第3話 二人の王子

 柔らかな日差しの中、中庭に手を繋いで足を踏み入れたリュカとフィオナは、ぱたぱたと駆け寄ってくる足音に視線を向けた。

「お父さまとのお話はおわったの?」

 頬を紅潮させて駆け寄ってきたのは、この国の第二王子であり、リュカとフィオナとは同い年であるレオナルドだ。国王陛下が指示したのは中庭の四阿だったが、待ち切れずに迎えに来てくれたようだ。

「もう熱は大丈夫?」

 レオナルドは同い年とはいえ少し小柄な為、リュカとフィオナの深い紫の瞳を、心配そうに少し下から見上げた。その澄んだ空色の瞳に、フィオナはにっこりと笑みを返した。

「大丈夫よ。心配してくれてありがとう。前に言ってた騎士様の絵本って、今日は見せて貰える?」

 フィオナの疑問に、レオナルドは「あっ」と口に手を当てた。

「お部屋に忘れてきちゃった! だって、侍従のパウロが急かすからっ」

 慌てた様子のレオナルドに、リュカがフィオナの肩をとんと優しく押した。

「リージガルド妃様とテレアーゼ妃様には僕が言っておくから、今からレオナルド様のお部屋に行っておいで。その代わり、絵本を見つけたら直ぐに四阿に戻って来るんだよ」

「わかったわ。ありがとうお兄様」

 にっこりと笑顔で手を振って、フィオナとレオナルドは走って行った。

「……王宮内は走ってはいけないと言い忘れたな」

 いつも来る度に言われている筈だが、忘れてしまったらしい。

「なかなか来ないと思ったら。フィオナはレオナルドと何か用事ができたのか?」

 背後からの声に、リュカは顔に笑顔を貼り付けた。

「……これは王太子殿下。お久しぶりです」

「可愛げのない7歳児だな。つい先日まではエドワードと呼んでいたのに。熱を出して忘れてしまったか?」

 冗談めかしたエドワードの言葉は、しかし、その目は笑っていない。

「年相応に立場を自覚しただけです。正妃様と側妃様が四阿にいらっしゃると聞いています。殿下までこちらに来られたのでは、心配をかけてしまいます。フィオナとレオナルドが帰って来るまで、四阿で待ちましょう」

 促して向かおうとするが。

「どうやってフィオナの覚醒を阻止したのだ」

 ぼかす事も隠す事もない直球の質問に、しかしリュカは振り返りもしない。

「……質問の意図がわかりかねます」

 四阿へは少し距離がある。

 レオナルドについて来ていた侍従は部屋へ行く二人について行った。エドワードは誰も付き従えていなかったから、今は二人だけだった。否。恐らくは、わざと誰も連れてこなかったのだ。この話をする為に。

「本来なら、フィオナは7歳になる儀式で聖女として覚醒する筈だった。なのに、神聖力の大半を失い、覚醒もしなかったと聞く。聖女となり、私の側妃になるはずだったのに。『お前』が、関わっていると考える方が自然だろう?」

 四阿が近づくにつれ、二人の妃の和やかな話し声や笑い声が聞こえて来る。だが、直ぐ近くにいながら、エドワードとリュカの周囲の温度はまるで冬のように低かった。

 険しい表情のエドワードは、リュカを……4つも歳下のハドクリート伯爵令息を苛立たしげに睨みつけた。

 振り返り、その剣呑な眼差しを見上げて受け、リュカはにこりと微笑んだ。

「あれだけの事象が揃い、前例が無かったとしても、結果が全てかと存じます」

 期待が外れたからと、責任を押し付けられても困ります。

 大凡7歳の口調からは遠く離れた受け答えに、エドワードはさらに言い募ろうとする。が、

「まぁ! エドワード。リュカを迎えに行ってくれたのね。それにしても、先に迎えに行ったレオナルドは何処に行ってしまったのかしら」

「それにフィオナは何処なの? 今日は『ハドクリート伯爵家の双紫珠』が二人とも来ると伺っていたのだけれど。もしかして病み上がりで疲れてしまって先に帰ってしまったのかしら?」

 妃達の声に、口を閉じる。

「リージガルド妃様、テレアーゼ妃様。お久しぶりでございます。フィオナがレオナルド様のお持ちの絵本を見せて欲しいとせがみ、今はレオナルド様のお部屋へ二人で行きました。すぐに戻って来るように言いましたので、間も無くこちらへ戻って来るでしょう」

 すらすらと述べるリュカに、二人の妃は微笑ましげに目を細めた。

「さすがはセリーナ様のお子。麗しい見目だけで無く7歳にして所作に気品がありますわ」

 リージガルド正妃は、元々は北に領地を持つフリュールイ公爵家の令嬢で、リュカとフィオナの母親とは令嬢の頃からの旧友だった。

「まあ、リージガルド様。エドワード様も、『神ラフガルドの写し身』と評される程の輝く美貌と素晴らしい頭脳をお持ちですのに。リージガルド様を含めて、わたくし、今日は本当に目の保養ですのよ?」

 うふふと微笑む聖女テレアーゼ妃に、リージガルド妃もその華奢な両手で華奢な両手を包み込んだ。

「今日はフィオナとレオナルドの幼な可愛さも含めてのフルコースですものね。リュカの可愛さが急に大人っぽさに片足を入れてしまって驚きましたけれど」

「お腹いっぱいになりそうですね」

「暫く幸せに過ごせそうですね」

 仲良さげな二人の会話についてゆけず、リュカは苦笑してエドワードを見た。

----いつも大変そうですね。

 そう、その目には浮かんでいて。

 エドワードは

----うるさい。

という顔をした。

 エドワードが不機嫌になるのは、わかる。

 リュカは、国王陛下から二人の妃と二人の王子が四阿にいると聞いた時から、フィオナを何とか連れて行かないようには出来ないかと考えていた。中庭に向かう途中、フィオナにリュカはこう囁いた。

『そう言えば、前に騎士の絵本を見せて欲しいとレオナルド殿下に言っていたね。あれはもう見せてもらったのかい?』

 リュカとフィオナは大抵一緒に王宮に呼ばれる。リュカの記憶が確かなら、フィオナはあの時の約束の絵本を、まだ見せて貰ってはいない筈だった。フィオナは、何故か小さな頃から騎士に興味を持っていた。騎士の本を読みたがり、特に姫に寄り添う騎士の話を好んだ。だから、過去に、神聖国に生まれた聖女で、当時の王の側妃になり、子を成さなかった妃に死ぬまで寄り添った騎士の絵本に興味を示した。それは、子供に読み聞かせる為に絵本になってはいるが、神聖国で実際にあった実話であった。

 そして、リュカはその騎士の話をよく知っていた。


 そんな騎士が、神聖国には今までに3人もいたことも。


「ただいま戻りました」

 レオナルドの声に4人は振り返り、その後ろの人物に気が付いて全員が席を立った。

「国王陛下」

「ご機嫌よう」

「硬くならずに。席に着きなさい」

 促され、侍従や騎士が、新たに来た国王と伯爵に速やかに椅子を用意した。

「フィオナ。久しぶりだね」

 にこやかにフィオナに声を掛けるエドワードに、リュカは内心眉を顰めながらも、黙って出されたお茶に口をつけた。

「エドワード様、お久しぶりです」

 声をかけられ、フィオナもにっこりと笑みを返す。

 エドワードとフィオナを接触させたく無くて頑張っては見たが、今日はここまでのようだ。早く帰りたい。

 その後、和やかにお茶をして早々に解散になった。国王夫妻の目的は、フィオナが本当に覚醒していないのかを確かめる事だった。

 報告通り、覚醒するどころか神聖力の大半を失ったフィオナを確認し、特に国王は少なからず落胆していた。

----神聖力の気配が変わったことに、国王は気が付いていた。

 リュカの持つ力は純粋な『神聖力』では無くなった。

 本来のリュカの持つ神聖力で上手く覆い隠してはいるが、正確にはリュカの持つ力は『神聖力だけでは無くなった』のだ。

----恐らく、エドワードも気が付いている。だから、あれだけ大胆に追求してきたのだ。


 だが、まだ、その事実を公にするつもりは無い。国王は、気が付きながらもそれを顔には出さなかった。恐らく、暫くは国王から追求されることは無いだろう。エドワードは……。


----何処まで、『今』知っているのか。


 ただ、フィオナが聖女として覚醒する筈だと盲信していただけか。


----私達が生まれたなら、第一王子はアイツの……。


 いつ分かるのか。今生では、わからないのか。わからないままに求めるのか。


----否、分からない筈だ。


 アイツだから、分からなくても、本能的に求めてしまうのかも知れない。


 だが、何故今『こう』なっているのかも、その原因が『私』にはわからない。


----可能性を突き詰めるなら、この現状を起こせるのは。


『こう』出来る人物は、一人しかいない。

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