第2話 双紫珠

 高熱がおさまって10日が経つ頃、ハドクリート伯爵家の『麗しき双紫珠』は、王宮に呼ばれていた。

 兄リュカの神聖力が以前に比べ倍増した事はともかくも、妹フィオナの神聖力が枯渇した事象は、王や四大公爵達が懸念した予想を覆した。

 あからさまでは無かったが、残念そうな表情の王や公爵達に対し、ハドクリート伯爵にとっては、この事は慶事であった。

 双子が生まれた以上、万が一を考えて次の子も既に生まれ、『双紫珠』には1つ下の弟と3つ下の妹がいたが、双子が、懸念された『アレ』でなければ無い方が、親としては良いのだ。

 儀式の前夜の高熱にもしやよもややはりとうとう残念ながら……と腹を括ったが、蓋を開ければ、そうはならなかった。

 伯爵と共に王の執務室に呼ばれたリュカとフィオナは、家庭教師に習ったとおりに美しい挨拶をした。

「二人とも元気になったようで何よりだ」

 7歳になったばかりの麗しくも可愛らしい双子の挨拶に、王も相好を崩す。

 我が子の一人と同い年の双子は、王子の遊び相手として度々王宮に呼ばれ、国主と臣下の身ではあったが、気を置けない仲になっていた。

「ありがとうございます」

 卒なく礼を返す兄に、国王は「おやっ」と片眉を上げた。

「急に大人びたようだ。神聖力も強くなったようだし、伯爵家は安泰だな」

 優しく微笑む国王に、伯爵は苦笑する。

「まだまだこれからではありますが、心強く思っております」

 王族は特に神聖力が強く、又、神聖力の感知にも優れている。国王は幼いリュカの神聖力が噂通りかなり増している事に気が付いていた。そして、妹フィオナの神聖力が、ほとんど感じられなくなっていることも。

「我が国は神聖力を持つ者が生まれやすくはあるが、ある事が誉れでも無く、無い事が恥でもない。あれば他国の魔物を討伐するという役割りを受ける事は出来るが、その分危険も被る。可愛い娘がその様な任を得る事が無くなり、伯爵も安堵していることだろう」

 優しく、柔らかな銀髪の頭を撫でてやれば、フィオナは少し困った様に国王ミカエルの緑の双眸を見上げた。

「王様。私は騎士になりたいと思っています。守りたい友を、兄と共に守れるように。神聖力が無ければ、それは叶わない事なのでしょうか」

 困惑の光を宿す深い紫の瞳に、王と父伯爵は言葉を失う。

 ハドクリート伯爵家は元々武人の家では無い。だが、リュカとフィオナに神聖力がまだ同等にあった時には、二人は共に騎士になろうと約束していた。その為に家庭教師を強請り、簡単ながら稽古も既に始まっていた。兄が始めたから同じ事をしてみたいだけだろうと軽く考えていた父伯爵は、フィオナも騎士になりたいのだと初めて知った。

「フィオナ。それでは、リュカのやりたい事をお前が妨げてしまう事になりかねないよ。お前は女の子なのだから、リュカと同じ道を歩む事はできないんだよ」

 跪いてしっかりとその薄い紫水晶の瞳をフィオナの濃い紫の瞳にあわせて、父伯爵が諭す様に言い聞かせる。すると、不意にリュカが両手を差し出してフィオナの頭をその小さな胸に後ろから抱き込んだ。

「お父様。何故フィオナには私と同じ道を歩めないなどと仰るのですか。私とフィオナはお母様のお腹の中にいるときから一緒でした。フィオナには私の出来る事の全てが出来るでしょう。もし出来ない事があれば、出来るようになるまで、必ず私がフォローします。ですから、このまま稽古も勉強も続けさせて下さい」

 父親の言葉を聞かせないように守るように、リュカは優しくフィオナの耳をその小さな手で塞いだ。

 自分の方を向かせて、こつんと額を合わせる。

「フィオナ。お前は私だけを見ていたら良い」

兄の言葉に、フィオナはにっこりと微笑んだ。

「はい」

「共にいる事に私の神聖力が邪魔になるならば、私も神聖力は使わない事にしよう。これ以上は鍛えず、増えないようにして、お前の側にいれるようにする」

 王を前にして、あまりにも幼く勝手な発言にハドクリート伯爵は顔を青くしたが、国王ミカエルはそんな二人を微笑ましそうに見つめた。

「仲の良い兄妹で、良い事ではないか。まだ『人の子』となって間もないのだから、人の世の世情についてはこれから知っていけば良い。リュカ、フィオナ。是非ともそなた達兄妹の仲間に私の子供達も入れておくれ」

中庭に妻達と子供達を待たせている旨を知らされ、リュカとフィオナは召使いに連れられて王の前を辞した。

「あれは、前からあれ程あの者に執着していたか?」

 二人の姿が見えなくなり、それを見送っていた王が呟くようにハドクリート伯爵に訊く。

「いえ。まぁ、はい。執着はしていましたが、あの熱の後は、さらに強くなったように思います」

 質問に、恥ずかしそうに答える伯爵とは対照的に、先程の穏やかな笑みをおさめて、王は眉を顰めた。

「男女の双子、神聖力、祈りの夜の熱。ここまで揃いながらも……」

今まで、このような事は無かった。

ここまで揃えば、本来ならば。

「陛下。フィオナは今まで持てていた神聖力のほとんどを、あの夜に失いました。たとえ前例が無かったとしても、これが『答え』ではないかと。ましてや、今代は側妃テレアーゼ様もいらっしゃいます」

 期待が大きかっただけに、落胆も深い。だが、これだけは人の意によってどうにかなるものでもない。

「わかっている。わかってはいるのだ。ただ……」

 本当に、違うのか。

 何か見落としてはいないか。

 このまま何も無かったとしてやりすごしても、この先に問題は起こらないだろうかと。

「私としては、惜しい事になったと思ってな。あのまま前例通りに進めば、フィオナは王太子の妃として貰い受ける予定だったのだが」

 思惑を沈めて隠し、王は惜しげに伯爵に視線を向けて嘆息して見せた。伯爵は仄かに笑みをのせて。

「恐れ多いことでございます」

美しい礼をした。

 問題はまだ解決はしていない。

 王太子の許婚は四大公爵の令嬢から、生まれ出でて3年以内には選ばれる。もしも聖女が現れれば、聖女を側妃にすることも国の決まり事として、それらは淡々と進められる国事に過ぎない。ミカエルも又、そうして婚約・結婚をし、聖女が現れた為にテレアーゼを側妃として迎えた。そこに恋愛感情などは無く、国の為の政略結婚であることに疑いも不満も無かった。

 しかし……。

----何故か、エドワードはフィオナに執着している。

 王太子として既に立太子している、ミカエルの第一子エドワードは、フィオナが必ず側妃に入ると信じて疑わなかった。

 生まれて直ぐに、エドワードには四大公爵の一つ、東の広大な領地を治めるエリクセン公爵家のカトリエンヌ嬢との婚約が決まっており、令嬢はいずれ王妃になるべくその教育も始まっている。カトリエンヌ嬢とエドワードも、政略婚約とはいえ、仲は順調に育んでいると見えた。しかし、此度の高熱とフィオナが神聖力をそのほとんどを失った件を聞いた時、エドワードは顔面を蒼白にして取り乱したのだ。一時は医者に鎮静剤を打たせて無理やりに落ち着けさせ、下手な事をさせないように部屋に見張りをつけた程だ。恥となるため、緘口令をしき、ごく身内の王族以外にこの事を知る者はいないが。

 第二子であるレオナルドの遊び相手として双子を度々王宮には招いていたが、エドワードとは歳も4つは違い、それ程時を共にした事は無かった筈だ。たまたま遊びに来ていた時に王宮の庭で会ったり、少しお茶をする機会などはあったかも知れないが。

----それに、レオナルドの事も。

 本来なら、聖女が身籠ると直ぐに帝国から皇妃もしくは皇配としてその子を貰い受ける旨の打診があるはずだったのだが、レオナルドが7歳の儀式を終えて暫く経つまで……。正確には、つい最近まで、その打診が無かったのだ。これは創国以来初めての事で、今まで国防の多くを帝国に頼ってきた神聖国としては由々しき事態であった。いらないのかとこちらから訊くわけにもいかず、この7年は本当にやきもきした。人の子になる儀式を待っていたのか、それとも。

----双子の儀式が終わるのを待った……?

 打診の時期は、丁度双子の熱の後ではあった。

 帝国が、『その可能性』を注視していたか。それとも。

----我が国のおんぶにだっこに嫌気がさしたか。

 全く全てを頼り切っている訳ではないが、帝国の皇帝一族は竜の血を引くからか、皆強豪で知られており、創国から続けられてきた婚姻による血の繋がりも濃い事から、他国に比べて神聖国は帝国に寄り掛かり気味だ。

 どちらが正解かが分からない今。レオナルドを皇配として差し出す事に、一点の不備もあってはならない。

 黙り込んで思考に耽る王の側に静かに控えて、ハドクリート伯爵はふと、子供の笑い声に窓の外へ目をやった。明るい陽の光に、僅かに薄い紫水晶の瞳を細める。

「二人の元気な姿を見られて良かった。引き留めてしまって悪かったな。伯爵も、子供達のところに行ってやるといい」

 はたと、子の声に窓の外に意識を惹かれている事を見てとられ、伯爵は恐縮して礼をした。

「いえ。ご心配をお掛けして、申し訳ありませんでした」

 部屋から辞した伯爵の背中を見送りながら、ミカエルは先程のリュカの姿を思い出す。

元から仲の良い双子ではあった。だが。

「気配が……変わったな」

 確かに力は増えたようだが。


----あれは、本当に『神聖力』だったか?

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