第9話 私が言いたかったこと

「さて」


 指をぽきぽきと鳴らしながら、達道が一歩前に出る。


「ドSを拘束するという近年稀に見る愚行をやっちゃうような、そこのバカ男」


「そのセリフを吐いちゃうことこそが、近年稀に見る愚行なんですけど」


 ウルティアのツッコみを背中に受けながら、達道はタガウスを睨みつける。


「へっ、俺がバカだと?」


 タガウスは達道を睨み返し、うひゃうひゃと腹を抱えて笑いはじめた。


「おかしなことを言うもんだ。俺は天才なんだよ。お前みたいなふざけたクソアホドM男に負けるような人間じゃねぇんだよ」


 その証拠を見せてやる、とにったりとまとわりつくような笑みを浮かべたタガウスは、右手の中指についているリングを顔の横に掲げる。


 そのリングについている紫色の魔石が光ると同時に、彼の足元に魔法陣が浮かび上がった。


「俺をただの商人だと思うなよ。さぁ、俺のポイズンスネークたちよ。あいつらを締め殺せ!」


 三メートルほどの長さの体をくねらせた黒いヘビ――ポイズンスネークが現れた。


 その数、なんと五匹。


 威嚇する口元から生えている鋭い牙からは、どろりとした毒が滴り落ちている。


「この宝玉のおかげで俺は魔物を自由に操ることができるんだ。金さえあれば凶悪な魔物も思うがまま。しかもポイズンスネークはSSランクの凶悪な魔物。お前みたいなクソアホドM男が倒せるような魔物じゃねぇんだよ!」


 タガウスは得意げにポイズンスネークの頭をなでながら。


「金は力だ。お前らに金持ちの俺が負けるはずないんだよ!」


「すみません」


 ウルティアがぴしっと手を上げ、可哀そうなものを見るような目でタガウスを見る。


「タガウスさんと言いましたか? なんか得意げに説明してくれているところ悪いんですけど、達道さんはなんにも聞いちゃいませんよ」


「……はっ?」


「だって達道さんは、あなたの『クソアホドM男』という言葉に興奮して、話どころではなくなっていますから」


「なにっ」


 タガウスが達道を見ると……たしかに達道は頬を上気させ、身をよじらせるほど興奮していた。


「んんっ……この糾弾もたまらんたまらんっ!」


「貴様らぁ……」


 タガウスの顔が真っ赤に染まる。


「どこまで俺をコケにすれば気がすむんだ! 殺れ! ポイズンスネークどもっ!」


 タガウスがポイズンスネークに指示を飛ばすと、ポイズンスネークたちが一斉に動き出す。


「達道さんっ!」


 牢屋の中にいるサシャが叫ぶが、達道は一歩も動かない。


 口を大きく開けたポイズンスネークたちは達道の胴体や腕や足に巻きついて、達道を締め殺そうとしている。


「どうだ! ポイズンスネークはなぁ、相手が息絶えるまで締めつけつづけるんだ。しかもどんな剣をも弾く固い鱗に、全魔法耐性まで持っているんだ!」


「ですからタガウスさん。二度も得意げに説明してくれているところ悪いんですけど、達道さんはクソアホドM男なので、ポイズンスネークに締めつけられていることに興奮してなんにも聞いちゃいませんよ」


「そうだぞ! タガウス!」


 達道もウルティアと同じようにその表情に憐憫を滲ませ。


「俺はドMだからこうして締めつけられるのはご褒美なんだよ。やっぱりお前は天才じゃなくて、学習能力のないただのバカじゃないか」


「ふざけんな! だったらいますぐ毒で苦しんで死ね! 噛みつけ! ポイズンスネーク!」


 タガウスの声の指示に応え、ポイズンスネークたちが達道の体に噛みつく。


 サシャが悲鳴をあげるが、達道はそんなことはお構いなしにサシャの方を向いた。


「おい! サシャ!」


 サシャの悲鳴に負けず劣らずの大きな声で名前を呼び。


「サシャは俺に、どうしてほしいんだ」


「どうして……って、そんなの、毒が……」


「どうしてほしいんだ」


 サシャを声で制する達道。


 サシャの背筋がピンと伸びる。


「どうして、ほしいって」


「自分一人でなんとかしようと頑張るのはいいことだ。でも、なんでも自分一人でできると思うのは間違っている」


「なんでも、ひとりで……」


「ドMだって一人じゃなんにもできない。ドMはドSがいてはじめて興奮できるんだ」


 達道はポイズンスネークに締めつけられたまま、噛みつかれたまま、柔らかな笑みを浮かべ。


「だからな、サシャ。いま、俺になにか言うべきことがあるんじゃないのか?」


「言うべき……こと……」


 サシャは強く目を閉じる。


 目尻から涙が滲み、頬をゆっくり流れ落ちていく。


「あ、ちなみにいまの笑みはサシャさんに笑いかけたのではなくて、ポイズンスネークに噛まれたことに喜びを感じただけだと思います」


 ウルティアの解説を聞いて、これまでの自分を思い出して、ニコルとカノンの笑顔を思い出して。


 達道を殴ったときの快感を思い出して。


「……けて、ください」


「もっと! もっと大きな声で!」


「私たちを助けてください! このクソアホドM男っ!」


 サシャは笑顔でそう叫んだ。


 これまで一人で抱え込んできた姉としての責任から、ようやく解放されたのだ。


「やっと言えたじゃねぇか!」


 サシャの笑顔を見た達道は、くいっとサムズアップして。


「やっぱりこんなバカ男に言われるより、サシャ様に言われる方が百倍気持ちいいぜ!」


「え? たった百倍なんですか?」


「いや百億万倍きもちいぜぇえええええ!」


 サシャの煽りで絶頂を迎えた達道の体が白く輝きはじめる。


 もはや、ウルティアのため息なんか届いちゃいない。


 巻きついていたポイズンスネークたちはいつのまにやら白い炎につつまれており、かすれた悲鳴を上げながら消し炭になってしまった。


「……は? ポイズ、ン、スネーク……が」


 唖然とするタガウス。


「いや、いまさら殺したって毒はもう体内に回ってるはず」


「俺はドMだぞ。ドMが毒で死ぬわけがないだろう。むしろご褒美だ」


「達道さんは毒耐性を持っております。ですから毒で苦しむことはあっても死ぬことはありません」


「苦しむこともないぞ。なぜなら俺はゾクゾクと喜びに浸っているのだから! ……そして」


 達道が笑いをすっと収める。


 その表情にもうふざけも、愉悦も、興奮も、慈悲もない。


「おい、そこのクソ商人」


「な、なんだってんだよ」


 タガウスは虚勢を張ってなんとか睨み返す。


 が、体は正直らしく、腰がぬけており座り込んだまま動くことができない状態だ。


 足はガクガクと震え、まるで生まれたての子鹿である。


「お前はもっと、人の痛みを知るべきだ。人の痛みを知ってこそ、人は真のドMになれる」


「そこは人に優しくなれるの間違いだと思いますが、前半に関しては大いに賛成です。早くやっちゃってください」


 ウルティアの後押しを受けた達道が右足を踏み出す。


「誰もが羨む真のドMの俺は、人から傷つけられるのは大好きだが」


 さらに左足を踏み出し、一歩、また一歩とタガウスに近づいていく。


「人が傷つくのを見るのは、大嫌いなんだよ」


「ま、待て、金か? 金ならいくらでもやるから」


「俺が望むのはドMの女王様だけだ」


 怯えるタガウスの前で歩みを止めた達道は、タガウスの髪を鷲掴みにして体を持ち上げた。


 開いている方の手はすでに真っ黒い炎に包まれている。


「この炎には、俺がこれまで受けた痛みを込めることができる」


 達道は、昨日サシャから殴られたときに受けた痛みを、ハートシェアリングしていた家具や料理が受けた痛みを、黒い炎に変えて宿していく。


「やめろ。わかった。もうお前らにはかかわらな」


「サシャが受けた痛みを思い知れ! 【ジ・ハード】!!」


 黒い炎をまとった拳が、タガウスの腹にめり込む。


 吐血しながら吹っ飛んだタガウスは壁に激突し、ドサリと落ちて白目を剥いたままピクリともしなくなった。


 タガウスが衝突した壁は人型に抉れており、その哀れな窪みを目撃したサシャは、いい気味だと笑いを堪えることができなかった。

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