ああ、かぐわしき「ふんにょーらぼ」

沢田和早

お百度参りの糞尿王

 予鈴の鐘が鳴りやんだ。もうすぐ朝のお祈りが始まる。


「急がなくちゃ」


 自然と早足になる。でも走ったりはしない。礼拝堂の敷地内では緊急時以外駆け足厳禁だからだ。


「おや、おまえにしては珍しく遅いじゃないかメルド。寝坊か?」


 振り向くとドワーフの髭だらけの顔がこっちを見上げている。ボクの研修を担当してくれる指導官のニィアォさんだ。


「はい。昨晩本を読み始めたら面白くて眠れなくなっちゃって。結局最後まで読んでしまいました」

「ほう。何て本だ?」

「『お百度参りの糞尿王』です」

「なるほど。ここで働く者たちにとっては必読の書だな」


 大きく頷くニィアォさん。ボクも相槌を打つ。本当に感動的な本だった。


 王都は古くから交易が盛んな土地だ。南北に流れる水量豊富な大河。二つの半島に囲まれた遠浅で波穏やかな内湾。そして多くの人と物を運んできた東西に伸びる街道。水運、海運、陸運に恵まれたこの地が物流の一大拠点となるのは当然だった。

 さらに北東の荒野に広がる魔族地周辺に未知のダンジョンが発見されると、多数の冒険者たちが詰めかけるようになった。

 市場は毎日開かれ、目抜き通りは商人、農民、町人、旅人、浪人、遊び人、追放されたヒーラー、悪役令嬢、買い出しにきたメイド、下手人を探すエルフの女戦士、遠足にきたドワーフの児童たち、昼下がりの主婦などでごった返し、宿屋や飯屋や露店の客引きの声が朝から晩まで響いていた。

 王都と定めてから二百年足らずの間に人口は十倍に増加した。と同時に新たな問題も発生した。糞尿だ。


「おっと踏んづけちまった。運がないぜ」

「ウンは付いているけどな」


 王都のそこかしこに糞が転がり尿が水たまりを作っていた。無作法なやからは窓から投げ捨てたりもする。それでも誰も何とも思わなかった。

 風に吹かれて舞う枯葉のように、石畳の間から生える雑草のように、馬車に轢かれたネズミの死骸のように、それがそこにあるのは当たり前だからだ。

 だが国王は違った。生まれついての潔癖症だったのだ。


ちまたに溢れる糞尿を何とかできないものだろうか」


 思い悩んだ国王は国中の英知を結集して日夜議論を戦わせた。しかし解決策は見いだせなかった。


「こうなれば神にすがるよりない」


 王家、そしてこの地の住民は長年にわたって尻穴教を信奉してきた。口のある生物には肛門がある。入れたモノは必ず出て来なければならない。真の幸福とは滞りなく糞を排出すること、それが尻穴教の教えだ。

 入れることが喜びならば出すこともまた喜び。その喜びを司るのが尻の穴の守護者であり尻穴教のご本尊でもある女神シリアナだ。


「わしはこれよりコウモン山に籠もり、お百度参りを敢行する」


 国王の宣言は宮殿を震撼させた。コウモン山は尻穴教の神殿が建つ聖地である。そして王国の北の外れにそびえる酷寒の地でもあった。神祇官は全員寒さに強い氷の精霊もしくはそのハーフである。普通の人族であり、しかもすでに喜寿を迎えた国王の体では百日どころか三日も耐えられないだろう。


「お百度参りで神託を得る確率は千分の一と言われています。国王自らが赴く必要がありましょうか。軍隊から屈強な若者を選抜し国王代理とさせてはいかがですか」

「いや、女神の信託は心の底から希求する者にしか与えられぬ。代理ではたとえ一億回お百度参りを成就させたとて神託を得ることはできぬであろう」

「ならば数名の魔術師を同行させてください。防寒術と発熱術で王の体をお守りします」

「知らぬのか。お百度参りは他者の手を借りてはならぬ。たった一人で成し遂げねばならぬのだ」

「わかっております、ですが……」


 太政大臣はそれ以上何も言えなかった。言っても無駄だった。国王は口に出したことは必ず実行する、これまでずっとそうだったのだから。


「そなたの心遣い、感謝する。心配せずともよい。わしは必ず神託を得て宮殿に戻ってくる」


 こうして国王は身の回りの世話をする数名のお供を連れてコウモン山に向かった。すきま風が吹き込む粗末なお籠もり小屋に寝泊まりしながら、三里の距離にある神殿まで往復する毎日。平地ならば徒歩でも三ときほどで往復できるが、標高差三町もある雪の山道となればその倍はかかる。明け六ツに小屋を出ても帰ってくるのは暮れ六ツ過ぎである。


「王よ、もうおやめください」

「いや、まだやれる。まだ歩ける」


 国王の衰弱ぶりはひどいものだった。頬はこけ、耳と鼻はしもやけになり、普段は八十匁ほどあった糞便は二十匁ほどに減ってしまった。


「こんなにウンコの量が減ってしまっては女神シリアナ様もさぞかしお嘆きになっていましょう。王よ、後は我らが引き継ぎます。宮殿へお戻りください」


 お供の者たちは必死に訴えたが国王の決意を翻すことはできなかった。


「そなたたちの申し出は有難く思う。だが言ったであろう。代理の者ではダメなのだ。それに量が減ったとはいえ毎日のお通じが滞っているわけではない。シリアナ様も許してくださるだろう」


 こうして国王のお百度参りは続いた。雪の日もあられの日も猛吹雪の日も暴風雪の日も国王は黙々と小屋と神殿の間を往復した。そしてついに満願成就の百日目を迎えた。


「はあはあ。たどりついた。ようやくわしは成し遂げたのだ」


 息も絶え絶えとなった国王は神殿の祭壇の前に倒れ伏した。国王の命が尽きかけているのは誰の目にも明らかだった。だが神祇官たちは救いの手を差し伸べられなかった。

 まだ終わっていないからだ。祭壇に埋め込まれた尻穴教のシンボル「菊の御門」に参拝者の尻穴を密着させる最後の儀式が残っている。これが終わるまでは何人たりとも手を貸すことはできないのだ。


「シリアナ様、我の尻穴に祝福を与えたまえ」


 国王は毛皮のズボンを脱いで尻を丸出しにすると、聖なる「菊の御門」に押し当てた。


「ひゃう!」


 あまりの冷たさに変な声を出してしまう国王。しかも祭壇は超硬度金属アダマンタイト製であったため、濡れた尻穴との間で凍着現象が発生し、国王の尻と祭壇は接合してしまった。


「うぐぐ、神託を、何卒なにとぞ神託を授けたまえ!」


 尻の疼痛に耐えながら最後の願いを叫ぶ国王。その祈りが通じたのであろうか、それまで厚く垂れこめていた雪雲が吹き払われ、神殿に太陽の光が差し込んだ。


「私は女神シリアナ。そなたの糞尿への熱き想い、しかと受け取りました」

「おお、これは奇跡か!」


 荘厳な女神の声が神殿に降り注いだ。国王と神祇官たちは感極まって涙を流した。お百度参りによって神託が下るのは実に二二二糞糞糞年ぶりの珍事であった。


「ひとつ知恵を授けましょう。糞尿には作物を育てる力があります。うまく活用できれば農作物の生産性は向上し国力はさらに強大になるでしょう」


 この言葉を聞いた時、国王は少なからず落胆した。それはすでに実行していたからだ。


「ああ、偉大なる女神シリアナ様。有難いお言葉ですが糞尿では作物を育てられません。全ての検証実験が同じ結果を示しました。生育を促進するどころかむしろ阻害するのです」

「それはそなたたちが糞尿の真の力を引き出せていないからです。私の聖水を授けましょう。これを正しく用いればそなたの願いは叶うはずです」


 祭壇の前に小瓶が出現した。黄金色の液体で満たされている。それを手にした瞬間、国王は女神シリアナの言葉が真実であると確信した。


「いとも深き慈悲を賜り感謝の言葉もありません。その御心に応えるために必ずや糞尿の真の力を引き出してみせましょう」

「糞尿には多くの力が秘められています。作物の生育促進はそのひとつに過ぎません。糞尿を究めなさい。考えなさい。愛し続けなさい。その愛が大きければ大きいほど、糞尿もまたそたなたちに多くのものを与えてくれるでしょう」


 それが女神シリアナの最後の言葉だった。神殿を照らしていた光が消えた。空は以前と同じく雪雲に覆われている。信託の時が終わったのだ。


「王よ、しっかりなさいませ」


 神祇官たちは直ちに回復魔法を発動した。国王の尻は祭壇から離れその体は暖気に包まれた。しかしもはや歩ける状態ではない。神祇官たちは転移魔法を使って国王をお籠もり小屋へ瞬間移動させた。


「おお、王よ。お喜び申し上げます」


 お籠もり小屋で待っていたお供の者たちは笑顔で国王を迎えた。突然雪雲が吹き払われ山頂の神殿に天から一筋の光が差し込む光景を見て、信託が授けられたことを確信していたからだ。だがその喜びも国王の容態を知りすぐさま悲しみに変わった。これ以上の回復が不可能なほど国王は衰弱していた。


「皆の者、よく聞いてくれ」


 国王は女神シリアナの言葉を伝えた。供の者たちは涙ながらにそれを聞いた。握り締めた小瓶を掲げると国王は言葉を途切らせながらあえぐように言った。


「この聖水と糞尿の可能性を引き出すために、はあはあ、施設を作るのだ。ふうふう、糞尿を研究し開発する施設、そう、名付けて、ふんにょーらぼ……頼んだぞ」


 それが国王の最期の言葉だった。その意思を引き継いで設立されたのが糞尿研究開発機構、ふんにょーらぼである。この偉大なる国王は後に糞尿王と呼ばれ、その銅像がらぼの正面玄関に飾られている。


「王様と女神様の期待に応えられるよう頑張らなくっちゃ」


 昨晩読んだ本の内容を思い出すと尻の穴が熱くなる。ヤル気も湧き上がってくる。らぼの設立から今年で二二二糞糞糞年。町の通りには糞ひとつ転がっていない。糞尿王の望みは確かに叶えられたのだ。


「頑張るのはいいが朝の礼拝に遅れるのはどうかと思うぞ」


 ニィアォさんの歩きが速くなった。本鈴が鳴り始めたのだ。鳴り終わると同時に礼拝堂の扉は閉められる。そうなったらもう中には入れない。


「いけない。急がなくちゃ」


 ボクは尻に力を込めると足を速めてニィアォさんの後を追った。

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