立派な糞は立派な食事から


 らぼの食堂は充実している。「立派な糞は立派な食事から」という尻穴教の信条に基づいて、宿舎はもちろんらぼの各部署にも大きな食堂が設置されている。関係者ならどこの食堂でも無料で利用できる。食べ放題だ。


「今日も宿舎食堂でいいな」

「はい」


 どこの食堂でもいいのだがニィアォさんが担当になってからは三食ずっと宿舎の食堂を使っている。食堂の炊事係がニィアォさんの奥さんだからだ。


「やっぱり食事は手料理でないとな」


 とニィアォさんは言う。確かに奥さんが作っているのだから手料理には違いないだろうけど、提供された材料を使って決められたレシピで作る料理は手料理とは言えないんじゃないかな、とも思う。


「おはようございます」

「おはようメルド。今日もしっかり食べて頑張りな」


 ニィアォさんに負けず劣らず奥さんも陽気で明るい。お似合いの夫婦だな。


「おや、オレへの挨拶はなしか」

「あんたは起きた時にしただろう。ほらさっさと選びな。何にする?」

「今日は朝御膳の竹にするか。米で」

「はいよ。メルドはどうする」

「ボクは松定食。豆で」

「いつものように大盛りにしといてやるよ」


 好意は嬉しいんだけど食べきれないくらい大盛りにされるのには困っている。まあ食べきれない分はニィアォさんが片付けてくれるからいいんだけど。


「あそこで食うか」


 朝の宿舎食堂は利用者があまりいない。特等席の窓際に座り女神様への祈りを捧げ食べ始める。


「おまえ豆が好きだな。いつもそれだ」

「小さい頃から食べ慣れているんですよ。そう言うニィアォさんも米ばかりじゃないですか」

「小さい頃から食べ慣れているんだよ。しかしなあ、いつも思うんだが本当に不思議な食い物だな、これ」

「同感です」


「これ」とは茶碗に盛られた主食だ。ボクには豆腐が、ニィアォさんには白飯が盛られている。しかしその食材はどちらもこの王国の特産物である麦米豆ばめとうだ。

 この穀物の起源についての詳しい資料は残っていない。古いダンジョンの中で偶然発見されたとか、偉大な魔法使いが術を駆使して開発したとか様々な言い伝えがあるが、どれも当てにならないものばかりだ。


「収穫直後は何の変哲もない穀物なのにな」

「穀物は見掛けによらないってことですね」


 この穀物は調理法によって大変身する。製粉して水を混ぜて練って焼けばパンになり、精製してから鍋に入れて炊けば白飯になり、水でふやかしてすり潰し、布で漉した液体に苦汁にがりを入れて固めれば豆腐になる。調理法が変わればできあがる料理も変わる実に使い勝手のいい穀物だ。


「そう言えば似たようなので鳥豚トリトンぎゅがあるな。あれも大したものだと思うぞ」

「見た目は不気味な生き物ですけどね」


 鳥豚トリトンぎゅは北東の魔族領周辺地域に棲息する魔獣だ。翼は生えているが飛べず、豚のように何でも食べ、牛のように角がある。その肉も調理法によって変化する。

 薄切りにした肉にネギと青菜を合わせて甘辛いだし汁で煮るとすき焼きになり、適当な厚さに切ってパン粉をまぶして油で揚げるとトンカツになり、下味を付けた後、唐揚げ粉をまぶして油で揚げるとフライドチキンになる。便利な食材ではあるが数が少なく捕獲するのが困難なので市場にはほとんど出回っていない。


「はー食った。ごちそうさん。今日の出発は少し遅めで朝五ツ半だ。いつものように処理場搬入口前に集合な」

「はい。了解です」


 食堂を出たところでニィアォさんと別れた。出発までは自由時間なのだがその前に大切な仕事を片付けておかなくてはならない。脱糞だ。

 いつものようにらぼ中央部にあるかわや棟へ向かう。らぼの敷地内で用を足す時は原則としてこの厠棟しか使ってはいけないことになっており、内部には個室ばかりがずらりと並んでいる。

 もちろん広大な敷地内には厠棟の他にもトイレはある。だがそれはあくまでも緊急用だ。突然の便意とか、夜中に尿意を催して目が覚めたが厠棟に行くまでに漏れそうとか、二日酔いで吐きそうとか、そういった止むに止まれぬ場合を除いては厠棟で用を足す決まりである。


「さあ、出すぞ~」


 ボクの個室に入る。らぼの関係者全員に個室が割り当てられており、決まった個室で用を足すことになっている。もちろん来客者用の個室は別にある。

 便器にまたがり祈りを捧げる。


「女神シリアナ様、今日も良き脱糞を恵んでください。うっ、ふう~……感謝します」


 ここからが仕事だ。糞尿を観察し記録すること、これはらぼ関係者に課せられた重要な使命だ。ニィアォさんも部長も室長も所長も、厠棟で用を足した時は必ず行わなくてはならない。

 重さは便器によって自動計測される。尿は透明の専用容器で採取されている。後はそれらを観察するだけだ。


「色黄褐色。匂い芳香少し酸味。個数二つ。太さ約一寸、長さ合計で約四寸、形やや楕円。性状半練り……」


 記録用紙に本日の観察結果を記入する。尿も同じように観察し記入する。この記録用紙は就寝までに毎日必ず提出しなければならない。たとえその日、厠棟を利用しなくても「本日は全て外部の厠で用を足した」もしくは「全然出なかった病気かも」と記入して提出しなければならない。


「念のため細菌も見ておくか」


 大きく深呼吸した後で意識を両眼に集中させる。視界が変わる。便器に横たわるほかほかのウンコだけしか見えなくなる。やがてそこに様々な色の輝点が見えてくる。砂粒よりももっと小さい輝点、それはウンコに存在する細菌だ。ボクには細菌を見る能力が備わっているのだ。


「よし、菌のバランスは良好っと」


 集中を解除する。視界が元に戻る。もう一度深呼吸する。ウンコの輝点は完全に消えた。

 この能力、最初はうまく使えなかった。発動させるだけでも大変だった。しかし特別に組んでもらった訓練のおかげで今では思い通りに使える。特別訓練も座学と同時に終了した。


「この能力のおかげだな、このらぼで働けるのは」


 そう、ここに来るまでのボクは平凡な人族にすぎなかった。しかも孤児だ。

 小さい頃は王国の北方にある辺境の村に住んでいた、それくらいしか覚えていない。


「父さん、今年もよく実ったね」

「そうだな。ふんにょーらぼの肥料は本当に良質だ」


 北方の名産品じゃがたら豆を作って暮らしを立てる日々。質素な生活だったが不満はなかった。両親と妹の四人で仲良く暮らしていければそれだけで幸せだった。だが、


「逃げろ、メルド!」


 何の前触れもなく魔族が襲撃してきた。魔族領との境界である王国北東部には多数の軍が駐留していた。だがボクらの村は境界よりずっと西にあった。魔族の襲撃など予想だにしていなかった。


「父さん、母さん!」

「早く。妹を連れて逃げろ!」

「お兄ちゃん、メルドお兄ちゃん、どこ!」

「ハルン、こっちだよ」


 暗闇の中、どこをどう逃げたのか覚えていない。妹ともはぐれてしまった。やがて崖から転落して気を失った。


「気がついたか」


 目が覚めた時、ボクはテントの中にいた。ようやく駆けつけてくれた王国軍の部隊が村の外れに倒れているのを見つけて運んでくれたのだ。


「母さんは、父さんは、妹はどこ!」


 ボクの問いかけに軍人は無言で首を横に振るだけだった。後で聞いた話によると村は全滅したらしい。生き残ったのはボク一人だけだった。


「今日からここがあなたの家ですよ」


 連れて来られたのは王都の孤児院だった。養われている孤児の約半数、そして働いている修道女の全員が東の森のエルフ、もしくはハーフエルフだった。

 ここは元々彼らのために建てられた施設なのだ。東の森は魔族領と接しているため特に激しく襲撃を受けていた。王の母と妃は東の森のエルフである。同族の不幸に心を痛め、せめて行き場のなくなった子どもたちだけでも救おうとこの孤児院を設立したのだ。


「人は魔法を使えないんだね」


 エルフの子どもたちのほとんどが神秘的な能力を有していた。遠くまで見通せる目、百発百中の弓術、鳥寄せの技。それらの多くは他愛ないものに過ぎなかったがやはり羨望を感じずにはいられなかった。何の取柄もない自分に劣等感を抱きながら毎日を過ごしていた、そんなある日、


「珍しいものをいただきましたよ」


 シスターが運んできた皿には楕円形の黄色い果実がいくつかのせられていた。


「それは何?」

「南国の果実、まんゴイヤです。売れ残ったので寄付したいと旅の商人の方から申し出があったのです。皆で食べましょう」

「わあーい」


 歓声があがった。まんゴイヤは南海の孤島で栽培されている高級果実だ。まだ一度も食べたことがなかった。


「切り分けましょうね」


 果実は一口で食べられる大きさだがそれでは全員に行き渡らない。一個ずつ丁寧に四等分していくシスター。しかしそれでも一人分足りなかった。


「メルド、今日はあなたが我慢してね」

「はい」


 いつものことだった。寄付してもらった菓子や果実がどうしても人数分に分けられない時は順番で我慢することになっていた。そして今回の順番がボクだったのだ。


(おいしそうだな)


 切り分けられたまんゴイヤを見ていると余計にお腹が空いてくる。見ないでおこうとしても目を逸らせない。目を閉じてもまぶたの裏にまんゴイヤの残像が映る。


「えっ?」


 不思議な光景だった。まぶたの裏のまんゴイヤがチカチカと光り始めたのだ。


「今のは、何だ」


 目を開けると全てのまんゴイヤに無数の小さな輝点が見えた。しかもその輝点の色は不吉な印象をボクに与えた。これを体内に入れると大変なことが起きる、そんな予感がした。


「みんな、食べちゃダメだ。その果実はおかしい」


 思わず叫んだ。キョトンとしてこちらを見る子どもたち。切り分けたまんゴイヤを皿に盛っていたシスターは少し怒った口調で言った。


「メルド、自分が食べられないからといって意地悪を言うのはやめなさい」

「違うんです。まんゴイヤに変なものが見えて、それで嫌な気分になって」

「変なもの? 何が見えるのですか?」

「輝点です。無数の小さな輝点が見えるんです」

「輝点……皆さん、まんゴイヤはお預けです。決して口にしないでください」


 それからシスターは誰かを呼びに行った。しばらくしてやって来たのは細菌判別能力を持つエルフだった。そしてまんゴイヤはすでに腐敗が始まっており、食べられる状態ではないことが確認された。


「メルド、あなたにこんな能力があったなんて。あたしの誤解を許してね」


 シスターはボクを優しく抱き締めてくれた。その時は何が何だか訳がわからなかった。

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