもなしにそこまでわかるはずがない。しばらく沈黙した後、別の話を切り出した。
「四月から仮採用になっているメルドという少年がいるだろ。そいつの資料を見せとくれ」
「わかりました」
事務官は魔法端末を操作した。らぼの資料室は王立中央図書館に直結している。閲覧禁止でなければどんな資料でも取り寄せられる。今回はらぼ内の資料なので取り寄せの必要はない。すぐさま端末から紙が吐き出された。
「どうぞ」
アルピニイは念入りに目を通した。略歴、身体データ、趣味嗜好、一日の糞尿量、どれもこれも平凡なものばかりだ。だが、
「んっ!」
アルピニイの目はある項目に釘付けになった。
「こ、この肛紋は……」
尻の穴には皺がある。この皺の形状を肛紋と言う。肛紋は個人ごとに全て異なっており終生変わることがない。従って肛紋によって個人を特定できる。ふんにょーらぼの構成員は入所に当たって必ず自分の肛紋を転写し提出することが義務付けられていた。
「ちょっと、これをご覧」
「えっ、他人の尻の穴を見る趣味はありませんが」
「私だってないよ。いいから見てみな」
「しょうがありませんね……普通の肛紋にしか見えませんが」
「あんたの目は節穴かい。目ん玉ひんむいてよく見てみな。どこかで見たことがないかい」
「どこかで? ああ、思い出しました。祭壇ですね。礼拝堂の祭壇に埋め込まれた尻穴教のシンボル菊の御門。あれにそっくりですね」
「そうさ。菊の御門は中心から外に向かって二二本の線が放射状に伸びている。その形状が二二枚の花びらを持つ菊のように見えることから菊の御門と名付けられた。この肛紋はそれにそっくり同じ。しかも完全な左右対称。これほど均整の取れた肛紋は初めて見たよ」
「神々しさすら感じますね」
「神、か。そうだね。神なのかもしれない。今日はここまででいい。帰る。また何かあったら頼むよ」
「いつでもどうぞ」
アルピニイは部屋を出た。気分は上々だった。ほんの僅かだが手掛かりをつかめた、そんな気がした。
「尻の穴に神を持つ少年か。これは鍛え甲斐があるね。メルド、早く本採用試験に合格しな。そしてあたしの元へ来な。あんたの可能性、あたしが引き出してやる」
アルピニイの眼は燃えていた。手強い敵に遭遇して体中の血をたぎらせ始めた戦士のように、その両眼は身を滅ぼしても構わないほどの快楽的な情熱に満ち溢れていた。
ああ、かぐわしき「ふんにょーらぼ」 沢田和早 @123456789
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