第8話 ふざけているのは誰だ

「……ん、んっ」


 意識がはっきりとする前に、猛烈な頭痛に襲われる。


 手を動かして頭を押さえようとしたが、がちゃがちゃという鈍い金属音が聞こえるだけ。


 動かせない。


 ようやく瞼を開くことができて視界がはっきりすると、鉄格子が見えた。


 自分の手足には鎖が巻きつけられてあることも確認する。


「なに、これ」


 なんだこの状況は、とサシャは痛む頭で考える。


 たしか今日はタガウスさんの家にいって、それで……ジャスミンティーを飲んで、ニコルとカノンが倒れているのを見つけて――――。


「ニコルっ! カノンっ!」


 叫びながら立ち上がろうとしたら――。


「うわっ……っ!」


 両足首も鎖で括られていたため、うまくバランスが取れず、勢い余って盛大に転んでしまった。


 手が動かせないので受け身が取れず、後頭部を打ちつけてしまう。


「ったい……なに、なんで」


 上半身を起こして辺りを見渡すが、牢屋に捉えられているのは自分だけ。


 二人の姿はどこにもない。


「なによこれ! ニコルっ! カノンっ!」


「うるさいぞ! 生きる価値のない貧乏人風情が!」


 苛立ちに少しの愉悦が混じった声と、かつかつという足音が聞こえてくる。


 階段の上から現れたタガウス・ビルケンバウムは不気味に笑っており、つづけてサシャをゴミでも見るような目で見下した。


「タガウスさん! なに、どういう、こと」


「まだわからないのか。これだから貧乏人は」


 鉄格子を思い切り蹴り飛ばしたタガウスを見て、サシャはすべてを察した。


 自分がタガウスの手のひらの上で転がされていたことを。


「……はじめから結婚する気なんてなかったのね。利用したのね」


 サシャはタガウスを睨みつける。


「おいおい、それだとまるで俺が悪いみたいじゃないか。そんな悪い言い方はよしてくれよ」


 タガウスはサシャの敵意に、嘲笑で迎え撃つ。


「俺がお前らを有効活用した、の間違いだろう。なんの価値もないお前らに価値を見出してやったんだから、逆に感謝してほしいものだ。そもそも俺がお前みたいな貧乏人と結婚するわけがない。格が違うんだよ、すべてにおいてな」


「ニコルとカノンはどこ」


「ああ、あいつらか」


 タガウスは腹を抱えて笑いはじめる。


「どうせもう会えないんだから気にするだけ無駄だ。お前はもうすぐ奴隷商に売り飛ばされることになってる」


「だから! 二人は無事かって聞いてるんだよ!」


 また立ち上がろうとしてしまって、今度は前向きに転んでしまう。


 無駄だとわかっているけど、サシャは芋虫のように這って、タガウスに詰め寄っていく。


 怒りに支配された体が勝手に動くのだ。


「くっくっくっ。その姿、本当に惨めで滑稽だな。俺に対して怒るのはお門違いってもんだろ。お前が騙されるのが悪いんだよ。こんな頭の悪い姉を持つなんて、あいつらは本当に不幸だなぁ。お前が騙されさえしなければ、あいつらも苦しまずにすんだのに」


「タガウス! きさまぁ!」


「いいかげん黙ってろ! このクズが! 殺すぞ!」


 タガウスが再度鉄格子を蹴り飛ばし、腰に差していたダガーナイフを抜く。


 その鋭利な輝きが、サシャの反抗心を一気に奪った。


「そうだ。俺は優しいからな、こいつは返しておくよ」


 タガウスが牢屋の中になにかを放り投げる。


 サシャの前に転がったのは、誕生日プレゼントとしてニコルに渡した、手作りの猫の人形だった。


「こんな汚いクソみたいな布切れが宝物とか、だからいつまでも貧乏人なんだよ」


 サシャの目から涙があふれてくる。


 両手が鎖で括りつけられているから、目の前のぬいぐるみを拾い上げることすらできない。

 情けない。


 悔しい。


 私がもっと賢ければこんなことにはならなかったのに。


 ごめん。


 ニコル。


 カノン。


 お姉ちゃんがこんなので。


 守るって誓ったのに。


 ごめんなさい。


 お父さん。


 お母さん。


「……ニコルぅ! カノンっ!」


 サシャが人形の上に倒れこんだときだった。


「おい、さっきの言葉、取り消せよ」


 どこかで聞いたことのある声がした。


「人の大事なものをバカにするなんて、どんだけ心が貧乏なんだよ」


 ああ、この声は。


 サシャはあの真っ赤なパンチンググローブを思い出していた。


「……達道、さん」


 かすれた声で、『殴られ屋』の店主の名前を呼ぶ。


 どうしてここに。


 なんで。


 そんな疑問を感じるよりも先に、心にじんわりと温かさが広がっていく。


「だれだ、お前は」


 タガウスの顔に動揺が広がっている。


「俺か? 俺は通りすがりのドM男だ」


「なにいきなり性癖暴露してるんですか。存在が恥ずかしいので黙っていてください」


 ウルティアのツッコむ声が、サシャの耳に届く。


「おい、ウルティア。さっきの俺の言葉を聞いてないのか? 人の好きなものをバカにするやつは心が貧乏だって」


「ドM性癖を自慢げに暴露する人にツッコめない裕福な心なんていりません」


「お前らなにふざけたこと抜かしてんだよ!」


 達道とウルティアのやり取りを見ていたタガウスがブチギレる。


 ダガーナイフを二人に向けて構え。


「警備隊はなにをやってんだ。どうやってここまできたかは知らねぇが、生きて帰れると思うなよ」


「お前、タガウスって言ったか?」


 達道の声に凄みが増す。


 その迫力に気圧され、タガウスの足がじりとわずかに下がるのをサシャは見た。


「どうやってここまできたかは知らねぇって、そんなの警備を倒してきたに決まってるだろうが。お前、本当にバカなんだな」


「クソが。ふざけるのも大概にしろよ!」


「一番ふざけてんのはお前だろうが!」


 達道がタガウスを一喝し、ぎろりと睨みつける。


 鬼神が宿っているかのようなオーラを巻き散らす達道は、サシャを一瞥して、怒り狂ったように叫び倒す。


「ドSのサシャ様を縛りやがって! お前はドMの風上にも置けない大馬鹿野郎だよ! 普通は逆だろうが!」


「この状況でそんなことを言えちゃう達道さんが一番ふざけてますから!」


 ウルティアに背中を蹴られて転倒する達道の姿に、サシャは思わず笑ってしまった。

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