第6話 入れ代わり

 襲撃を受けてから半月後。

 何事も無かった様に、レオナルドは自らの護衛騎士を引き連れてリドルグラシア帝国へと出立した。

 先に出した名簿には無かったウィリアム・キンバリー卿が次席護衛騎士として加えられた他には大きな変化は無く、予定通りの行程だった。

 ただ、王宮内では、エドワード王太子の次席護衛騎士だったフィオナ・ハドクリート卿が体調不良の為に長い休養を取る事になり、今回主席護衛騎士であるウィリアム・キンバリー卿もレオナルド第二王子の婚姻について王国を後にする事になった為、新たに護衛騎士を選抜する事になっていた。決まるまで、暫くの間は、国王直属の騎士が持ち回りで王太子の護衛にあたることになる。

 ハドクリート伯爵家の『麗しき双紫珠』の二人ともが姿を消してしまい、王国の貴族達は『社交界が二つもの至宝を失った』と嘆いたが、ハドクリート伯爵夫妻が茶会やパーティーにフィオナの弟や妹を連れ出す様になると、美しい天使が再び社交界に舞い降りたと喜んだ。

 帝国への旅程は馬車、騎乗の他に徒歩侍従もいた為、凡そ1ヶ月の予定が組まれていた。国境沿いの山脈を渡る際には野営も予定しているが、今のところ特に魔物に襲われるような事もなく、寛いで旅程を楽しむ余裕すらあった。多くの者達は、帝国へレオナルドを送り届けた後、直ぐにまた王国へと帰路に着く事になる。主席護衛騎士はレオナルドと共に帝国へ付き添い、表向き、今後も帝国に住まう予定だが、ウィリアム・キンバリー次席護衛騎士については、未だ処遇は未定だった。

 レオナルドの帝国での地位を見届けた後、帰国か帰化が決まる事になっていた。

 日が暮れて来て、次の街までは着かないだろうとの見通しを立て、隊は野営の準備を始めていた。

「ハドクリート卿。疲れただろう。卿は少し休むといい」

 テントを張る為の杭を打っていたフィオナに声を掛けたのは、今回急遽隊に加わったウィリアムだった。

「キンバリー卿」

 フィオナの持っていたハンマーを受け取りながら、持って来た、温かないい香りのお茶の入ったマグカップを渡してくる。強引に受け渡しされ、フィオナは溜息混じりに礼を言った。

「ありがとう」

「やはり、力仕事には向かないな」

 フィオナが打ちかけていた杭をモノの2発で打ち終わらせたウィリアムの言葉に、フィオナは眉間に皺を寄せた。

「やはり、とは、聞き捨てならないですね。私はそんなに仕事が出来なさそうですか?」

 毛を逆立てた猫の様なフィオナに、ウィリアムは苦笑した。

「いや。気を悪くしたなら、謝る。以前、エドワード殿下が、ハドクリート卿には力仕事はさせるなと言っていた事があって」

 突然出て来た王太子の名に、フィオナは口を閉じた。

「何故かと訊いたら、アイツの良さは身軽な身体能力と素早い剣捌きであって、力仕事をさせて筋や筋を痛めてしまったらお前の騎士としての価値が下がると」

 王太子とそんな話をしていたのかと、フィオナは黙って耳を傾けた。

「エドワード殿下は、騎士一人一人をよく見ていらっしゃる。私は交渉の場に立たせると、優位に話を進め易いらしい。理由は……」

「強面で、相手をビビらせる事が出来るから。兄上が良く自慢していました」

 馬車から降りたレオナルドが、話に加わった。

「ハドクリート卿は優男だから、相手から舐められる。主席護衛騎士には向かないとも」

 実力は伴っているが、確かに兄は優しそうに見えた。護衛騎士は、強そうに見える事も必要なのかも知れない。

 ウィリアムは、決して怖がらせるだけの強面では無い。美しく整った顔が、少しキツめの印象を与えるだけだ。

「兄(リュカ)は、気に入らない相手には持ち前の神聖力で威圧をかける様な人だったから」

 舐められたこともあったのだろう。だから、舐められ無い様に、威圧等の手管を覚えたのだ。

 半月前(あのあと)。

 国王陛下の沙汰があり、フィオナはリュカとしてレオナルドについてリドルグラシア帝国への隊に加わる事になった。

 エドワード王太子は反対したらしいが、一度出した名簿の、第二王子にとって誰よりも信頼の篤い筈の主席護衛騎士が、直前に変更になるのはいかにも不自然であり、説明を求められた際に言い逃れが難しいとの理由からだった。神聖国側としては、何事もなくこの輿入れを進めたくあり、トラブルがあったと気づかれたく無かった。

 国内に第二王子を排斥したい貴族がいる訳では無い筈なので、今回の襲撃は帝国側の問題が絡んでいるのではないかとの見方もあるが、まだはっきりした事はわからない。何せ、まだあれから半月と少ししか経っていないのだから。

「ありがとうございます」

 二人が、リュカの話題を出すことに気を遣ってくれていたのが、分かった。

 あれから皆、不自然に、リュカの話題は避けていた。ある意味当然の行為だが、いつまでも避けるわけにもいかない。それに、避け続けることは、フィオナにとっても寂しかった。

「まぁ。いずれは相手方にも分かる事だろうが。輿入れまでは、表向き問題無く済ませたいとの事だし」

 ウィリアムががしがしとフィオナの銀髪の頭をかき混ぜた。

「双子だし、初めて見た人なら、フィオナかリュカかなんて分からないよ。僕たちなら、ずっと一緒だったからわかるけど」

 リュカと紹介されたら、帝国では、フィオナはリュカだよ。

 レオナルドは、親しい間柄の人間に囲まれると、一人称が『僕』になる。

 近く、違う身分で自己紹介をしなければならないフィオナの後ろめたさを、解してくれようとしているのか。帝国との国交問題に発展してしまう案件であり、フィオナ自身は仕方がない嘘だと考えているので、あまり気にはしていないが。

「本当は、レオナルド殿下について、リュカと来たかった」

 幼馴染3人なら、きっと他国に骨を埋めることになろうとも、楽しく生きて行けると。

 生まれた時から帝国に娶られる事が決まっていたレオナルドに、兄妹でついていってあげるのだと。きっと、どきどきは3倍、寂しさは3分の1で。

「それは、私は邪魔だと……」

 わざとらしく傷付いた顔をするウィリアムに、フィオナは苦笑した。

「貴方は、元々王太子の主席護衛騎士だったじゃないか。レオナルドは私達の大切な幼馴染だったし、一人で帝国へ行く事が生まれた時から決まっていた。それなら、私達が共に側にいれるようになろうと」


----決めたのは、私だった。


 フィオナは、はたと気が付いた。

 フィオナの決めた目標に、リュカはそれならばと力を貸してくれた。

 分からないことは無いかと。

 行き詰まっていないかと。

 出来ない事は無いかと。

 常に見守り、寄り添ってくれた。

「フィオナっ……」

 ぱたぱたのこぼれ落ちた涙に、レオナルドが驚いた様にフィオナの頭をその胸に抱き込んだ。

「皆いるから」

 野営の準備に忙しく動き回っている周囲の人間達からフィオナを隠す様に、レオナルドとウィリアムが身体をずらした。

 泣いているフィオナが、他の人間に見えないように。

「リュカは、私が決めたから騎士になっただけだった。リュカが騎士になりたかった訳ではなかったのに」

 生命を掛けて、王族を守る。

 その道を選んだのは、私だった。

 リュカは、私が選んだ道を導く為に、巻き込まれただけだった。

 騎士に憧れたのも、なりたいと思ったのも、それを目標にして努力を重ねたいと思ったのも。

 みんなみんな、フィオナだった。

「わたしのせいだ」


 わたしのせいで、リュカが死んだ。


「違うよ、フィオナ。リュカは、フィオナがいたから、何者かになれたと言ってたよ」

 優しく抱き締めながら、フィオナの耳元でレオナルドが囁いた。

「フィオナが僕の護衛騎士になれなかった時、リュカに聞いたんだ。リュカは、フィオナと一緒が良かったよねって。でも、リュカはそれは違うって。側にいれたらそれはそれでリュカ自身は嬉しかっただろうけど、リュカは、フィオナが叶えたい願いを叶える為に側にいるのだから、これでいいんだって」

 はっと、フィオナはレオナルドの幾分高い位置にある晴れ渡った青空色の瞳を見上げた。

「僕の護衛になれなかったフィオナのかわりに僕を守れるのだから、こんなに嬉しいことは無いって」

 レオナルドの目にも、いっぱいに涙が溜まっていた。

 フィオナの守りたかったレオナルドを、フィオナのかわりに守れるのだから。


『全てが、お前の望む結果になりますように』


 あの夜。

 リュカがフィオナに囁いた言葉。


 あの時、フィオナに囁いた言葉は、リュカが今まで生きてきた人生の中で、リュカの思いの全てをあらわした言葉だったのかも知れない。


 何故、そこまで。


 あの夜、あの時。

 既に、リュカは何かを感じ取っていたのか。

 まるで、永遠に別れる事がわかっていたかのように、リュカだけがフィオナに別れの挨拶を済ませていた。


----私が守りたかったレオナルドを、リュカが守ってくれた。そして、リュカから私に託されたのだ。これからは、私が守れと。


「取り乱してしまってごめんなさい。もう大丈夫だから」

 レオナルドの胸から離してもらおうと胸を押しやるが、がっしりと抱き込まれたまま動けない。

「レオナルド殿下?」

「…………」

「……フィオナ。今度は殿下が泣き止めなくなったようだから、暫くはお前が泣いていて、殿下がお前を慰めてるいるフリをしてやれ」

 言いにくそうに教えてくれるウィリアムに、フィオナも苦笑する。

 リュカの存在は、フィオナにとって、この上なく大きい。

 同じように感じて一緒に泣いてくれるレオナルドは、フィオナにとって得難い存在だった。

「これからは、私がレオナルドを守るからね」

 リュカが守ってくれたレオナルド。今まで沢山の時間を三人で過ごして来た、大切な幼馴染。

「だから、今は私が泣いてる事にしといてあげる」

「……初めはフィオナが泣いてたのを僕が隠してあげてたのに………」

「ありがとう」

 背に回した手で、背中をポンポンと叩いた。いつの間にか、レオナルドもフィオナより頭ひとつ分は十分に背が高くなっている。

 リュカも、本当ならもっと背が高くなったに違いない。

----でも、もうその高さを見ることは出来ない。 

「絶対、守るから」


 私の為にリュカが守ってくれたレオナルドを、今度は私が守るのだ。


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