第8話 帝国の事情
リドルグラシア帝国には、第一皇子のランドルフとその妹に皇太女のクロエがいる。
ランドルフは宵闇に星々の煌めきのように銀光が散りばめられた髪と瞳をしているが、クロエは漆黒の闇を切り取ったように艶やかなどこまでも深い黒髪黒瞳をしている。
だが、二人共、その瞳の虹彩は時折その色と形を変える。
これは、皇帝一族の血による特別なものだった。
時の巻き戻りに気が付いていた皇帝や皇妃達により、神聖国に聖女が二代に渡り顕現すると考えていた帝国は、神聖国の側妃となった聖女が身籠った時、生まれてくる子であるレオナルドを貰い受ける旨の親書を送らなかった。元々、必要以上には神聖国に干渉しない帝国に対して、「何故なのか」との疑問を帝国に伝えてくる事も無く、帝国側も、神聖国は巻き戻りを理解していると考えていた。
そもそも、帝国側は、神聖国への干渉を神との誓約によって固く禁じられていた。
----さて。
それぞれのあてがわれた部屋のある塔の説明や、今夜の歓迎の夜会等の予定は伝え終えた。ちらちらとこちらを伺う皇帝(親父殿)の気配から、お前が確認しろよとのプレッシャーもどっしりと感じている。皇帝であるとの立場から、父皇は下手に神聖国の者と接触出来ない。
此処は、神聖国の第二王子を配偶者として戴く、皇太女たるクロエが動くしか無い。
----誰を捕まえて訊こうか。
扇子で口元を隠しながら、各自の部屋への案内について行こうとしている面々を吟味する。
リュカと名乗ったフィオナ。
素知らぬ顔でその側に立つ、本来なら王太子の護衛騎士だった筈のウィリアム。
そんなフィオナとウィリアムを従えるレオナルド王子。
その他、侍従も騎士達も、少なくともフィオナがリュカでない事は、神聖国の者ならわかっている筈だ。
ぱちんと扇子を閉じて、クロエは一歩足を踏み出した。
「レオナルド様。少し護衛騎士の……リュカ?様とお話しをしたいのですが、よろしくて?」
随分とこちらを伺っているなと感じていたが、果たして、皇太女が声をかけて来た。
「……私の護衛騎士が、どうかしましたか?」
平静を装いつつも不安の色を隠せないレオナルドに、クロエは安心させるように微笑んだ。
「リュカ?様を、少しお借りしたいのです。そろそろ私も答え合わせをしたいので。夜会までにはお返しします」
帝国の皇帝一族は、先祖に竜の血の流れを汲むと聞いていたが、長い睫毛に縁取られた美しい形の瞳は、瞳孔が小さく縦に割れ、漆黒の中にも輝く七色の光を放つという、不思議な虹彩をしていた。初めて見た瞳に、レオナルドはごくりと唾をのんだ。
「レオナルド殿下。少しお側を離れますが、よろしいでしょうか」
何か用があるらしい。話がしたいとの意図を感じ、フィオナはレオナルドに許可を求めた。先程の、名前の呼び方が不自然な事も気になる。
「……ウィリアム。リュカについて行ってあげて」
レオナルドの言葉に、フィオナとウィリアムが驚く。
「それは出来ません。レオナルド殿下をお一人にはできません」
ウィリアムの当然の返しに、レオナルドはぐっと言葉に詰まる。フィオナも、心の中では、ウィリアムの言葉に頷く。
「すぐにお側に戻ります。此処はもう皇城の中なのですから、あまりご心配召されませんように」
レオナルドに言い聞かせるように、フィオナは微笑んで側を辞す礼をした。
その様子を確認したクロエは、フィオナについて来るように言って、先に歩き出した。
二人を見送りつつ、レオナルドは案内人について用意されている部屋へとウィリアムと移動を始めた。
「あなたの神聖力の気配と、ウィリアム様の神聖力の気配は、大分違いますのね。神聖国の中でも、あなたの神聖力は異色なのではなくて?」
長い廊下を歩きながら、クロエがフィオナに疑問を投げかけた。祖国でもたまに訊かれた内容に、フィオナは微笑んだ。
「よく言われました。大抵の我が国の神聖力を持つ者の力の気配と私の力の気配は違うと。私はかなりの力を幼い頃に失いましたので、最近では言われなくなりましたが。皇女様はよく、私の微々たる力の気配がわかりましたね」
神聖力の気配の違いは、神聖力を持つ者の中でも余程強い力を持ち、力の動きに敏感な者にしかわからない。溢れる程の力を持っていたリュカならまだしも、フィオナのささやかな力なら、感じ取る事だけでも難しい筈だった。ましてや、その種類に言及されるとは。
リュカが巨大な神聖力の持ち主であることは、他国にも広く知られている事だった。神聖力自体がほぼ神聖国独自の力である事から、力の有無でリュカとフィオナの違いを見抜かれる事は無いと考えていたが。
「……いつからお気付きになられていたのですか?」
腹を括って訊ねると、
「いつからかと訊かれると、返答に困るのですが……。あえてこたえるなら、『初めから』でしょうか」
後宮の奥に位置する部屋は、皇女の自室と思われた。
ダークブラウンの艶光りする豪華な扉の前には侍女が二人と騎士が一人立ち、皇女の姿を認めると無言で扉を開いた。フィオナはその様子を見つめながら、先程の皇女の言葉を反芻する。
----『初めから』
では、皇城の門をくぐったあたりからだろうか。
皇城の門をくぐったあたりなら、フィオナにもひとつ気にかかる事があった。
城が近づくにつれ、そして敷地内に入り、城に入ってからはさらに、ひどく懐かしい気配がするのだ。
だが、それはハドクリート伯爵家で感じていた気配というわけでは無かった。何の気配かは分からない。しかし、それを懐かしむ自分に、フィオナは戸惑っていた。
「こちらにも制約が多く、何処から話して良いのかが難しいのですが……」
云い難そうに言い、皇女がフィオナに長椅子を勧めて座らせた。
「制約とは?」
「…………創国の際に神と帝国の始祖が決められた誓約の事です。神聖国にもあるのでは?」
確かに、ある。
神聖国と帝国以外の国にも神との誓約があると聞くが、最古の国である神聖国には、神からの強固な誓約がいくつか存在した。『一度神聖国から帝国に籍を移したら、二度と神聖国には帰れない』などは、その内の一つだ。
だが、今の皇女の言葉では。
「帝国側から、神聖国に知らせてはならない話があるのですか?」
訊ける内容と訊けない内容があると言うことは、そういう事なのでは。
真っ直ぐに向けられた深い紫の瞳を受けて、僅かに縦に割れていたクロエの瞳は次の瞬間には縦に更に大きく割れた。
「あなたは兄であるリュカ様の名で帝国へと来ましたが、妹の……フィオナ様です。何か不足の事態が起きての事だとは推測出来ますが、神聖国側としては、あなたを帝国に置いておくつもりは無いのではないかと考えていますが、如何ですか?」
此処までは、あっていますか?
皇女の問いに、フィオナは、先程の問いにも、帝国側からは答えられないのだと理解した。
「……半分はあっています。私はリュカ・ハドクリートではなく、フィオナ・ハドクリートです。先にお送りした名簿に沿うように、レオナルド殿下の護衛騎士として参加しました。国益に関わる為、詳しくは私からは言えませんが、リュカが事情……により同行出来なくなり、私が替わりに来ました」
極力顔色に出さないように努めて。
「私の処遇については、流動的といいますか、リュカが来れなくなった事情が解決次第で決まると思われます」
「では、ウィリアム様の処遇もそれに準ずるのですね?」
理解が早い。
フィオナが帝国に残れば、ウィリアムが神聖国に帰り、フィオナが神聖国に帰ることになれば、ウィリアムが帝国に残るということかと。
「おおよそ、そのようなかたちで考えております」
「つまり、今のところ帝国に留まる事が決まっているのは、レオナルド様だけなのですね?」
的確な指摘に、フィオナは頷いた。
皇女クロエは、リュカが来れなくなった事情を訊かなかった。フィオナがぼかして説明した為『言えない内容』と判断したのか、それとも知っていたのか。
確認した事を吟味するように黙り込んだ皇女を見つめて、フィオナも考えた。
かつてレオナルドの騎士になりたいと考えた理由は、ここにもあった。
帝国神聖国間についての神からの誓約は特に厳しく、代々帝国に娶られた王子、王女達は祖国に手紙を出す事も許されなかった。帝国に虐げられているのでは無いかと訝しむ者もいたが、祭典などで皇城を訪れた際には元気な姿を確認できる事から、神との誓約のために連絡が取れないだけで、帝国からの圧力は無いと判断されている。
だが、大事な幼馴染がたった一人で遠い国に行かねばならず、二度と父母に会う事も、手紙を書く事も、祖国の地を踏む事も出来ないと知った時。感じた余りの絶望に、フィオナは涙が止まらなかった。
私だけでも、レオナルドの側にいてあげたい。
そう言ったフィオナに、リュカが、『じゃあ、フィオナが好きな絵本に出てくる騎士なら、レオナルドの側にずっと一緒にいてられるんじゃないかな』と、教えてくれたのだ。『騎士になりたいなら、僕が手伝おう』
そうやって、フィオナは騎士になった。
はたと、気がつく。
『この誓約は、一体誰の為のものなのか』と。
帝国に一度籍を置いた者は、神聖国には帰らせない。
とは、どういう意味なのか。
「リュカ様の事情は、結果だけは把握出来ています。名簿にこだわった理由は分かりませんが、事無きを得るためならば、あなた方は双子なので、理解はしましょう」
結果だけは、把握出来ていると、言い切った。
リュカが死んだ事を、知っているのだ。
「……何故把握出来ているのか、おききしても?」
フィオナの深い紫の瞳に宿る光が幾分暗くなった事を受けて、皇女は困ったように首を振った。
「信じていただけるかはお任せしますが、わたくし達帝国の所為では無いとだけ、お伝えしましょう」
リュカが死んだ事は知っているが、その死には関わっていないと。
「神聖国と帝国は神による誓約により、内情は知られてはいない筈。ましてや、国内の貴族にも知らせていない内容を知っていながら、関わっていないとは。俄には信じ難いお話しですね」
リュカの死は未だ伏せられている。あの出来事に関わった者達には全て緘口令をしき、リュカは何事も無く帝国に旅立った事になっている。
----やはり、帝国の手の者だったのか?
帝国と神聖国の繋がりは不思議だ。
明らかに強大な帝国は、しかし、神聖国の聖女が産む子の性別に合わせて後継者を選ぶのだ。聖女が女の子を産んだなら、その子を娶る事が出来るように皇太子を立て、聖女が男の子を産んだなら、皇太女を立てる。今回クロエが第一子である兄がいながら後継である皇太女となったのも、神聖国にレオナルドが生まれたからだった。
兄である第一皇子ランドルフを後継にのぞむ者が、レオナルドを亡き者にしようとしたのでは。
神聖国で秘密裏に開かれた話し合いでも、持ち上がった話だった。
フィオナの言葉を受けて、皇女クロエは苦笑した。
「信じて頂けないのであれば、それはそれで仕方がありません。ただ、わたくし達は、リュカ様の死を知る方法を、あなた方が想像だにしないであろうかたちで持ち合わせているのです」
リュカの死を、口にした。
「ただ、神聖国の方がわたくし達に話す内容には制約がございませんが、わたくし達帝国側から話す内容には神からの制約があり、内容によっては、聞かせてしまうと、貴女を帝国から返せなくなってしまうのです。ですからどうか、今日のお話しはここまでにしましょう」
そう言って、皇女は向かいの椅子から優雅な所作で立ち上がった。
「皇女様のおっしゃっていた答え合わせは、出来たのでしょうか?」
皇女が決めた事に口は挟めない。
共に立ち上がりながら、フィオナは皇女の肩からさらりと流れ落ちる長い黒髪を見つめた。
フィオナの言葉に、皇女は綺麗に微笑み、首を傾げた。
「侍女に案内をさせますわ。お疲れのところご足労頂き感謝します。後ほど夜会で」
これも、答えられないらしい。
部屋を辞する礼を取り、フィオナは扉が閉まる音を聞いてから頭を上げた。
「皇太女様の御皇配様の護衛騎士様、どうぞこちらへ」
案内に進み出てくれた侍女について、フィオナは後宮から出て、客室のある塔へ来た。
フィオナに用意された部屋はレオナルドの部屋の中の騎士控え室で、ウィリアムの控室とはレオナルドの主寝室と応接間を挟んで反対側だった。
王族を招く時には、その部屋に侍女や護衛騎士が控える部屋もついていて、レオナルドの部屋はそのような作りの部屋だった。
「どんな話をしたの?」
開口一番、レオナルドの質問に、フィオナは苦笑して騎士服を脱ぐ為に襟元に手を掛けた。
「まず、私がフィオナである事を、皇女様はご存知でした」
レオナルドとウィリアムは一瞬目を合わせ、フィオナを見た。
「それで? 皇女様自身がリュカとフィオナの姿を見分けたのか、帝国側が既にリュカの死を知っていたのか」
ウィリアムの言葉に、フィオナは首を横に振った。
ボタンとフォックを外して謁見用の騎士服を脱いだフィオナは、用意していた式典用の騎士服を手に取った。本来なら下に着るシャツも着替えるのだが、夜会までにはもう時間が無かった。立襟のフロックコート型の式服の上、首元にはスカーフを巻く予定なので、シャツが見える事は無い筈だ。
「そのどちらでもありませんでした。私の神聖力が少ない事から、私はリュカでは無いだろうと」
「神聖力の違いでわかったって言うの? 竜の子孫ってすごいんだね」
僕ならわからないやと、レオナルドは感嘆の声を上げ、ウィリアムは考え込むように俯いた。
「しかし、リュカの死は知られていました。ただ、その死に帝国は関与しておらず、『リュカの死を知る方法』があったと」
「『リュカの死を知る方法』だと?」
そんな話が信じられるかと、ウィリアムは呟き、再び黙り込む。
フィオナも、今更ながらその違和感に気付く。
『リュカの死を知る方法』
私達が思いもよらないモノだと言ったが、何故、『リュカの死』なのか?
リュカは双子のフィオナと同じく生まれも育ちも神聖国で、帝国との繋がりなど無い筈だ。これではまるで。
「狙われたのは僕では無くリュカだったみたいだ」
真横から聞こえた声に、フィオナがびくりと振り向く。
「いや? リュカだったから分かったって事? 僕が死んでたら、発表されなかったら帝国側はわからなかったんじゃない?」
帝国にとってのリュカの存在が、皇配として嫁いで来るレオナルドよりも重要だったようにも聞こえる。
「……神との誓約のため、神聖国に帰る予定の者には話せない内容があるようです。私達が認識している、ただ単に『籍を移せば帰れない』のではなく、『聞いてはいけない内容を知ってしまったら帰せない』という事のようです」
「……それなら、納得がいく。過去に何人か、帰る予定だった者が転籍されて帰国出来なかった者がいると記録されていた。彼らは帝国に居座るつもりは無かったのに、『知ってはいけない事』を知ってしまい、帰せなくなってしまったのだろう」
そんな記録は見た事が無かった。ウィリアムに訊くと、王族だけが閲覧出来る部屋にあり、表向きは初めから帝国に籍を移す予定だった事にされたらしい。レオナルドもその記録については知っていた。
そういえば、言えないそぶりを見せていたのに、皇女クロエは一つだけ、答えをくれていた。
『ただ、神聖国の方がわたくし達に話す内容には制約がございませんが、わたくし達帝国側から話す内容には神からの制約があり、内容によっては、聞かせてしまうと、貴女を帝国から帰せなくなってしまうのです。ですからどうか、今日のお話しはここまでにしましょう』
神聖国側から話す事には、制約が無い?
「私達が帝国側の方々に話す分には、何を話しても転籍事由にはならない…?」
話せない内容があるのかと聞いた時には沈黙したのに、あれだけはっきりと帰せなくなると言ったのは何故か。
この誓約は、誰のためのものなのか?
「誓約とは神からの戒めであり、守るのは、神の怒りに触れぬため。どうやら、神は相当、帝国に神聖国に対して口止めを強いたいコトがあるらしい」
ウィリアムがにやりと片頬を上げて笑った。
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