倹約家
帰宅してから私が昼食を作っている間、北岡さんはソファに座ってスマホを見ていて、時々テレビの画面も見ていた。何を見ているのか気になってテレビの画面をチラッと見たら、どうやらBSで放送している海外ドラマを見ているらしい。近々新しいドラマが始まるという番宣を見かけた覚えはないから一話ではないだろうに、なぜドラマをチョイスしたんだろう。ちゃんと見てるわけでもないし。
「北岡さん、ご飯どれくらい食べる?」
「美華とおんなじくらい。」
「…そう。」
人の家で食事をする時、食べる量を聞かれても困るという人は多いだろう。実際、私も「ごはんどれくらい食べる?」と聞かれると答え方に困ってしまう。いっそ自分でやらせてくれと思った。
だとしても、そこで「あなたと同じくらい」と答えるのはちょっとリスキーなんじゃないかと思う。単に考えるのが面倒なだけなのかもしれないけど、これで私がとんでもない大食いで、凄まじい量の白米が盛られたら…なんてことは考えないのだろうか。北岡さんはどんな量が出てきても食べられるほどの大食いなのか、私が心配性なのか。
まあ、実際のところ、私は大食いでもなんでもないので世間一般的(であろう)量のご飯を盛るのだが。
豆腐とわかめの味噌汁と、アジのみりん干し、ほうれん草の胡麻和え。キッチンでそれらをお皿に盛り付けていると、火の音がしなくなったことに気づいたらしい北岡さんがオープンキッチンのカウンターから身を乗り出すように料理を見つめていた。
「超おいしそう。それ、テーブルに持ってたらいいの?」
「あ、うん。そんなに期待しないでね、普通だから」
私は小さい頃から、母が食事の準備をする姿をぼんやりと眺めているのが好きだった。野菜を切るのが速いなあ、とか、楽しそうだなあ、とか、そんなことを思いながら見ていると、そのうちにいい匂いがしてくる。母はそこまで丁寧な性格ではなかったから、初めて作る料理でもない限り目分量で調味料を使っていて、私は大きなボトルからフライパンや鍋の中に入っていくそれらの香りが大好きだった。特に、みりんの香りは何より好きだった。それを言ったら、母は醤油が好きだと答えたんだったっけ。
私がただ見ているだけだったのは小学校入学の前までの話で、同じクラスの友達が揃って「お手伝いするの大好き!」みたいな雰囲気を醸し出していた上に、その頃の私は既に「優等生」だとか「勉強ができる子」といったレッテルを貼られ始めていたから、料理をする母に何か手伝わせてほしいと申し出たのだ。すると、母はお皿を運んでほしいとか、味噌汁をよそってほしいとか、私に小さな仕事を与えた。最初は私が何をするにも少し心配そうだった母も、私が中学生にもなると、自分から仕事をやらないと小言をくれるようになった。
騒がしくすると、楽しそうに料理をする母の邪魔になるかもしれないという懸念があった私はいつも無言で仕事をこなしていたけど、北岡さんは「わあ、美味しそ」とか「いい匂い」とか、小さな声で呟きながら料理を机に並べた。そう言われると悪い気はしないのだから、私ももっと母に素直な言葉を言ってよかったのかもしれない。
コップとカトラリーを出し、2人で向かい合って席に着いた。一人暮らしなんだから椅子なんて1つでいいと思っていたけど、職場の同僚が2つ買うように勧めてくれてよかった。でなければ、私か北岡さんのどちらかは立ち食いをしなければならなかったのだから。
「いただきます。」
「いただきます。」
つけっぱなしのテレビは、12時を過ぎたからドラマは終わって、通販番組が始まっていた。テレビで見る通販は高齢者向けの足腰用サポーターか、嘘くさいダイエットサプリのどちらかだし、例のごとく今日も膝のサポーターの話をしていた。なんとも演技の上手そうな白髪の女性が、軽快な足取りで階段を駆け下りている。この女性が元々足が悪かったという証拠がどこにあるのか、馬鹿みたいに「え〜、すごいですねぇ!」と叫ぶ司会者風の男性に問いたくなった。そもそも、そんなサポーター1つで簡単に足の痛みが解決するなら、全国の医療機関が全力で患者に勧めるだろうに。
この手の番組が、そういうところに頭の回らない人を対象にして作られていることくらいは分かるけど。
「美味しい。はららんちゃんって料理上手なんだ」
少し弾んだような北岡さんの声に、どうせ見ていても愚痴しか出てこなさそうなテレビから視線を外した。いつもは1人だから食事中でも気にせずテレビを見ていたけど、ちょっと行儀が悪かったかな。そう思って、誤魔化すように口の中のほうれん草を嚥下した。
「口に合ってよかった。」
その後は食事中に言葉が交わされることがなく、北岡さんは一つ一つを味わうようにゆっくりと食べていた。そこまで丹精込めて作ったわけでもないから少し恥ずかしい気がしたが、不味くはないらしいから気にしないことにした。
私が自分の分を食べ終わって洗い物を始めようと、使った調理器具に水を貯めていると、北岡さんも食べ終わったようで、食器をシンクまで持ってきた。
「ごちそうさま。ほんとに美味しかった。」
「お粗末さま。味付けの好みとか合わなかったらどうしようかと思ったけど、大丈夫そうでよかった」
「んふふ。」
そういうキャラではなかったと記憶しているけど、頭のいい北岡さんのことだ、大人になった以上はお世辞を言うこともあるだろう。でも、会っていきなり「ダメじゃんね」なんて言ってきたくらいだし、私相手にチマチマしたお世辞は言わないか。ここは言葉通り、美味しいと思ってもらえたということにしておこう。
油汚れを拭き取り、スポンジを水で濡らしたところで、北岡さんがなぜかキッチンから離れないでいることに気づいた。
「どうしたの?」
「私、料理はできないからお皿くらい洗うよ」
「…いいの?」
「うん。」
思わぬ申し出に驚いたけど、まだ洗剤をつけていないスポンジを北岡さんに渡して、濡れた手をタオルで拭いた。洗い物が大好き、とかいうわけでもないから、北岡さんの申し出はありがたいものだ。でも、果たして料理をしない人に洗い物ができるのか、という不安があったので、横で見守ることにした。
実際、慣れていないことが見ていてわかる手つきだったから、安物の食器だから構わないとはいえ一つくらい手を滑らせて落としそうだと思った。実際は一つも落とさなかったけれど。でも、私より15ほど下の従姉妹が意気揚々と叔母の食器洗いを手伝っていた時の方が、手際はずっと良かったように思う。それを口に出して言ったりはしないけど。
全て洗い切った北岡さんは、ふう、と息を吐いた。
「落とすかと思った。人の家の食器だと緊張するね」
「自分でも不安だったんだ。でも、安物ばっかりだから落としても大丈夫だよ。」
「ええ、ダメだよ。食器割るとびっくりするじゃん。なんかショック受けるし」
「確かにびっくりするけど、気にしなくていいからね」
そう言うと、北岡さんは少し口を尖らせて「私は割らないよ」と言った。
他人につけるあだ名といい、何か特定のものへのこだわりが強いタイプなのかもしれないとは何となく予想がついていたし、その時は食器を大事にしたいタイプなのか思ったけど、その後も居候生活を続けるうち、どうやら北岡さんは何であれ物を大事にするタイプらしいことが分かった。
作りすぎたおかずを食べきれずに仕方なく捨てようとしたら、絶対食べるから絶対捨てないでと言われた。
もう5年以上は履いている靴下にとうとう穴が開いたので捨てようとしたら、そのくらいの穴なら縫って直すべきだと言われた。もう古いものだから、買い替えにちょうどいいんだと説明しても、北岡さんは折れなかった。それどころか、「面倒なら私が縫ってあげるから」とまで言った。
水を出しっぱなしにするところは一度も見なかったし、部屋の電気はこまめに消していた。私がシンクで水を出しっぱなしにしていた時は、軽いお説教をされてしまった。
これはなかなか筋金入りなんだなあ、と思って、倹約家なのかと聞くと、驚いた顔で「そんなことはないと思うけど」と返された。私が酷い無頓着なのかもしれないと思ったが、北岡さんが来る前の毎月の水道代や電気代は世間の平均を少し下回っているくらいだったから、どうやら北岡さんは無自覚な倹約家であるらしい。賃貸ですらない住み込みなら、そういうところには自分でも気づかないうちに厳しくなるものなのかもしれないと思ったけど、それだけの管理能力があるなら無職になった時点で実家を頼るという手は無かったのだろうか。でも北岡さんのことだ、実家に関して何か暗い事情があっても周りに悟られないように振る舞うことくらい何でもないのかもしれないし、北岡さんの中に何かプライドのようなものがあって帰省はしないでいるのかもしれない。
まあ、家庭的な事情が北岡さんのホームレス状態の原因なのだとすれば、私にできることなんて居候させてあげる以外には何も無いだろう。
ダブルクリップの約束 福基紺 @Naybe_Lemon
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