高祖、『大風の歌』を歌う

 そもそも大風おおかぜの歌とは何か、ということで、出典を『史記しき』から引いておきます。この歌が、かんを創立した劉邦りゅうほうを象徴しているようにも感じたからです。


 のちかんいしずえが築かれ、すべて天下は平定されました。

 黥布げいふという部下の反乱の討伐が終わったあと、といいますから、かんの創始者である劉邦りゅうほうはもうだいぶ歳をとったころになっています。故郷であるはいという都市(街)を高祖こうそ劉邦りゅうほう)が討伐のあとにとおりすぎられました。以下にその文について書きます。



 高祖こうそ黥布げいふの討伐からかえることにされ、はいりゅうの街をとおりすぎられました。


 はいというのは高祖こうその出身地の街で、高祖こうそ劉邦りゅうほうの腹心のおおく、蕭何しょうか曹参そうしんなど、もこの周辺の出身で、りゅうもゆかりのある土地です。そのなつかしい故郷をとおりすぎたわけです。


 高祖こうそは酒をはいの宮殿に置いて、ことごとくなじみのろうていをまねいて酒もりをして十分に楽しみ、はいのうちの若者を百二十人集めて、彼らに歌を教えられました。


 酒もりがたけなわとなり、高祖こうそちくという楽器をち、みずからこの宴会のために詩を歌っておっしゃいました。


大風おおかぜたちて雲は飛揚ひようし、海内かいだいにくわわって故郷こきょうに帰る、ここに猛士もうしをえて四方をまもらん!」


 感覚で意訳します


 大きな風が起こった

 雲はもり上がった

 私のはこの世界中に加わって

 いま故郷こきょうに帰ってきた

 ここに勇士たちをえて

 四方をしずめよう


 若者たち、勇士たちをしてみなこれを唱和しょうわさせ、何回も歌わさせました。


 若者たちの、百人の唱和しょうわ、どんなものだったでしょう。これにちくの楽器の音が重なりました。


 高祖こうそはそしてたち上がって舞い、慷慨こうがいし、感情がたかぶって感情があふれたのでしょう、涙が何列かくだられました。


 そしてはい父兄ふけいにいわれました。


「いでてあそび、外へでて放浪ほうろうした子は故郷をなつかしむものだ。われ(高祖こうそ劉邦りゅうほう)は關中かんちゅう(旧・しんの土地、はるかはいの土地の西にあります)にみやこをおいたといえども、死んでのちは、わが魂魄こんぱくはなおはいを思い、ここへ戻ることをこいねがうだろう。


 かつちん劉邦りゅうほう)ははい公より出発してそして暴逆ぼうぎゃくなものどもを、各地に転戦てんせんして、ちゅうし、ついに天下をたもつにいたった。ここにはいちん(私)の湯浴ゆあみのゆう(村・街)として保護し、そしてその民は、よよこれから租税そぜい労役ろうえきなどの不利益にあずかるところがないこととする。」


 そうおっしゃいました。


 はいの知り合いたちは日び宴会えんかいを楽しみかんをきわめて、ふるい過去のことをいって笑い楽しみ、交流こうりゅうをつくしました。


『史記』巻八、高祖本紀から引用、意訳



 故郷を思う、高祖の詩です。

 そして、この世界をしずめたい、そしてしずめた、そういう願いが、戦乱せんらんの世のあとに述べられています。


 高祖の心の深さがしのばれます。


 またこれまでの戦乱せんらんを生きぬいた苦労もにじみでています。激動げきどう高祖こうその人生をふくめ、しんからかんへの時代を、これからみてみたいと思います。

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