懲罰房の十日間

 悪夢の抜き打ち試験から今日で七日目。ボクは相変わらずらぼの敷地内にある懲罰房の中にいた。

 あの日、他の荷馬車に乗せてもらえず、歩いてらぼに到着したボクは問答無用でここにぶち込まれた。そして何の弁明もできないまま今日に至っている。


「ああ、女神シリアナ様。図太いウンコを捻り出せない私をお許しください。そして明日こそは図太いウンコを私にお恵みください。あすほー」


 提供される食事は孤児院よりも粗食だった。毎朝のウンコも悲しくなるくらい貧弱だった。それでも毎日頑張って脱糞した。懲罰房の奥には厠がある。厠棟の個室にある厠と同じで記録用紙も掃除道具も揃っている。

 この七日間、用を足すたびに祈りと観察記録と掃除は欠かさず続けていた。らぼに残れる希望はまったくない。それでもまだらぼの中にいる以上、決められた規則は守りたかったのだ。


「おうメルド、元気そうじゃないか」


 ニィアォさんは毎日面会時間になると必ず会いに来てくれた。ボクの担当を外されたので今は以前の相棒と一緒に糞尿を収集しているそうだ。


「ボクはいつになったら出られるんでしょうね」

「なあに、今日か明日にも出られるさ」


 そう言われ続けて七日経った。気休めにもならない。

 幸運だったのは町奉行所扱いを免れたことだ。天下のうんこ小路うじ家当主ともあろう者がエルフの尿が飲めなかったくらいで奉行所に訴え出るのはさすがに体裁が悪かったのだ。

 だからと言って何の処罰も与えずにらぼから追い出すだけでは腹の虫が収まらない。そこでふんにょーらぼ上層部に圧力をかけてボクを蟄居させるように仕向けたのだ。うんこ小路うじさんの気が収まるまでボクはここから出られないらしい。らぼにとってうんこ小路うじさんはそれほど頭の上がらない存在なのだろう。


「考えてみりゃな、おまえがこんな罰を受けるのはおかしいんだよ」


 看守が聞いているにもかかわらず平気でこんな話をする。


「だってよ、あの尿は華族様のものじゃない。フェイのもんだ。あくまでも好意で差し上げただけ。つまり尿が飲めなくても華族様の損失は無かったことになる。しかも尿を差し出す条件であるおまえの本採用を反故にしている。悪いのはどっちだって言いたくなるぜ、そうだろ。おまえの過失と言えばせいぜい尿で服を濡らしただけ。それで懲罰房に放り込むなんてやり過ぎだと思うね」


 もちろん本気で言っているわけではない。ボクを元気づけるために話をこじつけているのだ。


「うん、そうだよね。おかしいよね」

「だからな、すぐ出られると思うんだ。ひょっとしたら本採用になるかもしれねえ。尿がこぼれるまでは試験に合格していたんだから」


 ニィアォさんの心遣いは嬉しかったがあまりに過剰過ぎて心が痛んだ。そんな妄想話をしなくてはならないほど事態は深刻なのだと考えずにはいられなかった。


「女神シリアナ様。不安に怯えて縮こまっている私の尻穴に祝福をお与えください」


 できるのは祈ることだけだった。どんな結果になってもいいから早く懲罰房から出たい。自由になりたい。それだけを願っていた。


 その日は思ったよりも早く、そして意外な形でやって来た。


「メルド、出ろ」


 蟄居開始から十日目の朝、いつものように便器にまたがって踏ん張っていると看守から声が掛かった。驚いて尻の穴が縮こまる。


「ちょ、ちょっと待ってください。見ての通り朝のお勤めの真っ最中なので」

「早く済ませろ」


 急いで記録用紙にウンコの状態を記入し手早く清掃して外に出た。久しぶりに仰ぐ青空がまぶしい。ようやくうんこ小路うじさんの怒りが収まったのだろうか。解放されるのは嬉しいが今日でらぼともお別れなのだと思うと寂しくなってくる。

しばらく敷地内を歩いた後、意外な場所で看守の足が止まった。


「入れ」

「えっ、ここに」


 連れて来られたのは思ってみない場所、医療棟だった。


「どうしてこんな所に」

「そこまでは聞いていない。さあ行け」


 看守とはそこで別れた。受付で名乗ると三階の集中治療室へ行けと言う。指示通り三階へ行き扉を開けると意外な人物が出迎えてくれた。


「久しぶりだな、メルド」

「アルピニイさん!」


 忘れもしない。いきなり孤児院に押し掛けてボクの尻を引っ叩き、細菌視認能力を引き出してくれたダークエルフだ。


「どうしてあなたが、それにどうしてボクはここに呼ばれたのですか」

「あれだよ」


 アゴで示した先には透明の仕切り板がある。その向こうのベッドに誰かが横たわっている。苦しそうに息をする少女……思わず叫び声を上げた。


「フェイ!」

「近づくんじゃないよ」


 駆け寄ろうとしたボクをアルピニイさんの右手が制した。気分が動転して尻の穴が熱くなる。


「フェイに何があったんですか」

「見ての通り病気だよ。試験官のプはあんたを高く買っていてね、危険な尿だと判断したあんたの言葉を完全に否定できずにいたらしい。そこでもしあの娘に何かあればすぐらぼに知らせるよう、院長に頼んでおいたのさ。悪い予感ってのは当たるもんだね。今日の未明、娘が発熱したと孤児院から連絡があってね。急きょらぼの病院に運んだってわけさ」

「じゃあ、ボクの判断は」

「そうだよ。正しかったのさ。あたしもさっき娘の尿を見せてもらった。いたよ、ヤバそうな病原体が」


 全身から力が抜けた。自分の正しさが証明されたこと、それは何よりも嬉しい。しかしフェイが病気になったという事実はその嬉しさを打ち消してあまりあるものだった。自分のせいでフェイが病気になった、そんな気さえした。


「あんたにはつくづく驚かされるよ。あの病原体が見える者はこのらぼには数名しかいない。王国中探したって数十名程度だろうさ。あたしでさえこの術を獲得するために百年以上かかったんだ。それなのに……」


 アルピニイさんの顔が正面に迫った。ギラギラと光る両眼はまるで野獣だ。


「あんた、何者なんだい。本当に人族なのかい」

「ボ、ボクは紛れもなく人族です。それよりもフェイの病気は何ですか。治るんですよね」

「それはまだわからない。あたしは視認できるだけで判別はできないからね。確かなのは感染源が魔族ってことだ。集落が襲撃を受けた時、あの娘は右手にケガをしたんだろう。その時に感染したんだ。現に、東の森に残っている同じ集落の生き残りも次々に発病しているらしい」

「魔族から? でも襲撃を受けたのはひと月近く前……」


 そこまで言って思い出した。潜伏期間、病原体の種類によっては感染から発病まで時間がかかるものがある。数週間、数カ月、数年。特にエルフは他種族に比べて潜伏期間が長い。数百年後に発病した例もある、講義ではそう習った。


「安心しな。尿をぶちまけてもあんたやプや天下の華族様が発病していないところを見ると、感染力はかなり低いようだ。だけど念のため隔離してある。発病することで感染力を増す病原体もあるからね」

「ボクの心配は無用です。それよりも早くフェイの治療をしてください」

「だから待てって言ってるだろ」

「失礼する」


 扉が開いて誰かが入ってきた。背の高い、背中に翼の生えた獣人だ。右目に眼帯をしている。


「すまないねタカノメ。忙しいのに呼び立てちまって」

「構わん。あの子か」

「そうだ。やはり検体ではなく直接見るのか」

「うむ。その方が精度が上がる」


 タカノメさんは防護具で全身を覆うと仕切り板の向こうへ入っていった。フェイの横に立ち顔を腹部に近づける。


「タカノメさんもらぼの方なのですか」

「今は違う。王立総合病院付属微生物研究所の所長だ。ほぼ全ての微生物を視認、判別できる。王国随一の眼力の持ち主だ」


 タカノメさんが右目の眼帯を取った。光を放っている。その光がフェイの体を這うように照らしていく。ボクは女神様に祈りながら作業を見守った。

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