らぼの一日はシリアナ様への祈りから始まる


 ボクらが礼拝堂に入るのとほぼ同時に本鈴が鳴りやんだ。重々しい響きを立てて閉じられる扉。

 この礼拝堂はらぼの関係者のために建てられた。参列しているのはらぼの宿舎で生活している者が大部分だが、自宅からの通勤者も若干混じっている。


「うわあ、今朝は立ち見になっちゃった。初めてだ」

「オレは毎朝立ち見だぞ」


 礼拝堂の椅子には限りがある。遅く来た者は立たねばならない。いつも時間ギリギリに来るニィアォさんは何とも思っていないようだが、立見席にいると寝坊者の烙印を押されたようで少し恥ずかしい。


「それにしても亜人種が多いな」


 立ち見席は一段高い場所に設けられているので背の低いニィアォさんでも内部がよく見渡せる。いつも椅子に座っているから人種の数はあまり気にしていなかった。人族は参列者の半数ほどだろうか。残りはエルフとドワーフが半々で獣人も数名いるようだ。


「昔は少なかったんですか」

「ああ。百年ほど前までは人族が八割ほどだったらしい。研究部門活性化のために知恵と経験豊富な長寿の種族を増やし続けた結果だろう。とは言ってもここにいるのは宿舎の連中ばかりだ。人族の大部分は宿舎じゃなく通いだから全体で見れば亜人種はまだまだ少数派だな」

「今の王様がハーフだってことも関係あるんじゃないですか」

「そうかもな。おっと宮司様がおみえだぞ。口を閉じろ」


 しょう篳篥ひちりきが雅楽を奏で始めると、黄土色の祭服に身を包んだ宮司様が姿を現した。祭壇に埋め込まれた「菊の御門ごもん」にうやうやしく一礼する。着席していた参列者も一斉に起立し礼をした。


「らぼの皆様、昨日は健やかな脱糞をされましたか。本日も健やかな脱糞をいたすために女神様に祈りましょう。女神様は口と同時に尻穴も造られました。口からは喜びの声を。尻穴からは喜びの放屁を。二つの穴を喜ばせるために私たちは造られたのです。さあ、高らかに歌いましょう」


 演奏が伴奏に変わった。国王自らが作詞作曲編曲を手掛けたふんにょーらぼの歌「糞尿こそわがよろこびわがなぐさめ」を歌う。いつ歌っても心に染みる。


(今の国王はどんな気持ちでこの歌を作ったんだろう)


 このらぼに来てからもう五カ月だけどニィアォさんにはまだ三カ月しか指導してもらっていない。最初の二カ月は座学で一日中講義だった。退屈な講義の中で一番面白かったのはらぼの創立に関する歴史だ。


 糞尿王がコウモン山の粗末な小屋で天に召された時、今の国王はまだ二十才の学生に過ぎなかった。前国王はなかなか子宝に恵まれず還暦近くになってようやく授かった一人息子だったのだ。


「命を落としたとはいえ二二二年振りに神託を得たのです。父上も本望だったことでしょう」


 涙にくれる新国王。だが悲しみに浸っている暇はなかった。

 学生のまま最高権力者としての責務を背負い、さらには父の意思を継いでふんにょーらぼを創立し運営せねばならない。二十才の青年にとってはあまりにも荷が重すぎた。特に糞尿の有効活用に関しては難航を極め、設立から二年経っても糸口すら見いだせなかった。

 それは当然だった。前国王の時代に国の総力を挙げて取り組んだにもかかわらず何の結果も出せなかったのだから。国王は心労がたたり卒業と同時に病に倒れてしまった。


「他種族の力を借りましょう」


 国王の母は菜食主義で知られる東の森のエルフだった。

 女神シリアナ様は肉を食わない者の糞尿を特に好まれるという言い伝えがある。信心深い糞尿王はその言い伝えに従って東の森から妃を迎えたのだ。


「エルフやドワーフは人族とは違う知識と経験を持っています。特に魔力の術に関しては人族など足元に及ばぬほど優れています。彼らの力を借りるのです。私から頼んでみましょう」

「それは難しいのではないですか。我らと深い親交があるのは東の森だけ。その他は敵対していないとはいえ、さして親密な間柄でもありません。それに彼らは農業を営なんでおらず、糞尿を作物の生育に利用する事業を成功させたとしても何の得にもなりません。とても力を貸してくれるとは思えません」

「農業を営んでいなくても我が国の作物は喜んで食べています。事業成功の暁には市価の半値で作物を取引できるという条件を付ければ、二つ返事で引き受けてくれるに違いありません」


 彼女の目論見は的中した。エルフもドワーフも他の種族も快く事業に参加してくれることになった。こうしてふんにょーらぼは本格的に動き始めた。


「最初にやらねばならないのは聖水の働きを解き明かすことだ」


 女神から授かった聖水の効果はすでに立証されていた。糞尿に聖水を一滴垂らすとたちまち良質の肥料に変化するのだ。実際、その肥料を使用した土地の収穫量は通常の五倍近くに達するほどだった。しかもこれまでにないほどの高品質である。


「聖水使用前と使用後の相違点、それを見つけることが手掛かりとなるはずだ」


 地道な研究が続いた。やがて二つの仮説が提唱された。一つ目はドワーフによるものだ。


「わしらは獣の肉を食う。だからと言って捕らえたそのままを食べるわけではない。皮をはぎ、骨を取り除き、口に入る大きさに切り分けてようやく腹に入れることができる。植物もそれと同じであろう。糞尿にはたくさんの栄養素が含まれているがそれらは結合して塊になっているのだ。だから大きすぎて根から吸収できぬのだ。聖水はそれらの結合を切り離し塊をバラバラにして、根から吸収できるくらい小さな断片に分解しているのだ」


 この仮説を証明するべく超拡大魔法と物質判定術によって聖水製肥料が徹底的に調べられた。結果、仮説の正しさが証明された。バラバラにされた成分の中でも窒素ちっそ燐素りんそ加里素かりその三つが大きく貢献していることもわかった。


「成分はその通りですが相違点は他にもあります。細菌です」


 もう一つの仮説はエルフによるものだ。


「森には多種多様のキノコが生えています。食用にできるキノコもあれば猛毒のキノコもあります。糞尿もそれと同じで多種多様な細菌が多数存在しているものと思われます。その中には有益な細菌もあれば植物を病気にしてしまう悪い細菌もありましょう。聖水は増殖し過ぎた悪い細菌を滅し、土中と同じ細菌バランスに戻しているのではないでしょうか。だからこそ植物は健やかに育つのです」


 この仮説を証明するべく超拡大魔法と細菌判別術によって聖水製肥料が徹底的に調べられた。結果、仮説の正しさが証明された。肥料は無菌と言っていいほど細菌が存在していなかったのだ。窒素、燐素、加里素を主要成分とするほぼ無菌の物質、それが聖水製肥料の正体であった。


「聖水の働きはわかった。次の問題はいかにして聖水を用いずにそれを作り出すか、だ」


 聖水の小瓶には使用しても補充される女神の祝福がかけられていた。しかしそれは一日に一滴という非常に微量な補充でしかなかった。広大な農地に散布できるほどの肥料を作り出すには到底足りない。別の製法を考え出す必要があった。


「魔法の術ならどうだ」


 塊の分解も細菌の死滅も魔法を使えば実現できる。だが聖水製肥料と同じ肥料を作るためには莫大な魔力を消費せねばならなかった。そんなことに魔力を使うくらいなら、作物に直接成長促進魔法をかけたほうが遥かに効率的である。この提案は却下された。


「細菌を制するには細菌を使うのが一番さ」


 この提案したのは人族だ。王国を代表する作物、麦米豆ばめとうを作っている農民である。


「穀物を精製した時に出るぬかを放っておくと熱が出るんさ。偉い人に理由を訊いたら細菌の仕業らしい。そんでその熱でたくさんいる悪い細菌が減るらしいんさ。多種多様な細菌の数が拮抗すればお互いが攻撃し合って、そのバランスは一定に保たれる。しかも糠を分解して発熱しているので糠は小さな断片になってしまう。この性質を糞尿にも応用してみてはどうだろうかね」


 直ちに実験が始まった。そしてほぼ期待通りの結果を得た。試作品の品質は聖水製のものには遠く及ばないものの生育促進効果は確認できた。


「進むべき道は見つかった。後はこの道を突き進み、より高みを目指すだけだ」


 それからのふんにょーらぼの発展は目覚ましいものがあった。今では聖水製肥料の七割ほどの性能を持つ肥料を生産するまでになっている。


(やっぱり第一歩を踏み出すのは大変なんだなあ)


 ふんにょーらぼの歌を歌いながら先人の苦労に思いを馳せた。

 一つ目の仮説を提唱したドワーフはらぼ室長となった。二つ目の仮説を提唱したエルフはらぼ所長、最高責任者となった。そして細菌使用を提唱した農民はらぼに所属することなく天寿を全うした。今はその子孫がらぼ専属農園で王国の特産品、麦米豆ばめとうの栽培に励んでいる。


「素晴らしき歌声に女神シリアナ様もお喜びのことでしょう。それでは本日のお言葉を朗読いたします」


 一同着席する。ボクらは立ち見のままだ。


しょくせよ、さらば出されん。いんせよ、さらば出されん。図太い糞と勢いのある尿は健康の証しなり。口を慎む者は悩みから己を守り、尻穴を慎む者は病から己を守る。今日も明日もこれからもずっと我らの尻穴に女神の祝福があらんことを。あすほー」

「あすほー!」


 一同声を揃えて締めの言葉を斉唱する。「あすほー」とは尻穴教で「まことに、かくあれかし」という意味の言葉だ。


「本日の礼拝はこれにて終了です。それから皆様にお知らせです。今年はふんにょーらぼ創立二二二糞糞糞年の記念すべき年。一二いいふん二四によ日のふんにょー祭は特別企画を考案中とのことです。楽しみですね」


 重々しい音を響かせて礼拝堂の扉が開いた。立ち見の参列者から順番に外へ出る。本日最初のお役目がやっと終わった。


「ふんにょー祭か。どんな企画を考えているんだか」

「ボクは初参加なので今から楽しみです」

「気が早いなメルド。おまえはまだ仮採用の身だろ。来月の本採用試験に通らなければらぼを追い出されるんだぞ」


 そうだった。浮かれている場合じゃないんだ。


「でも筆記試験より指導官の評価のほうが重要だと聞いています。ニィアォさんはボクを落としたりしないでしょう」

「さあ、どうかな」

「えっ、ウソでしょ」

「来月になればわかる。さあ朝メシに行くぞ」


 早足になるニィアォさん。ここへ来た時と同じくボクも足を速めてその後を追った。

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