第3話 ウルティアの苦悩

「それではサシャさん。こちらをどうぞ」


 達道が赤色のパンチンググローブをサシャに手渡す。


「ありがとうございます。うわぁ、これがぁ」


 サシャは、起床時にサンタさんからのクリスマスプレゼントを見つけた幼子のように、目をキラキラと輝かせた。


「これが、人を殴るためだけにうまれた素敵な道具かぁ」


「サシャさんはいったいなにに感動しているんですか! 素敵という言葉にいますぐ土下座して謝ってください!」


「いやぁ、このパンチンググローブの神髄に一瞬でたどり着くとは、サシャさんはやっぱりすごいなぁ!」


「達道さんも否定して! 不健全な少女の育成に貢献しないで!」


 ウルティアの必死のツッコみも、テンション急上昇の達道にはどこ吹く風。


 達道は自信たっぷりに口角を上げ、親指で自らの胸を指さした。


「そして俺は、その素敵な道具を使って殴られるためにうまれた男!」


「私は達道さんにツッコむためにうまれたんじゃないんですけど。史上最低のクソダサい口上は金輪際やめてください」


「あの、すみません」


 ウルティアがやれやれと手のひらを上に向けて首を振っていると、サシャが手を上げた。


 細められた目に、ぴくぴくと動くこめかみ、よく見なくてもかなり不機嫌であることがうかがえる。


「私、もう達道さんのどうでもいい言葉に飽き飽きしているんですけど。私、はやく殴ってストレス発散したいという気持ちを抑えられそうにないんですけど」


「おお! サシャさんはその歳で淡々罵倒の使い手でもあるのか!」


「いきなり変な四字熟語を作らないでくださいっ! はぁ、もう達道さんったら……」


 達道の性癖に対する愚直さに呆れ果てたウルティアは、両目を掌で覆って深いふかいため息をつく。


 そんなウルティアを無視したまま、ご主人様と奴隷……ではなく女王と下僕……は少し適しているかもしれないけどとりあえず言い変えてドSとドM……はなんか直接的で風情がなくなっている気がするからもう本名で、サシャと達道は話を進めていく。


「それじゃあサシャさん。準備はいいかな」


「はい。よろしくお願いします」


 サシャは嬉々とした表情で腕をぐるぐると回している。


 今回、サシャには達道を殴る権利に加えて、部屋の物を好き壊していい権利も与えている。


 当然、すべて無料。


 達道流のサービスだった。


「サシャさん! 俺の顔でも肩でもお腹でも、好きなところを思い切りバコーンしちゃって!」


「はい! ……あ」


 あとはサシャが達道を殴るだけ。


 それで両者ともが快感を覚えるはずだったのに。


 突然、サシャの顔から笑顔が消え去った。


「なに? 遠慮がうまれちゃった? 遠慮なんて生きていく上で一番いらない感情だよ?」


「そんなわけないでしょうが」


 呆れタイムから復活を遂げたウルティアが慌てて否定するも。


「はい。達道さんの言うとおりで、それはそうかもしれませんが」


「だからそんなわけないでしょうが。サシャさんは料理屋で最後のからあげをいつまでも残しつづけることに美徳を感じる人間にどうか成長してください! …………あっ」


 少し前から、お客さんのサシャ相手にツッコんでしまっていたことにようやく気づき、口を手でふさぐウルティア。


 こんなこと、お客様相手にやったら失礼に……当たらないか、とウルティアは後悔と反省をしそうになったことを後悔し、反省した。


 サシャは部屋の中を見渡しながら話しはじめる。


「家具とかは壊しても元通りになると理解したので心置きなく壊せますが、達道さんを殴ったことによって達道さんが傷つくのはちょっと……すみません。ついに誰かを好きなだけ殴れるという喜びを感じすぎるあまり、視界が狭くなっていました。ドSの快楽に支配されて、冷静な思考ができていませんでした」


 申しわけなさそうにうつむくサシャ。


 そんなサシャの頭を、達道が励ますように優しくなでる。


「そんなこと気にしないでいいんだよ。それをいままで忘れていたなんて、むしろ素晴らしいことじゃないか。なんて素敵で崇高で至高なドSの才能を持っているんだサシャさんは。むしろ将来が楽しみでたまらないよ! そのドS心をいつまでも大切にして、ぜひ常連になってくれ!」


「どさくさにまぎれて変な宗教より悪質な勧誘しないでください! あとそんな心大切にしないで結構です!」


 達道はウルティアにグーでうしろから頭頂部をどつかれる。


「おおっ、いたぎもちぃ!」


 頭を押さえながら喜びを噛みしめたあと、達道はウルティアに鞭を持ってくるように頼んだ。


「お願いね、ウルティア。カウンターの奥の棚、たしか二段目の引き出しの中に入ってるはずだから」


「は? いやに決まってるじゃないですか」


「サシャさんのためだよ。ほら、傷が治るっていう証明をして、心置きなく殴ってもらうわないといけないからさ」


「……そう言われると断れないじゃないですか。まったく、サシャさんのためって、ただ達道さんが鞭で打たれたいだけじゃないんですか?」


 ドキッとする達道。


 傷が治る証明をするだけなら、鞭で打たれる必要はない。


 なんなら、さっきウルティアにグーで殴られたときにできたたんこぶを直して見せるだけでいい。


 ……でも、ねぇ。


 だって鞭で打たれたいんだもの。


 好きなことして生きるべきだ、多様性を受け入れろっ! って日本でよく叫ばれていたじゃないか!


 俺はそれを忠実に遂行しようとしているだけなんだ!


「私は、本当はいやなんですからね」


 達道の思考に、ウルティアの声が割って入る。


「ですから……その、ご褒美というか、等価交換というか対価というか……私が仕方なく鞭で達道さんを打つ代わりに、私のことも、よくできましたって、サシャさんみたいに頭をなでてくださいね! 絶対ですよっ」


 唇を尖らせて、でも顔は真っ赤にしたウルティアは、あっかんべーをすると鞭を取りに部屋を出ていった。


「頭をなでるって……ウルティアはなにを張り合っているんだか」


 わけがわからないと肩をすくめる達道。


 そんな鈍感な達道を見て、ウルティアさん頑張れぇ、と心の中で応援するサシャであった。

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