第2話

 ゆらゆらと揺れていく珍妙な木造船の上で、僕の意識は闇に消えて元に戻ってを繰り返した。長い長い夢を見ている気分だ。けれど、一向に目が覚める気配はなく、幾度か見たことのある走馬灯とは似て非なる新たな知見を僕は得ている。


 朦朧としていた意識は、徐々に冷静を取り戻したが、現実感はどこかへ消え去ったまま。この見知らぬ世界は、きょうそさまの語っていた神秘的な誇大妄想とも異なる様相を見せている。たとえば、宙を舞う埃のような灰色のなにか。でも、確実に何らかの脈動をもつ生命体の一種である。人の背中や頭にくっついて、たまに動いたり光ったりする。あまりにも不思議だったから、もしかして僕だけに見えている幻覚的な何かなのかとも思ったけれど、彼らが「それ」に話しかけるところを見る限りそういうものでもないらしい。


「〇▽◇×◇×▽〇」


 それでも、人間という生物だけは相変わらず、悪い意味で人間らしさがあった。どうやら僕の世話係を務めているらしい男が傷だらけの顔で語りかけているのは、きっと仲間の愚痴かなにかなのだろう。


 八つ当たりの玩具にならない程度には、僕はつまらない存在である必要がある。それは、今までの経験上明らかなことだ。この、いわゆる死後の世界とやらには、どうやら痛みもあるらしく、楽園には程遠いドロドロとした人間臭さがはびこっているようだから。


 運が悪ければ、死ぬ。それがわかっていたとしても、僕は冷静でいるべきだ。


「あー」


 いまだ名前すら声に出せない未発達の声帯で、理解できない彼の話に相槌をうった。まあ、べつに大した意味もない。ただの相槌なのだから。


 分かりもしない彼の話が、たとえどんなにくだらない愚痴だったとしても、そこに反論はいらないはずだ。ものによっては、それは自虐的な後悔に代わるのかもしれないけれど、それに気づくのは精神がまともになってからである。


 今の僕が、どんな姿をしているか僕は知っている。とても小さい赤ん坊。そんな僕に対して、彼は独り言じみた愚痴を垂れ流し、徐々に表情を深刻なものへと変えていく。そんな彼の状態が、けっしてまともじゃないってことも、僕はわかっているつもりだ。




 次の日から、その男は姿を消した。この船の上から姿を消すということは、すなわちそういうことなのだろう。僕は、意図せず彼の後押しをしたのかもしれないと、小さな頭で気づいた。


 まあ、でもきっと、それはそれだ。


 僕は知っている。少なくとも、あの暗くてじめじめした孤児院より、今のほうがマシだ。もしこれが、妄想だったとしても。きっと、あのまま生きているより、ずっとマシだっただろう。


 

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