抜き打ち試験


 新しい地区の収集が始まってから今日で十一日目。孤児院へは三度行った。今日は四度目だ。それを考えると午後の貧民街での作業すら待ち遠しくなる。


「最近やたらと機嫌がいいな、メルド」

「えっ、そうですか。いつもと同じですよ」

「ごまかさなくてもいい。孤児院のあの子だろ」


 ニィアォさんも気づいていたか。孤児院では彼女とばかり話しているもんな。

 十一日前の最初の出会い、今でも鮮明に覚えている。


(妹に、似ている……)


 一目見た時から目を逸らせなくなった。忘れかけていた妹の顔が脳裏によみがえる。しかし、それがただの他人の空似であることはすぐわかった。


「その子はフェイ。二日前に東の森から来たばかりです」


 シスターの言葉を聞くまでもなかった。顔立ちはそっくりでも耳が尖っている。明らかにエルフだった。


「五日前に大規模な魔族の襲撃があったのです。たくさんの子が行き場を失いました。エルフの施設がいっぱいになったので、こちらで引き取ることになったのです」


 種族は違うがボクと同じ境遇か。右手に巻いた包帯はきっとその時のケガだろう。かわいそうに。粗末な糞尿以外にも解決しなくてはならない問題は山積みだな。


「あの、さっきからずっと見ていますけど、あたしの顔、そんなにおかしいですか」


 しまった。少し凝視しすぎたか。無言で見つめられれば変に思うのは当然だよな。


「ああごめんなさい。ボクの妹にあんまり似ていたもので」

「妹さんに? でもきっとあたしのほうが年上ですよ。あなたのお祖母ばあ様でも不思議ではないくらいの年齢ですから」


 そうか、エルフだもんな。見た目で判断できないから要注意だ。


「重ね重ねお詫びします、フェイさん」

「呼び捨てで構いません。あたしもあなたをメルドと呼びますね」

「えっ、でも……」

「おーいメルド。用意ができたぞ。手伝ってくれ」


 建物の裏から大きな声が聞こえてきた。ニィアォさんだ。まだ作業の途中だってことをすっかり忘れていた。シスターに一礼して裏の厠へ急いだ。最初の出会いはこうして終わった。


「こんにちはメルド」

「こ、こんにちは、フェイ」


 それからは収集で孤児院を訪れるたびにフェイと話をした。ニィアォさんは時間を作ってくれるし、子どもたちもシスターも気を利かせてボクらだけにしてくれる。いい人たちばかりだ。


「人族では最年少の入所なんでしょう。すごいわね」

「入所って言ってもまだ仮雇用の身分なんだけどね」

「メルドなら絶対に本採用になるわよ」

「う~ん、実は実技研修の前にやった筆記試験の点数があまりよくなかったんだ。本採用試験で高得点を取らないと危ないかも」

「まあ、そうなの。でもメルドなら大丈夫よ。自信を持って」

「応援ありがとう、フェイ」


 フェイと二人だけの時間、それは本当に短い時間でしかなかったが心安らぐひと時だった。正式に採用されたら糞尿収集課所属になってこの地区を担当したい、この十日間そんなことばかりを本気で考えていた。


「おいメルド。残りひと月を切ったからって気を抜くんじゃないぞ。たったひとつのミスが命取りになることもある。本採用になるまで気を引き締めていけ」

「はい」


 ニィアォさんの厳しくも優しい言葉。改めて尻の穴を引き締める。


「よし、午前の作業は終了だ。らぼに戻るぞ」


 いつものように昼の休憩をとりに北門へ向かう。途中、遠くに孤児院が見えた。今日はフェイとどんな話をしようか。


「おうニィアォさん。悪いがここから出るのはちょっと待ってくれ」


 珍しく北門の門番に呼び止められた。こんなことは初めてだ。ニィアォさんも少し驚いている。


「どうした? 何か不都合なことでもやらかしたか」

「いや、ついさっきらぼから使者が来て言付けを預かったんだ。読むぞ。本日の昼はらぼへ戻らず北門詰所で身を清めたのち新しい制服に着替え昼九ツまでに内壁北門へ向かうべし以上。だってよ」

「何だって。じゃあ昼飯はどうすんだ。この荷馬車の糞尿樽はどうすんだ。内壁北門へは歩いて行けってのか」

「それは心配ない。糞尿の納入は待機している代わりの作業員がやる。昼飯は詰所に弁当が置いてある。内壁北門へ向かう馬車は用意してある。さらに詳しいことはこの手紙に書いてある。他に質問は?」

「ない」

「ならさっさとやるこった」


 ボクとニィアォさんは言付け通り荷馬車を代わりの作業員に引き渡すと、詰所に行ってシャワーを浴び、新品の制服に着替え、パンが主食の弁当を食べ、用意された馬車に乗って内壁北門へ向かった。


「で、ニィアォさん、手紙には何が書いてあったんですか」

「ああ、忘れていた。まだ読んでなかった」


 ニィアォさんは封を切って読み始めた。その表情がみるみる曇っていく。


「メルド、これは大変なことになったぞ」

「宿舎食堂で昼食をとれなかったことより大変なことがあるんですか」

「そんな冗談が言えなくなるくらい大変なことだ。抜き打ち試験だ。くそっ、こんな形で来たのは初めてだ。いつもは前日に知らせがあるのに」


 抜き打ち試験についてはウワサ話で耳にしていた。全員が受けるわけではなく選考委員の意見が割れた時にだけ行われる、そんな試験らしい。


「それはつまり、ボクは現在合格ギリギリのラインにいるってことでしょうか」

「いや、今回の試験は配属先に関するもののようだ。試験会場は孤児院と書いてある」

「どんな試験なんですか」

「それは書いてない。オレにも見当がつかん」


 これはまずいことになった。講義で学んだことの半分くらいはもう忘れている。質疑応答に満足に答えられる自信がない。


「こうなったら腹を決めろ。指導官の付き添いは許可されているから試験中もそばにいてやる。ただし忠告などはできん。試験中にオレが一言でも声を発したらその時点でおまえの不合格が決まる」


 それでも一人で受けるよりよっぽど心強い。少し気が楽になった。


「到着しました。では私はこれで」


 内壁北門前でボクらを降ろした馬車はまた元の道を引き返していった。もうすぐ昼九ツだが周囲には誰もいない。


「試験会場が孤児院なのに、どうして内壁前に来させたんでしょうね」

「オレにわかると思うか」


 王都の歴史は長い。その長い歴史の中で常に拡大を続けてきた。ボクらの目の前にある内壁は古い時代の外壁だ。大昔の王都はこんなに小さな都市だったのだ。現在内壁の内側は王族、華族、それに準ずる高位の者たちだけが住んでいて、平民は許可がなければ入れない。


「この中は別世界だそうですね」

「ああ。インフラも相当整備されているらしい」


 内壁内側では糞尿収集は行われていない。糞尿専用下水道が完備されているからだ。糞尿は内壁北東隅にある巨大肥溜めに集められ、日に三度、らぼの専用収集荷馬車が回収している。この糞尿は非常に質が高く平均買取価格の五倍の値で引き取っている。富める者は糞尿までもが富んでいるのだ。


「いつまで待たせるんだろうな」


 やがて昼九ツの鐘が聞こえてきた。文字通り鐘が九回鳴る。鳴り終わっても内壁北門は閉じたままだ。ニィアォさんのイライラが高じてくるのがわかる。


「落ち着いてくださいニィアォさん。試験はもう始まっているのかもしれませんよ」

「それはそうかもしれんが、おっ、開いたぞ」


 内壁北門が厳かに開くと二頭立ての馬車が姿を現した。御者も客車後部に立つ衛兵もきらびやかな軍服に身を包んでいる。こんな豪華な馬車は見たことがない。


「ほう、さすがに内壁から出て来る馬車は豪勢だな」


 ボクらの前で馬車は止まった。客車の扉が開いてスーツ姿の男性が現れた。人族だ。


「あなたがメルドさんですね。そしてあなたが指導官の、えっと、誰でしたっけ」

「ニィアォであります」


 さすがにいつもとは言葉遣いが違うか。そりゃそうだよな。


「ああ、そうでしたね。私は今回の試験官を務めます、ふんにょーらぼ製造事業部品質管理課のプです。そしてもうおひとり、同行される方がおみえです。うんこ小路うじ家の御当主です」

「はあーい、あたしはうんこ小路うじ和嬉わき麿まろ。人族よ。今日はよろしくね、うふふ」


 客車の窓の向こうで派手な化粧をした男性が手を振っている。うんこ小路うじ家、聞いたことがある。ふんにょーらぼ創立に当たって多額の資金を提供してくれた華族だ。今も定期的に寄付をしてくれているらしい。らぼで働くボクらにとっては神様みたいな存在だな。シリアナ様ほどではないけれど。


うんこ小路うじ様は畏れ多くも従二位の華族であらせられます。粗相そそうのないようにお願いします」

「はい、わかりました」

「では出発しましょう。馬車に乗ってください」


 いつも乗っている荷馬車と違って実に乗り心地のいい馬車だ。ガタガタの石畳を走ってもほとんど衝撃がない。こんな馬車に乗れるのはこれが最初で最後だろうな。


「孤児院に着くまでに二、三質問をします。よろしいですかメルドさん」


 プさんの言葉で一気に緊張が高まった。ニィアォさんの表情も硬くなっている。


「メルドさんは細菌が見えるそうですね。その魔法はいつ誰に教えてもらったのですか」

「誰にも教えてもらっていません。ある時、急に見えるようになったんです。それからこれは魔法ではないようです。ボクのらぼ入りを推薦してくれた方がそうおっしゃっていました」

「つまり生まれつき備わっていた能力、そういうことですか」

「はあ、たぶん……」


 曖昧な答えしかできない。実際どうして見えるようになったのかボクにもわからないのだ。


「なるほど。興味深いですね。実は私も細菌が見えるのです。しかしこの術を身に着けるまでに二五年の歳月を要しました。人族にとってはそれほど困難な術なのです。その若さでこの術を使えるメルドさんは人族の誇りですよ。羨望すら感じます」


 ニィアォさんが小さくガッツポーズしている。かなりの好印象を与えられたみたいだ。気を良くしたボクはついこちらから質問してしまった。


「それで今日はどんな試験をするのですか」


 プさんの眉間に皺が寄った。ニィアォさんの顔が青ざめている。しまった。この質問は禁句だったか。


「飲尿水の試験よ」


 答えたのはうんこ小路うじさんだ。プさんが慌てて口を挟む。


うんこ小路うじ様、試験の内容については口外せぬようにとあれほど……」

「いいじゃないの、すぐわかるんだし。これからあたしは尿を飲みに行くの。あんたはその品質をチェックするってわけ」


 飲尿水……講義で少しだけ学んだ。古くから伝わる民間療法のひとつだ。

 何の根拠もない非科学的な因習だと思われていたが、最近になって見直されつつあるようだ。らぼでの研究によると特に魔力の強いエルフの尿は腸内細菌を活性化させる働きがあるらしい。闇市場では高値で取引されているというウワサもある。


「そうですか。でもどうしてわざわざ孤児院に行くのですか」

「それはね」

うんこ小路うじ様!」


 またもプさんが口を挟んできた。よほど教えたくない事情があるのだろう。


「もうしつこいわね。別に後ろめたいことをしているわけじゃないし、話したっていいでしょ。それにあたしは隠し事が嫌いなの」

「わかりました。お好きなようにしてください」


 プさんは腕を組んで黙ってしまった。水を得た魚のようにうんこ小路うじさんが喋り出す。


「いい、尿にもピンからキリまであるのよ。現在最高級と言われているのは菜食主義である東の森のエルフの尿。その中でも女性の尿、その中でも子どもの尿、その中でも五十才未満の子の尿が一番価値があるのよ」


 嫌な予感がしてきた。誰のオシッコを飲もうとしているのか、なんとなくわかってきた。


「でもそれなら東の森から取り寄せればいつでも簡単に入手できるでしょう」

「わかってないわね。尿は鮮度が大切なの。出したてを飲みたいのよ。だからと言って東の森からエルフが来てくれるわけがないし、忙しいあたしが東の森へ行くのも不可能。いい方法がないかしらと思っていたら、数日前に朗報が届いたのよ。孤児院に東の森からエルフの女の子が来たって言うじゃない。それからはスケジュールを調整して、今日、ようやく空き時間を作れたってわけ。ギリギリだったのよ。その子の五十才の誕生日が明日なんだから」


 もう間違いない。フェイだ。フェイのオシッコを飲むつもりなんだ。

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