第17話

 ーーーー彼は日だまりのような笑顔で紫苑しおんを見つめながら、昔の情景を思い出していた。



 ◇ ◇ ◇



 ここより五百年ほど昔の話。

 紫苑はおりに閉じ込められてはいたが、この時はまだ、檻の外に監視する人間がいて、何百年も生き続ける彼女を、さげすみ恐れる人間達もいれば、神のようにあがたてまつる者達もいた。それが如実にょじつあらわれたのは、外で疫災やくさいがあった時。

 森の危険をいち早く察知した彼女は、まるで天啓てんけいのように呟くのだ。

 声が、聞こえる…、と。



 * * *



 紫苑のいた場所から数万キロも離れた森の中。一人の青年が頭を抑えて倒れていた。辺りは一面炎に包まれ、木々が燃えて灰になる。


『……れ……。止ま、れ……っ!!』


 炎は青年から生まれているようだった。体から放たれた炎が、森を燃やしている。立ち上がる力も無いのか、暴走する力に歯止めが効かなくなっていた。

 なぜ、こんなことになったのか分からない。急に視界が暗転して、気が付いたら森が燃えていた。

 ーーーーあぁ、たぶん。俺が消えそうなのか。

 そう、青年はさとった。

 この場所は昔はさかえていたが、今は草木ばかりがしげり、人の気配はなくなっていた。誰も、いなくなってしまって、自分を知る者も、もういない。

 このまま、燃えて、この森ごと消えてしまうのか。

 青年は全て諦めて、その瞼を降ろした。

 その、時。



「ーーーー……大丈夫ですか?」



 声が、降ってきた。

 青年は最後の力を振り絞って瞳を開ける。ぼやけた視界がだんだんとハッキリしてきて、上を向くと、薄紫色の髪の少女がこちらを心配そうに見つめていた。

 ポタッ、と水滴が頬を伝った。

 ぽつぽつと落ちてきた水滴が量を増し、サーサーと音を立てて雨が降り始めた。

 何年ぶりかの雨に、青年は瞳を揺らした。


『…………これは……?』

「……火はもうじき収まります。大丈夫」


 その言葉を聞いて、この雨は目の前の少女が降らしているのだと気付いた。

 優しい口調なのに、どこか安心させてくれる。……そんな声だった。

 おのれを燃やしていた炎も、いつの間にか消えている。

 そこで彼は、やっと少女を正面から見た。


『…………』

「…………貴方は、この森をべる神、ですね」

『…………あぁ。でも、もう私は神としての力はない』


 青年は己の手のひらを眺める。


『この森はもはや誰もいない。私は忘れられた存在。このまま、消えて無くなるだけの……』


 神は、人が信じる心が具現化した存在。人に忘れられたら、存在出来ない。


「ーーーー貴方は、消えませんよ」


 少女はハッキリと、そう言い切った。


「私がずっと覚えているので、貴方は消えません」


 青年が目を見開く。


「ーーーー貴方、お名前は?」

『名前……私に名前はない。呼ばれた事もない』

「そうですか。…………では、"ヤイト"と呼んでも?」

『ヤイト……?』

「はい。灸草(ヤイトグサ)と呼ばれる植物の名前です。よく燃える草と言われ、その燃えたあとのものは人々をやすのだとか」


 その植物の花言葉は、『幸福』。


「貴方を見た人々が、幸せになりますようにと」

『ーーーーーー』


 少女の優しい笑顔に、青年ーーヤイトの瞳から、雨とは別の何かが頬を伝って滑り落ちた。


『ーーーー……感謝する』


 刹那、青年の体が光に包まれ、まばゆい閃光に、紫苑も彼を直視出来なくなる。

 ようやく光が収まって視線を戻すと、そこには一匹の龍がいて……。

 キュゥ、と小さく鳴くそれを、紫苑はそっと抱き上げた。



 * * *



 龍の姿となった彼は、紫苑に名を問われると、ただ『ヤイト』と答えた。

 そう。紫苑の記憶から、あの時の事を消したのだ。正確に言えば、だんだんと忘れていくように仕向けた。

 彼女に名を付けられた事で、彼の姿は変わった。彼女の願いのままに、その願いが具現化した姿へ。人々を幸せにする、暖かな炎へと。

 紫苑は忘れないと言ってくれたけれど、忘れてくれても構わなかった。

 ただ、彼女の隣に居られれば、それで良かった。




 ◇ ◇ ◇




「俺は、紫苑を護る為にここにいる。紫苑が居なかったら、今頃俺は消えていた。だから……紫苑を護る為なら、俺は死んだって構わない」


 矛盾した言葉だと、自分でも思うけれど。

 それでもヤイトは、笑って彼女に手を差し出した。


「行こう、紫苑。紫苑の大切なものを、誰にも奪わせない為に」

「ーーーーーー……」


 紫苑は目の前の少年の暖かな笑みに、昔の誰かの面影おもかげが重なった気がした。

 だが、それは一瞬で消えてしまう。

 紫苑は、ヤイトの隣に立つ飛燕ひえんをちらりと見る。彼は同じように紫苑を見つめた。

 大切なもの。失いたくないもの。それを、消させてしまわない為に。

 紫苑はヤイトに一つ頷くと、その手を取って立ち上がった。

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