第7話

 家を出て数分。紫苑しおんは、先程疑問に思った事を口にした。


「……あの、……なぜ、飛燕ひえんさんは私の能力を知っているんですか?」


 紫苑からの問いに、フリージアは目をぱちくりさせる。すると、おのれの服のそでを口元に当て、ふっと笑みを溢す。


「……ふふ、ごめんなさい。そうね。まずそこから説明すべきだった」


 フリージアは表情を更にやわらげながら、紫苑を見る。優しい瞳で見つめられ、紫苑は彼女から目を離せなくなる。

 フリージアは道に咲いている花にそっと触れた。


「……紫苑さんの能力はね、正確に言えば、植物と話せるのではなくて、植物に宿る精霊の声が聴ける、と言ったほうが正しいの」


 植物ひとつ一つには精霊が宿っており、それらはそれぞれの意志がある生命だ。精霊は植物そのもの。故に、植物と話せる、でも間違いではない。

 でも、それがどう飛燕と繋がるのか。


「飛燕はね、この森そのものなの」

「……?」

「この森のずっと奥に、すごく大きな大樹があってね。それは、この森の始まりの木で、植物の神様が宿ってる。ーーーーそれが、飛燕」


 紫苑は目を見開く。突然すごい事を言われて、頭がついていかない。


「あぁでも、飛燕が人でない事を知っているのはハロゲンワークスのメンバーだけだから、紫苑さんもこの事は内緒にしてね」


 そう言ってフリージアは人さし指を唇に当てる。

 植物に宿っているとはいえ、神は神だ。この事を街の人々が知れば、飛燕を見る目が変わってしまうだろう。紫苑はこくんと頷いた。

 神様は、信じる人がいて初めてそこに存在出来る。ハロゲンの森は飛燕の森。この森の中では自由に人の姿を保てる飛燕も、彼の存在を知らない外の世界では具現ぐげん化出来ない。そもそも、ハロゲンの森そのものである飛燕は、森の外には出られない。声すら、誰にも聴こえない。



「ーーでも、紫苑さんには聴こえたはず」


 ……昔の、記憶。まだ幼い紫苑に、優しく語りかけてきた、き通るような声。

 断片的な記憶でしかないけれど、でも確かに覚えている唯一の記憶。


「……飛燕は紫苑さんをかいしてでなければ、森の外に声を届けられない。飛燕にとって、紫苑さんは特別な存在なの」

「ーーーー……」


 紫苑はその話を聴いて、自分の両手をきゅっと握る。それを見て、フリージアがその上から自分のそれを重ねた。紫苑が顔を上げると、フリージアは彼女に視線を合わせるように、少し腰を落した。


「彼は、とても孤独な人。でも……紫苑さんが来てから、飛燕の雰囲気がとても柔らかくなった。……貴女が飛燕の側に居てくれる事が、きっと一番大切。ーー……これからも、ずっと」


 紫苑はフリージアを見つめる。優しくこちらを見てくれる彼女に、紫苑もぎこちなく微笑み返した。


「ーーーー……私、飛燕さんには感謝してます。何も覚えてない私の事、受け入れてくれて。街の方々も、菖蒲あやめさんも、橘さんも、フレアさんも。飛燕さんの事、とても大切に想っているの、伝わってきます」


 そう言うと、フリージアは少しだけうつむいた。


「そうね。……でも、私と飛燕の関係は、皆とは少し、違うから」


 それは、どこか寂しそうな声音だった。

 心配そうにこちらを見る紫苑に、フリージアは瞳を震わせる。


「ーーーー貴女には、話しておくべきだと思ってる。……でも、それはきっと、今じゃない」


 重なる手に少しだけ力が込められる。フリージアは、真っ直ぐに紫苑の瞳を見つめた。


「……飛燕の事を知りたいなら、……早く、彼の事、……思い出してあげてね」

「ーーーー……」

「……さ、急ぎましょうか。日がれてしまったら帰り道が分からなくなってしまうから」


 フリージアは優しく紫苑の手を引く。

 紫苑は彼女に導かれるまま、飛燕の元へと向かった。

 ……何も思い出せない。でも、きっと、それではいけない。

 ーーーー思い出したい。

 私も、あの、優しい声の主の事をーーーー。

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