第3話
「現状を伝えると、まだ深くなっている。」
『止まってないの?どれくらい深くなったの?』
「直線距離で約1㎞。垂直深度で言えばだいたい400mくらいまで伸びた。今も伸び続けてるが、なにより・・・」
『一番奥の部屋の様子が気になるわ。』
「そうなんだ。いまだに"家主"の反応が観測できてない。扉はずっと閉じたままだ。何も分からない中で人をぶら下げることはあまりしたくないんだ。それじゃあまるで釣りと同じだ。」
『喰い付くとは思ってるのね。まぁわざわざ向こうから姿を現した訳だから。』
「・・・全く何もわからない。何回体験しても、彼らは一体何を考えているのやら。」
『慣れる事ができてないのね。でも私はそれでもいいと思っているわ。あんなものに慣れるのはハッキリ言って無理よ。超常すぎるもの、慣れた気になって軽はずみに踏みだした一歩から"落ちていった"人たちも沢山いる筈よ。』
「・・・ありがとう。君はいつも優しいな。今までそこそこには生きてきたけど、まさか喋るぬいぐるみに励まされる日が来るとは。」
『おかしいわね。』
「ただ、君の事は幾分信用している。少なくとも"あいつら"みたいな本当に碌でもない奴らよりかは。それに君は彼女に所有されている。彼女のモノであるという事を少しは保険に感じる事ができているのさ。」
『わかっているつもりよ。それでも光栄ね。あなたはアサミに毎日ご飯を出して、寝るまでの話し相手になってくれている。少なくともその点において、私もあなたの事を信用しうると思っている。奇妙な縁だとは思うけれど、これからも協力していきましょう。』
「わかった。」
「ねーねー!何話してるのー!?」
カーテンの向こうからキンキン声が飛んできた。この部屋は彼女の声をよく響かせる。油粘土の壁が彼女の声だけ選んで跳ね返してるみたいにくっきりハッキリと、こちらの耳に突き刺さってきた。
『なんでもないわy・・・』
「明日また、昨日の回廊に行く事になると思う。」
「・・・えぇ!?あそこまだ調査終わってないの!?嫌だよ!あそこ不気味だもん!」
大の字に大きくこっちを見ろと言わんばかりに広げられた四肢がまた床に向かってシュンと畳みこまれていった。手は頭を抱えているようで、ブルブル震えているのだろうか。
「不気味なのはどこも変わらないと思うが・・・」
「あそこはイヤ。どんなのが出た来たとしても、顔もわからないのは本当に怖いの・・・。」
「明日は最大限のバックアップを取るつもりだ。それに君に出来ない事を出来る奴らはここには殆どいないんだ。」
「うぅ・・・」
俺はまたズルい事をしてしまった。あんなに奔放な彼女も、こう言われると断れないのを分かってきたから、ついつい口から出てしまう。優しい少女に取り入ろうとする私もまた卑しい奴らの列記とした一員であることを示し合わせされる。
「ごめんな。」
「!!、今謝った!?やっぱりいつもより危険なんでしょ!分かっちゃったわよ今!そうやっていつも私を使いたいだけ使って!そのお礼は味の沁みてない大根のスープ!本当に女の子の身体を何だと思ってるの!ハンバーガー!パフェ!抹茶ラテ!タピオカ!アイスクリーム!すき焼き!ラーメン!それからそれから・・・」
「アップルパイ。」
「そう!アップルパイ!」
「厨房に強めに言っておくよ。実際俺もあの飯はナイとおもってる。なるべく早く用意『させる』。」
「いいの・・・?」
「約束する。」
言ってしまった。あぁ、今まで一度も要望なんか通ったことないのに。でも焼ける筈だと思うんだよなぁ、立派な石窯があったし。あんな立派な窯があって、パイの一つも焼きたくならない人たちには見えないからなぁ。
『頑張ってね。』
「・・・それを言われるべきはあなたと彼女なんだよ、本来。俺はできるに決まってる事から、少し進んで挑戦してるだけさ。」
『・・・。』
「くしゅんッ!」
「風邪引くぞ。風邪引いたら、アップルパイはお預けだなぁ。」
「意地悪!」
彼女が浴槽に勢いよく飛び込むとこぼれたお湯が地面に叩きつけられてビシャビシャ大きな音を立てる。この部屋はそういう音が良く響く。
数秒遅れでカーテンを超えた湯気の塊が遠く高いところで雲のようにモクモクと佇んでは消えていく。温かいお湯がちゃんと出ているのだと思うと少し安心した。
「着替えは・・・」
『よっこいしょ』
振り向くとぬいぐるみが、物の集中して散乱する彼女の"居住区"とも言うべき部屋の真ん中地帯の、また端に置かれた衣装棚からパジャマやらタオルやらなにやらを引っ張り出して腕いっぱいに抱えながら運んでいた。
ひとまず仕事は一段落。
自分が暇な時は、その"居住区"の外の、何もない所に置いておいた木イスに座って事が起こるのを待つ。彼女も浴槽に潜ってからはのんびり身体を温めているようだし、いつものように物を踏まないように気を付けながら机の上の食事トレーを持って"外"に出る。イスの隣に止めてある手押しカートに食器を置いてから座った。思ったより疲労があったらしく、倒れ込むように勢いよく座るとイスは大きめに軋む音を立てた。馬鹿になりかけた継ぎ手が擦れて出る音はどこか老婆の呻き声のようにも聞こえる。不安にさせる。
「はぁ・・・。」
今はアップルパイを焼いてもらう良い文句を考えよう。
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