第16Q 始動、そして火花は散り始める
「全員荷物持ったかー?」
そういうのは、桐谷先生だ。それに「うぃーっす」と気が抜けたような声がポツポツと出てくる。
今現在、朝7時を少し過ぎた頃。
朝練のある日とほぼ同じ時間とはいえ、朝というものは眠い物だ。過半数の部員は欠伸をしていたり、目が完全に空いていない。
「1年生ー、その持ってる荷物はバスの下に入れて」
テキパキと指示をする我が水咲高校男子バスケ部マネージャー(なお1人)である、小澤さんである。
「夜野くん、その荷物もバスの下」
「っ……はい!」
意識がどこかに飛んでいたのか、反応が一瞬遅れる。
「荷物積み終わったら、バス乗っちゃっていいよ」
「あっはい……?」
「私、忘れ物ないか確認してくるから」と、小澤さんは返事を待たずして小走りで部室の方へ走っていった。
「ところで先輩方、何故俺の肩を持っておられる……?」
「いや、分かるぜって思って。小澤さんに話しかけられるとああなるよなって」
前側に丁度空いている席があり、窓際に座る。少し時間が経つと空いている席を見て、そこに座ろうとする誰か。
「げぇっ」
見上げるとそこには桝田さんが、俺の横の空席に座ろうとしていた。
「おい師匠に向かって『げぇっ』ってなんだ」
「自分で言う時点で寒いッスよ、それ」
「可愛くねーなー。お前」
「
俺は桐谷先生がいる席の方へ指を指す。だが桝田さんは手首をぐねぐねと関節を動かしながら、一言。
「――普通にやだ、おっさん試合の日の移動中怖いもん」
「いやアンタ、コーチだろ。あと、男が『もん』って言うな」
サラッと、横の席によいしょっと言いながら腰掛ける桝田さんに思わず「おい……」と言うも「いいじゃん、どうせ隣いないんだし」と人蹴りされる。聞かれてはいないが。まあ、事実ですが? 決して友人がいないとか、先輩と仲良くないとかじゃないんですよ? と言いたい。
「どーせ試合出れねぇって不貞腐れてると思って顔を見に来たお師匠様にお前……扱い雑じゃね?」
「いや別に」
バス特有の大きな窓の下にある出っ張りに左肘を置き、その左の手のひらに顎を乗せながら俺は素っ気ないと思われるような返事が口から零れる。視線の先は嫌らしいほど澄み渡る青空。何故か視線が奪われる。どこか既視感を覚えたからだ。ああ、そうか。
――中学の。あの3年間の地獄を思い出すからだ。
試合のある日は必ずと言っていいほど、晴天がほとんどだった。だから俺は、『太陽』というか『晴れ』って言葉が嫌いだ。その言葉を聞くたびに、少し胸のムカつきがぞわりぞわりと浸食していく。原因は、中学の色々な事だと分かってはいるが高校に入ってすぐ切り替えられるほど俺は人間が出来ていない。
「出れない時間にもできることは――」
「分かってます」
だが今日はそれとは違う。なにかに追われたような焦燥感に似たものが、胸の奥をザワつかせる。
試合に出られないことは分かっていた事じゃないか。それでも俺は今の状況が、――悔しいのか?
「――分かってます」
複雑な心内を勢いよく底に押し込める。そして、一拍。次はしっかりと地に足が着いているかのような感覚だ。先ほどの胸のムカつきは残るものの、不思議と落ち着いて返答することが出来た。
「……そうか」
優しい声音と共に頭を触られる感覚。
……頭?
頭を撫でられていることに気づいた俺は、珍妙な生物を見つけたような顔で桝田さんを見る。
「いや、お前。何その顔」
「びっくりしてる顔です」
「見ればわかるわ、馬鹿にしてんのか」
「馬鹿にしてません。……時々アホだとは思うときありますけど」
心の内に秘めていた事を正直に口にする。練習中を見ていると、教えている姿はコーチそのものだ。だが、時々。誰とも話さず体育館の隅で1人シュートを打っている姿はどこか人を寄せ付けないオーラを纏っていた。それが俺は、何故か怖いと思ってしまう。
――この人が?
目の前にいる普段の桝田さんは普通に笑うし、大人とは思えない馬鹿な事もする。ふと明らかにボールを持つ瞬間、背負うオーラが違うのだ。不思議だ。桝田さんは少し首を傾げた後に反応がない俺を見て、ニヤリと笑いながら両頬を指で掴まれた。餅かスライムかのように伸びているかもしれないとイメージは出来るが、それ以上に掴まれている痛みがジンジンと頬に走る。
「そんな生意気なことを言うお口はこれかーーー?」
「いひゃいいひゃい!」
そんな男子高校生の日常のような馬鹿馬鹿しいやり取りも終え、全員がバスに乗った。
静かになった空間となったあとも、目をつぶっては見るものの眠ることが出来ず高校から少し離れた場所にある試合会場へ着くことになる。
道中、常にだが。
――やはりどこか胸騒ぎがした。
――――
大会の舞台は水戸の市街地から離れ、笠間市民体育館。
「――久しぶりだな、大会」
「――そうだな」
何せ、最後の大会が去年の6月だ。あれから約10ヶ月は経つ。ふと独り言を呟くと隣に居た石橋が返答する。だがそれ以上会話は続くことなく、部員が集まっている所へ足を運ぶ。
特段長旅、というわけでもなかった。なにせ、1時間ほどで会場に着いたのだから。全員がバスに降りて、桐谷先生が「じゃ、俺は受付とかやってくるから頼んだぞ」と桝田さんをビシッと指を指しながら言う。それに対して、桝田さんは「へいへい、分かってますって。とりあえず行ってきなよ」と返事が軽いこと軽いこと。桐谷先生が少し睨みに近い視線で桝田さんを見ていたが、ため息を吐いたのちに主将である須田さんの方へ視線を向ける。
「昨日伝えたとおり、須田よろしくな」
「はい」
そんなやり取りがあった。足早に去る桐谷先生の背中が遠のいていく。「よし、キャプテン。あとはいつも通りでいいから。よろしく」と須田さんにぶん投げる様子を見てこう思った。
おい、いいのかよコーチそれで。
そんなことは日常茶飯事なのか、それとも事前に伝えられていたのか動揺する素振りも見せない須田さん。だが口を開けば「んじゃ、荷物置いたら外でアップ行くぞー」と須田さんの少し伸び気味の語尾で、思わず気が抜けそうになる。すると間髪入れずに、内山さんが鋭い一声。
「最初は9時から女子の試合で、次からの昼からは
――特に2年は分かってるよな?」
内山さんが、とある方向へ視線を向けながらそう言う。
するとピクリと2、3人の肩が上がった。
「荷物置いたらすぐアップだからな? ――決して探検なんかするなよ」
そっと集団から抜け出そうとしていた2年生組全員が小さな声で「ウィッス」と言っていた。そんな俺の近くにいる2年生組は「こっわ内山さん預言者だったりする?」「かもしれん、特に前世とか」なんて言っているが。何故、体育館で探検……?
呆れた物言いで額を少し掻く安藤さんが「いや、前回の脱走経験者共が何を言っておられるのか」なんて言っているあたり、2年生の中でまとも枠は安藤さんなのかもしれない。金髪なので、そうは見えないのがあれだが。
「――どうも、水咲さん」
ふと、大きくもなく小さくもないが後ろからはっきりと声を掛けられる。白いジャージを身に纏い、少しグレー気味の髪色の他校の男子だ。そして今流行りのツーブロックと呼ばれる髪型をしていた。表情を見てみると、生真面目という印象を受ける。
「うえっ!?」
「ああどうも! お久しぶりです。この間の新人戦以来ですよね」
主将である須田さんがまさか話しかけられるとは思わず驚いたのを見たとある人は須田さんの前に足を出して、目の前にいる男子と相対する。そんな行動を取った人は、内山さんだ。よく顔を見ると、目の前にいる男子と内山さんの両者共に、口元は笑っているが目は笑っていない。空気もどこか、ピリッとしていた。
「そういやいないんスね、あいつ」
「まあ隠すつもりないんで、別に」
「そうっスか」
俺たち部員を左から右へと流し見した後にそんな会話が起きる。そして腕を組む他校の男子。半袖で肌が出ていないにも関わらず、空気のヒリつき様を感じる。
「まあ別にいいっスけど。オレらのやること変わんないんデ」
「ははは、そうですか」
「こないだの新人戦の借り、今回返すつもりなんで。――どうぞ、よろしく」
「決勝で当たる前提ですか、すごい自信だな」
「うちの地区では、余程の番狂わせがない限りおれらの高校とおたくの水咲でショ。予選であの
「まあ
「そうそう、だからサ……。関東大会の地区予選のうちにおたくらの水咲高校をちゃっちゃと倒しておきたいのよね」
まるで『軽々と倒しますよ』と当たり前のように吐かれた言葉に、内山さんの眉間がピクッと動く。それを見た2年生組が小さな悲鳴を上げたのは、ちょっと色々と部内のカーストをここ最近の会話で垣間見えているようにも思う。ニコリと笑いながら内山さんが言う。
「当たったら、そんときは。
――全力でぶっ潰しますよ」
互いの視線が交わり、火花が散る。
「ったく、お互い上がればの話でしょうに。せっかちじゃんね」
ぬるっと寄ってくる大きな影。この火花が散るなかに新たな刺客である。
この人も先ほどまで話していた他校の男子と同じジャージを着ている。2mはあるかもしれない……?
「まあまあ、お互い今回も決勝で当たったらよろしくお願いしますね」
人当たりの良さそうな長身の男子と2人がバサリ、と白基調で肩には紅梅色のラインが入っているジャージが翻る。そして紅梅色でプリントされている、その後ろの文字には『
他校の2人が嵐のように去った中、何も察することなく普段通りに立っていた人がいる。
「いやなにアレ、腹の探り合い?? 怖すぎんだけど……? 試合前から胃が痛いわ……」
「えっなにあれ」と何度も言いながら自身の胃の部分を摩る、まるで他人事のような様子の須田さんに「おい
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