第6話

「……遅い!」


 家へと着いて第一声は、不機嫌そうにこちらを睨む橘の苦言だった。


「ご、ごめんなさい」

「資料探すだけが仕事じゃないんだよ?君が遅れるだけで、僕や飛燕ひえんがやらなきゃいけない作業もまっちゃうんだから」

「はい……」


 正論で叱られ、紫苑しおんは頭が上がらない。

 そんな彼女の背中を、菖蒲あやめが軽く叩いた。


「新人なんだから、足手まといは承知の上でしょ。これでも急いだほうよ。文句もんく言わずに、橘も急ぎなさい」

「はぁ?」


 菖蒲からの反論に、橘は睨む瞳を彼女に移す。しかし、菖蒲は堂々としたものだった。


「じゃ、私は夕飯の買い物してくるから。この子の事よろしく」

「はぁ?!ちょっと待っ…!」


 バタン!と扉が閉まる。2人きりの空間に、重い空気がただよった。

 橘が深いため息をつく。

 椅子に座り直し、カゴから本を取って付箋の部分を開く。しばらく依頼の紙と資料とを見比べ、橘の前に置かれたパソコンにデータを打ち込んでいく。

 紫苑はおずおずと口を開いた。


「あ、あの……。私も、何か……」


 橘は文字を打つ手は止めず、ちらりと視線を彼女にくれる。


「……あんた、パソコン出来るの?」

「…………え……と、……やったことはないです……」


 彼女の回答に、橘は視線をパソコンに戻す。


「じゃ、今あんたに出来る事ないから、そこに座ってれば?僕が設計図を作り終えたら、それを飛燕の所に持ってってよ」

「……はい」


 紫苑は大人しく椅子に座る。テーブルには、すでに完成した設計図が数枚置かれており、彼女はそれらに視線をくべた。

 設計図のまわりには細かく図式やデータが書かれていた。図をパソコンで描くのも大変な作業だと思うが、橘は物凄いスピードで仕上げていく。

 設計図が完成すると、隣のプリンターから印刷され、橘は本を閉じて、また別の本を手に取る。

 紫苑は、プリンターから印刷された紙をテーブルに持ってきたり、使用済みの本をカゴに戻しながら、橘のパソコンをのぞき込む。目で追うのがギリギリのタイピング速度に、紫苑はいつしかるように画面を凝視する。

 すると、ピタッと橘の動きが止まった。


「……………………」

「………………見られてると集中出来ないんだけど」

「あ、ごめんなさい……」


 パッと紫苑は橘から離れる。

 だが、暫くして、少し疑問に思った事を口にした。


「…………ハロゲンワークスの皆さんは、能力?を使って作業をしているわけではないんですね」


 菖蒲も、橘も、仕事をしていて能力を使っている形跡はなかった。ハロゲンワークスになるのに、特別な能力は必要ないのだろうか。

 キッと橘が紫苑を睨んだ。ビクッと体が揺れる。そういえば菖蒲が、橘は能力のせいで人々から敬遠されていたと言っていたし、触れてはいけない話題だったのかもしれない。


「ご、ごめんなさーー」

「……別に、ここの仕事は俺らの能力とは相性が悪いってだけだよ。菖蒲は炎をあやつるから、能力なんて使ったら、資料館が燃えちゃうだろ?」


 とっさに謝ろうとした紫苑を遮って、橘はそう説明した。なるほど確かに、それは使えなくて当然である。


「ーーーーそれより、あんたの能力は何なの?」

「え?」

「飛燕が連れてきたからには、何か特別な能力があるんだろ?」

「私、は…………」


 特別な能力。そんなものはない。そもそも、自分が能力者であることも自覚がないのだ。紫苑が言葉にまっていると、橘が不思議そうな顔でこちらを見てきた。紫苑が再び謝罪を口にしようとした、その時ーーーー。


「ーーーー教えてあげましょうか。紫苑さんの能力」

「…………フレア」


 橘の後ろの階段から、フリージアが降りてきた。橘の視線が彼女に移る。


「……何でお前が知ってるんだよ」

「前に飛燕から聞いたことがあるの。……知りたい?」


 その問いは、紫苑に向けられたものだった。紫苑は真っ直ぐにフリージアを見て、頷く。


「知りたい、です」


 フリージアは優しく微笑んだ。紫苑の元へ近付き、ゆっくりと彼女に手を伸ばす。


「ーーーー……植物と話せる能力」

「…………植物と……?」

「えぇ」


 そう言って、フリージアは紫苑の両耳にそっと触れた。


「ーーーー……声が、聴こえるでしょう?」


 紫苑は目を見開いた。瞬間、紫苑の耳にまた、あの声が響いた。


《ーーを、ーーけ、て》


 今までと違う。紫苑が能力を自覚したからなのか、断片的なその言葉がまた、耳に届いた。


「ーーーー……」


 紫苑は混乱した頭でフリージアを見る。


「……ここに来てからずっと、声が聴こえるんです……。でも、何て言ってるのか分からなくて……」

「………………」


 フリージアは、不安そうな表情の紫苑を見て、安心させるように手を軽く握った。膝を曲げ、目の高さを合わせる。


「ーーーー大丈夫。飛燕なら、きっと分かるわ」


 フリージアはそう言うと、橘を振り返る。橘はため息をついた。


「……勝手にしなよ。そもそも僕、その子、菖蒲に押し付けられただけだから。ついでにそこの設計図持ってって」


 フリージアは頷き、テーブルの上の設計図を手に取ると、紫苑を手招てまねく。


「飛燕の仕事場まで少し距離があるから、ゆっくり行きましょうか」


 紫苑はフリージアに導かれるまま、家を出発した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る