あなたの糞尿買い取ります


 らぼの制服に着替えたボクは朝五ツ半ちょっと過ぎに処理場搬入口前に来た。ニィアォさんはいない。いつものことだ。一緒に働き始めてから約束の時刻に来たことは一度もない。だからこちらも少し遅く行くようにしている。


「よう、早いな」


 四半刻しはんときほど経ってようやく姿を現した。これでもマシなほうだ。半刻はんとき以上待たされたことだってある。


「荷馬車の準備はできていますよ。今日も四斗樽を五本でいいんですよね」

「ああ。まだ残暑が厳しいからな。汗が多けりゃ尿は少ない。五本もあれば十分だ」


 荷台の樽は集めた糞尿を入れるためのものだ。らぼ創設期には樽ではなく桶を使っていたようだが、運搬途中の悪臭がひどいし量が多いとこぼれたりするので蓋がある樽を使うようになった。銘酒「黄金水」の容器にも使われている頑丈な樽だ。


「さあ、働くぞ!」

「はい」


 今日の仕事が始まった。緊張で尻の穴がきゅっと締まる。講義を終了した新人が次に受けるのは実地研修「王都の糞尿収集作業」だ。「多くの糞尿に触れることで糞尿への理解と愛を深める」ことがこの研修の目的である。

 休日は座学の時と同じで週に一度あるけど、ほとんど図書資料室で過ごしている。本採用試験までにたくさんの知識を吸収しておきたいんだ。


「どうだ、もう慣れたか」

「はい、いえ、まだまだです」

「どっちだよ」


 ボクらを乗せた荷馬車は裏手にある搬入門を通ってらぼの外に出た。草原の道を進む。

 ふんにょーらぼは王都を囲む城壁の外側に建てられている。民家や商店の立ち並ぶ城壁内に糞尿を大量に扱う施設を建てるのはさすがに抵抗があったのだ。それに肥料の性能を試験するための農地も確保せねばならない。検討の結果、大河の支流がある王都北側の草原に建てられることになった。


「今日も日差しがきついな」

「水分はしっかりとってください。そうでないと勢いのよいオシッコを出せませんからね」

「水より酒が飲みたいぜ。あるこほー!」


 気勢を上げるニィアォさん。「あるこほー」は宴会を始める時に主催者が叫ぶ合図の言葉だ。皆で杯を高く掲げ、この言葉を叫んで酒を飲み干すのだ。


「それは仕事が終わってからにしてください。あっ、城壁が見えてきましたよ」


 王都を東西に貫く街道の城壁には立派な大門がある。王族や華族はよほどのことがない限りこの東西の大門しか使用しない。

 南の門は海と農地に通じているので海運関係者や農民がよく使う。

 北の門は一番利用者が少ない。別名「不浄門」とも呼ばれていて王都で亡くなった者は必ずこの門から運び出される。北の山脈に向かう者も使ったりはするがごく少数だ。


「今じゃここを一番よく使うのはふんにょーらぼのオレたちだろうな」


 糞尿収集作業の荷馬車はボクらの他にもたくさんあるし他の作業でもらぼ関係者が頻繁に出入りするので、北門はふんにょーらぼ専用門みたいになっている。


「今日もご苦労さん。よろしく頼むよ」


 ニィアォさんは二十年近くこの仕事をやっているだけあって門番とはすっかり顔なじみになっている。ボク一人ならこうすんなりとは通してくれないはずだ。


「今日から新しい地区なんですよね」

「ああ、最初は冒険者組合だ」


 収集担当地区は月ごとに変わる。初めは普通の民家や小さな個人商店など収集量の少ない地区ばかりだった。最近は宿屋や組合のような一度に大量の糞尿を収集する地区が多くなってきた。試用期間は残りひと月。気を抜かず最後までしっかりやり遂げよう。


「着いたぞ」


 冒険者組合は三階建てで大通りの中でもひときわ目立つ。荷馬車を厠の横にとめて中に入った。


「あらお久しぶりねニィアォさん。ちっとも顔を出さないかららぼを追い出されたのかと思っていたわ」

「オレみたいな優秀な男が追い出されるはずがないだろ。新人の指導担当になっちまってな、別の地区を回っていたんだ。今日からは前みたいに平日は毎日来るからよろしく頼むぜ」


 受付嬢とはかなり親しいみたいだ。きっと今月の収集地区はニィアォさんの本来の受け持ち地区なのだろう。


「さあ、仕事に取り掛かるぞ」

「はい」


 外に出て準備を始める。樽の蓋にはめ込んだ栓を抜いて、代わりに植物性の柔軟なホースをしっかり差し込んで固定する。厠の横にある便槽の蓋を開けてもう片方のホースの先端をそこに差し入れる。


「用意はいいか、メルド」

「はい。いつでもどうぞ」

「うおおおー!」


 ニィアォさんが樽を抱えて気合いを入れ始めた。便槽の中の糞尿がホースに吸い込まれていく。気圧変化術、ニィアォさんが得意とする魔法の術だ。

 原理は単純だ。樽の中の気圧を大気圧より低くする。すると便槽と樽内部の間で気圧差が生じ、大気の圧力に押された糞尿が樽の中へ吸い込まれていく、というわけだ。


「ここに来る前はな、鉱山で働いていたんだ」


 初めて会った時に簡単な自己紹介をしてもらった。ドワーフは主に王国北西部に住んでいる。良質の鉱脈があるからだ。そこに住むドワーフの半数以上が採鉱の仕事に従事していた。ニィアォさんもその一人だったのだが一般の作業とは違う特殊な業務を任されていた。坑内の換気だ。

 深く掘り進むと自然換気だけでは坑内に必要な空気量を賄いきれなくなる。ニィアォさんは気圧変化術を使って坑内に空気を送り込む作業に従事していた。その術の優秀さが認められてらぼに採用されたのだ。今では全ての糞尿収集作業がこの方式で行われている。


「この術、本当に便利ですね」

「だろ。らぼが創立された頃は柄杓ひしゃくですくっていたらしい。おまえは恵まれてるぞ」


 ドワーフの魔法術に感謝だ。ほどなく便槽は空になった。ホースを片付けて樽に栓をする。


「終わったぞ。少し腐敗臭が強かったな。誰か大型の魔獣でも狩ったのか」

「ご名答。五日前にマンモー退治のクエストがクリアされたの。肉はこちらで引き取ってお手頃な価格で提供しているので、ほとんどの客がマンモーの肉料理を食べているわ」

「そりゃいい。次の休日に来るからオレにも食べさせてくれ」

「それまで残っていたらね」


 糞尿には多くの情報が隠されている。量、臭い、色、形状などを知ることで、食事の内容や健康状態だけでなく年齢、性格、体格まで当ててしまう者もいる。実に奥深い。


「それで今日はおいくら?」

「一朱銀一枚だな」

「あら、安すぎない?」

「らぼの規定通りの値段だ。質はいいが量が少なかったんだよ。ほい」


 銭入れから一朱銀を取り出して手渡すニィアォさん。清掃してもらったほうが料金を支払うのではない。清掃したボクらが代金を支払うのだ。

 王都の糞尿を一掃するには民衆の意識改革が必要だった。これまでの習慣を変えるのは容易ではない。だからと言って罰則を設けて糞尿を捨てる者を厳しく取り締まるようなこともしたくはなかった。国王への反感が増大するのは目に見えていたからだ。


「糞尿に価値を与えてはどうだろうか」


 糞尿を粗末に扱うのはそれが無価値だからだ。金になるとわかれば捨てるようなことはしないはず。そこで考え出されたのが買い取り制度である。糞尿の質と量に応じて国が代金を払い引き取るのだ。


「おい、糞尿でひと儲けできるぞ」


 民衆は喜んで厠を作り糞尿を溜めた。今ではほとんどの家、建物、施設に厠がある。旅人の糞尿を当て込んで公園などに厠を設置した地区もある。おかげで王都の糞尿はほぼ一掃できた。


「儲けたかったら頑張ってたくさんのウンコを捻りだすんだな。言っておくがゴミや水を混ぜるのは無しだぜ。らぼの糞尿品質測定器はエルフの魔法がかけられた特注品だからな。基準を下回ればこちらが料金をいただくことになる」

「そんなことしませんよ。ご苦労さん」


 笑顔で一朱銀を受け取る受付嬢。ちなみに銀一朱で蕎麦が一六杯食べられる。それほど安くはないと思うんだけど。


「さあ、次の場所へ行くぞ」

「はい」


 それからも同じ作業が続いた。宿屋、居酒屋、飯屋、芝居小屋、全て不特定多数の利用者を相手にした厠ばかりだ。試用期間最後の月だけあって集める糞尿の量がこれまでよりもかなり多い。


「よし、午前はこれで終了。らぼに戻るぞ」


 昼食と休憩はらぼでとる。北門に向かうと別の糞尿収集荷馬車が列をなしていた。作業開始時刻は各作業員に任されていてバラバラだが、昼食時間と夕食時間はきっちり決まっている。これは「規則正しいお通じは規則正しい食生活から」という尻穴教の教えによるものだ。従って昼と夕方にらぼへ帰る時は必ず混雑するのだ。


「午後は早目に出る。昼九ツ半出発だ」


 樽の糞尿を処理施設に納入すれば昼休みだ。とは言っても朝ほど時間に余裕はない。慌ただしく昼の松定食(豆)を食べて一服しているとすぐ出発の時間になる。


「午後はあまり楽しくないかもな」


 低い声でつぶやくニィアォさん。その理由はすぐわかった。王国の北東部にある下町地区、貧民街での作業だったからだ。


「ここに来るのは初めてか」

「はい」

「だろうな。オレも仕事じゃなきゃ絶対に来ねえ」


 王都といえども貧富の差はある。自ら道を外れた者、よその土地から流れてきた者、あらがえない運命によって零落した者、そんな者たちが集まって暮らしているのがこの地区だ。住民のほぼ全員が集合住宅か簡易テントで寝泊まりしている。


「ここだ」


 荷馬車をとめたのは公園内にある公衆厠だ。公園に多数住み着いている簡易テントの住人用に作られたものだろう。


「ああ、らぼかね。頼むよ」


 併設されている小屋から管理人らしいご婦人が出てきた。一礼して作業を始める。便槽の中身は少ない。収集作業はすぐ済んだ。


「今日はいくらだい?」

「五文だ」

「ちっ、蕎麦の一杯も食えやしない」


 差し出された五文銭を忌々しそうに受け取るご婦人。なんだかこちらまで申し訳ない気分になる。


「次行くぞ」


 ニィアォさんの様子はいつもと変わらない。無愛想な対応にも慣れっこになっているのだろう。


「もっとたくさん払ってあげられないんですか」

「座学で勉強しただろう。らぼは五年前に独立採算制に移行したんだ。昔みたいな慈善事業じゃないんだよ」


 水道、病院、駅逓など王族が経営する事業は多い。それらの経費は全て事業によって得られる収入で賄われている。ふんにょーらぼも例外ではない。

 らぼの最大の収入源は農家に販売する肥料の代金だ。良質な肥料を作るには栄養豊富な糞尿を必要とする。採算を取るために粗末な糞尿が安く買い叩かれるのは当然のことと言える。


「新規開拓は進んでいないんですか」

「なかなか難航しているようだな」


 低品質糞尿の利用法についてはらぼでも色々と試行錯誤している。そのひとつが建材への利用だ。型にはめて成形し乾燥させてブロックを作るのだ。

 しかしこれはまだ開発途上だった。完成したブロックは赤土から作ったレンガより脆く値段も数倍になる。おまけに臭いが少し残る。全ての点で既存品より劣っていた。実用化の道はまだまだ遠い。


「さあ、次だ」


 作業は続いた。この地区は公衆厠が乱立している。収集代金目当てで個人が建てまくったのだろう。そこから収集される糞尿は例外なく低品質で量も少なかった。代金が一文の厠もあった。

 集合住宅の厠はさすがに量はあったが質が悪い。せいぜい三十文程度である。そして誰もが不満顔で代金の銭を受け取る。続けているうちにこちらの気分もすっかり落ち込んでしまった。


「よし。今日はここまでだ」


 ニィアォさんの言葉を聞いてほっとした。こんなに作業終了を待ち遠しく感じたのは初めてだ。


「ここも毎日収集するんですか」

「いいや、この地区は十日で一回りする。住宅地と同じでひと月に三度の収集だ。明日は今日の続きからだ」


 どちらにしても毎日来ることに変わりはない。また気分が重くなった。


「どうした元気がないな」


 馬車に揺られながらニィアォさんが話し掛けてきた。胸の中のもやもやを吐き出すように答える。


「粗末な糞尿がいかに不幸であるか、それがよくわかったんです。ウンコが貧しければ心も貧しくなり、オシッコに勢いがなければ気力さえも萎えてしまうのでしょう。誰もが図太いウンコと勢いのあるオシッコをできるような世の中にならないものでしょうか」

「そんな世の中にできるものならとっくになってるだろうよ。オレたちにできるのは女神シリアナ様に祈るくらいさ」

「そう、ですよね」

「まあそう気を落とすな。最後にもう一カ所寄る施設がある。そこに行けば元気が出るだろう」


 元気が出る施設? どこだろう。その答えはすぐわかった。孤児院だった。


「えっ、ここもニィアォさんが受け持っていたんですか。ボクがいた時は別の作業員が来てましたけど」

「いいやオレの受け持ちじゃない。だが下町に近いだろう。だから特別に組み込んでもらったんだ。ここは三日に一度の収集だ。さあ、行ってこい」

「でも収集の準備をしないと」

「それはオレがやってやる。用意が出来たら呼ぶからそれまで院のみんなに顔を見せてやれ」

「はい」


 ボクが降りると荷馬車は動き出し塀の角を曲がって行った。孤児院の厠へは裏口を使うのだ。

 表口から敷地の中へ足を踏み入れる。見慣れた光景が広がる。


「懐かしいな」


 ここを出た五カ月前がずいぶん昔のように思われた。庭で花壇の手入れをしていたシスターがこちらを向いた。


「まあメルド。荷馬車の音が聞こえたと思ったらあなただったのですね。今日は仕事ですか」

「はい。糞尿の収集に伺いました。お久しぶりですシスター」

「立派になって。この孤児院からふんにょーらぼに入った人族はあなたが初めてです。誇らしく思いますよ」


 らぼの制服姿を見せるのは初めてだ。ちょっと照れくさい。


「入ったと言ってもまだ仮採用の身ですから。今月はこの地区を任されました。一カ月よろしくお願いします」

「あ、メルドだ。みんなあ、メルドが来てるぞ」

「わーい、メルド兄ちゃんだ」


 孤児院の子どもたちが外に出てきた。みんな元気そうだ。数年間一緒に暮らした仲間たち。顔を見て声を聞いただけであの頃の生活がよみがえってくる。貧しくても楽しかった日々。


「こんにちは。あなたがメルドさんなのですね。初めまして」


 左から聞き覚えのない声がした。女の子の声だ。そちらには遊具を備えた庭がある。きっとそこで遊んでいて騒ぎを聞いてやって来たのだろう。


「ああ、こんにちは」


 その子を見た瞬間、あまりの驚きのためにボクの尻穴はたちまち縮こまってしまった。その女の子は妹に、魔族に襲われて一緒に逃げ、途中ではぐれてしまったボクの妹にそっくりだった。

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